第5話

「あ、和泉さん……」

「え? あれ!? 依藤さん!?」


 結果的に、相手に声をかけさせる形になってしまった。

 少し、白々しかったかもしれないが……無視をするわけにもいかないので、とりあえず今気づいたふりをしておく。


「お久ぶりです、和泉さん」

「お、お久ぶり……えーと……なんで、こんな所に?」

「あ、いえ……その……」


 もじもじとしながら、依藤さんは事情を説明してきた。


「部長から、引越し先を聞いたんです。和泉さん、会社を辞める時ひどく落ち込んでいたでしょう? だから、私、ずっと心配で……それで、思い切って新居を訪ねてみようと思ったんです」

「え?」

「あ……ごめんなさい。でも、迷惑でしたよね。私、昔からこうなんです。本当にお節介で……」


 そう言って、依藤さんは眉を八の字にした。


「そ、そんなことないよ! むしろ、謝らなきゃいけないのは俺のほうで……ろくに挨拶もしないまま、会社を辞めてしまって本当に申し訳ない!」


 誠意が伝わるように、深く頭を下げる。

 そんな俺を見て、依藤さんはおろおろしながら「そんな! とんでもないです。頭を上げてください」と言ってくれた。


「それに、私……和泉さんに言わないといけないことがあって。今日は、それを伝える目的もあってここに来たんです」

「ん? どういうこと?」


 尋ねると、依藤さんは言いづらそうに話を切り出した。


「──実は、ウィステリアの正体は私なんです」

「!?」


 一瞬、思考が停止した。

 ウィステリアって……あのウィステリア? 俺のフォロワーで、小説の読者でもあるウィステリアのことなのか?

 思いあぐねていると、依藤さんは更に話を続ける。


「きっかけは、手帳を拾ったことでした」

「手帳……?」


 手帳と言われ、びくっとしてしまう。

 もしかして、俺が普段から持ち歩いている『ネタ帳』のことか……?


「あの日の昼休み──私は給湯室でコーヒーを入れていました。その時、ふと床に黒い手帳が落ちていることに気づいたんです」


 黒い手帳……うわあああ! やっぱり、ネタ帳のことか!

 恥ずかしさのあまり、悶絶しそうになる。


「悪いと思いつつも、私は中身を見てしまいました。もし、名前が書いてあったら、その人の机の上にそっと戻しておこうと思って。でも、名前は書いてなくて──その代わり、設定やプロットみたいなものが書いてありました。私自身、学生時代に少しだけお話を書いていた時期があったので、すぐに気づきました。『ああ、この手帳の持ち主は小説とか漫画を書いているんだな』って」

「もしかして、その後、すぐに俺が給湯室に戻ってきたから元に戻したとか……?」


 当時の記憶を掘り起こしつつ、そう尋ねる。

 すると、依藤さんはゆっくりと頷いた。


「はい。誰かの足音が聞こえたので、私は慌てて手帳を元の位置に戻しました。私が給湯室を出た後、入れ違いで和泉さんが給湯室に入っていくのが見えました。だから、もしかしたらあの手帳は和泉さんのものかもしれないって思って……」

「そ、そうだったのか……」


 思い出して、顔から火が出そうになった。


「その日の夜。どうしても気になって仕方がなかったので、手帳で見たキーワードを頼りに検索してみたんです。そしたら、和泉さんの小説が引っかかって……最初の数行で世界観に引き込まれた私は、寝る間も惜しんで小説を読み耽りました。そして──気づいたら、私は和泉さんの作品のファンになっていたんです」

「だから、ウィステリアとしてアカウントを作って俺を応援してくれていたのか……」

「はい。でも……」


 依藤さんは心なしか頬を淡紅色に染めると、言葉を続ける。


「そのうち、和泉さん自身にも惹かれるようになって──」

「え?」

「あ、えっと……人間的に惹かれたって意味です! 決して、変な意味ではないですよ!?」


 必死に否定する依藤さんを見て、俺は思わずフフッと吹き出してしまう。


「な、何がおかしいんですか!?」

「ごめん、ごめん。別に何もおかしくないよ」

「と、とにかくですね……私、ずっと心配していたんです! だから、事情はよくわからなかったけど、ウィステリアとして励ますしかなくて。でも、その後、執筆意欲が戻ったみたいで、こうして成功してくれて……本当に安心しました」

「依藤さん……」


 思えば、心を病んだ自分をずっと支えてくれていたのは彼女だった。

 彼女の存在がなければ、俺はあのまま再起不能になっていたかもしれない。

 いや、よく考えたら、もっと前から支えてくれていたんだ。それこそ、全然小説の人気がなかった頃から。


 ──ああ、そうか……俺は、ずっと前から彼女のことを……。


「ずっと、正体を隠していてごめんなさい。……あ、お時間を取らせてしまってすみません。どこかに行かれる予定だったんですよね。今日は、和泉さんの元気な顔を見られてよかったです。それじゃあ、私はこれで……」


 そう言うと、依藤さんは俺が進もうとしている方向とは逆の方向に歩いて行こうとする。


「待って、依藤さん! 俺も、君に伝えたいことがあるんだ!」


 立ち去ろうとする依藤さんを呼び止めると、俺は夢中で言葉を紡ぎ出す。

 それと同時に、依藤さんが振り返った。


「俺は、ずっと前から君のことが──」


 その瞬間。俺の言葉に被さるように、少し離れた所からビーッとけたたましい車のクラクションが鳴った。

 もしかしたら、今の音のせいでうまく彼女に伝わらなかったかもしれない。

 そう思い、視線を前方に戻すと──


「い……今言ったこと、本当ですか? 和泉さん……」


 そこには、まるで熟れた林檎のように頬を真っ赤に染める依藤さんがいた。

 どうやら、心配しなくてもちゃんと伝わっていたようだ。

 俺は口をパクパクさせながら慌てふためいている依藤さんのそばまで歩いていくと、にっこり微笑みながら「本当だよ」と返してあげた。

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幼馴染彼女が寝取られたので、フィクションのふりをして実体験を小説化したら大成功した件 柚木崎 史乃 @radiata2021

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