第2話 雪女、熱くなる

「反論? 正当? どの口が……」

「まあ聞いてほしい。お願いだ。少しでいいから時間をもらいたい」

「……はあ」

 須能悠季はため息をついた。白くて冷たい嘆息だ。短い逡巡の時を経て、彼女はもう一度ため息交じりに言った。

「分かりました。これまで好いた者同士、仲よくやって来たのですから、言い訳ぐらい最後まできちんと聞くとします。時間は区切りませんから、どうぞ思いの丈を」

「あ、ありがとう。さすが悠季さんだ」

「いいから早く。あなたには隠してきましたが、私、怒りや哀しみといった負の感情が長く続くと、周りの温度を下げてしまうのです」

 うーん。どうやらだいぶ認識違いがあるみたいだ。僕はどこから話そうか、整理したかったのだが、早くしないとこの家はどんどん冷却されるらしい。急ぐとしよう。

「まず……僕としては、約束を破ったつもりはないんだけれども」

「何ですって!?」

 彼女がひときわ甲高い声で反応した。初めて見せたホットな怒りって感じだ。

「聞き終えるまで黙っているつもりだったのに、これでは口を挟まざるを得ないじゃありませんか。あなたはあのときの出来事を誰にも話さないと約束したのにしゃべった。違いますか?」

「しゃべるにはしゃべったけれども、君にだけだ」

「誰にも話してはいけないというのが条件です」

「いや、でも、僕は当事者である君にしか話していない」

「何を訳の分からないことを」

「つまり僕は、須能悠季があのときの雪女さんだと分かった上で、話したんだ」

「……え?」

 つり上がり、きつね目になっていた彼女の表情が、ふっと緩む。よかった。どうやら理解してもらえる糸口を掴めた気がする。

「僕はあの出来事を誰にも話さないという約束を、君と交わした。そしてそのことを今また君に話すのは、約束を破ったことになるのかな……」

「いやいや、ちょっと待ってよ。おかしい。私は正体を隠して、あなたに接近しました」

「そうだね」

「あなたは私の正体に気付かず、付き合うようになりました」

「そうだよ」

「だったら今の状況ってやっぱり、約束を破ったことにならない?」

「いや、だからね。付き合い始めた当初は悠季さんイコールあの雪女さんだとは全然気付かなかったけれども、一緒に暮らすようになってから段々とおかしなことがあって、よく考えた結果、あのときの雪女さんだと確信を持ったわけ」

「どどどうして分かったのです?」

 率直な問い掛けに、僕は思わず苦笑した。だって、ある時期からモロバレだったんだから。さっき彼女自身が行った負の感情の持続云々についてもそう。彼女が不機嫌だと、やけに冷えるな~と感じることがしょっちゅうあったのだ。最初に変だと思ったのは何だったかな……そう、電子レンジの再加熱だ。彼女、商品パッケージが指定している温め時間よりも、常に十~二十秒多めにタイマーをセットするんだから。あれはきっと、できあがった料理を悠季さんが持つとすぐに冷め始める、それを防ぐための対策なんだろう。他には、きれい好きな割にお風呂を入るのはいつも最後だったし、寒い夜に外を歩いていて、手のひらに息を吐くことは一度もなかった。雪女の息だとどんなにゆっくり吹いても冷たいんだろうし、そもそも雪女は温かくなる必要がない。

 と、こんな具合にして僕が気付いていったことを説明すると、悠季さんも納得したようだ。今は黙り込んでしまっている。

 僕は一応、探り探りといった口ぶりで尋ねた。

「……どうだろう? これでも僕は約束を破ったことに?」

「……分かりました。あなたは破っていません。約束を今でも守り通しています」

 俯いた姿勢で答えた彼女。僕がほっと胸をなで下ろしていると、不意に彼女は面を上げた。

「でも、分からないことができました。教えてください」

「な、何を」

「あなたは私が雪女だと気付いても、それまでの付き合いを変えなかった。言い換えると、あなたはあなたのお父さんを殺めた者と、ずっと暮らしてきたことになります」

「そう、だね」

「どうして平気な顔をして、過ごしていられたのです? 私に復讐しようとは考えなかったのですか」

「……まあ、禁忌の区域に、遭難して入り込んでしまった、言うなれば不可抗力なのに命を取られるのは理不尽だとは思うけれど、それだけ雪女さん達にとって大事な場所なんだと思うことにしている」

「そうでしたか……それでも、恨みを抱いているのでは……?」

「うーん。今、僕らがこうしていることが答になると思うんだけど。言葉で答える必要がある?」

「それは……」

 悠季さんの頬が、ほんのちょっとだけ赤らんだように見える。

 僕は嬉しい反面、よくない兆候だとも感じた。だって、彼女は雪女。あまり熱くなるのは好ましくない。

「どうしてもっていうのなら答えてもいいけれど、もし聞きたいなら、君は身体を充分に、充分すぎるくらい充分に冷やしておいて」


 終わり

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それはないよお雪さん 小石原淳 @koIshiara-Jun

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