大木とランドセル

渡貫とゐち

この二つが道の真ん中にあるのはどうして?

 登校中に見つけた、道のど真ん中に倒れている大木……。

 そして、その大木に立てかけられている赤いランドセル。


 単純に考えれば、大木とランドセルが置いてあるだけだが、それでこの景色に関心を失くすのは面白くない。

 もう少しだけ踏み込んで考えてみれば、『大木』、『ランドセル』が、それぞれ単体でここに置かれた、とは言い切れない。

 大木とランドセルは二つで一つのセットだと考えれば――どうして一緒に置いてあるのか、その理由に特別感が出てくるのではないか?


「ランドセルと言えば小学生だ。だけど小学生はこの場におらず、代わりに大木が置いてある……。もしかしたらこの大木が、元々小学生だった……と考えてみたらどうだろう?」


「いや、どうだろうと言われてもな……あり得ねえだろ。女の子が大木に姿を変えたって言うのか? それとも大木が元々は女の子だった? どちらにせよ魔法みてえな話だろ。

 ランドセルがあるからって、持ち主が小学生だって考えるのも誘導されている気もするしな」


「そういうお前だって、赤いランドセルは女の子である、と思い込みで喋ってるじゃんか」


 男の子は黒、女の子は赤、ってわけじゃない……、誰が何色を選んだっていいのだから。今はランドセルの色も豊富に種類がある。黒と赤以外にも、青や黄色や緑だってあるのだ……、色で性別を特定するのは難しい……。


 だけどランドセルは基本的に小学生くらいしか使わないんじゃないか? 耐久力や収納量、利便性を考えれば誰が使っても問題はない『カバン』だが、小学生=ランドセルという記号的なイメージが周知されてしまっている以上、なかなかプライベートで使おうと思う人は少ないかもしれない……。


 一部では小学生であってもランドセルではなくリュックサックを使用していたり、それぞれの個性を許可した学校もある。


 今後は自然と、小学生がランドセルから離れていくのかもしれない……。そうなると長年、積み重ねられてきた記号的なイメージは消えてくれるのだろうか?


 消えてから初めて、ランドセルを普段使いできるようになる……かもしれない。


 だけどいざなくなると寂しいかもしれないな……。全てが電子化され、教科書が必要なくなり、薄いタブレット一台だけを持ち運べばいい時代になれば、小学生もサラリーマンが持っているような脇に抱えるセカンドバッグだけになるのかもしれない……。


 一つのカバンなのにセカンドとは? と気になるが、まあ教科書がなくなっても体操着や、教科によっては使う楽器だったり、エプロンだったりがあるので、リュックがないのは心許ないだろうけど……――ともかく、未来はどうあれ、今のところランドセルは小学生のものである、というイメージが強い。


 だから少なくとも、この場に小学生がいた……、もしくはこのランドセルが小学生がいた場所から持ち運ばれてきたことは予想できる。


 小学生の手に渡る前のランドセルは、販売元くらいしか持っていないだろう(……ん? そうか?)。大人がここに置いたと考えるよりは、子供が置いて忘れていった、と考えるのが自然か……。ランドセルは、まあ、ここにあることに不自然さはないが――問題は大木である。


 周囲に木がないのだ。

 なのに突然、横倒しになっている大木? 


 太い幹だけであり、枝はなく、もちろん葉もない。丸太だ……、業者が大量の丸太を積んで運んでいる最中に、一本だけ落ちてここに転がってきた……?

 トラックが通れない道幅ではないから、それはない、とも言い切れないか。


 一本だけ落ちることがあるか? 一本が落ちれば二本、三本も落ちてきそうだけど……、運転手は落ちたことにも意外と気づかない? 一本だとしたら……難しいか。


 二本、三本だったら気づいていた――だけど一本だったから……気づかずに去ってしまった――。一本だけがこの場にあるからこそ、トラックの運転手は気づけなかったのだろう。


 じゃあ、ランドセルと大木はどっちが先だ?


 置いてある大木を見つけ、遊んでいた小学生がランドセルを立てかけたまま忘れていった? それとも転がった大木の勢いを止めたのが、落ちていたランドセルだった……?

 急な坂道でもないから、ランドセルという小さな障害物一つでも、転がった大木を止めるストッパーにはなるだろう……と考えれば、ランドセルと大木がワンセットでこの場にあるのも納得できる。


 しかし、大木が二番目だとしたら、まず、どうしてランドセルだけがこの場にあった? なんの目印もなく、ランドセルが道の真ん中にぽつんと置いてあることがあるか?


 せめて壁に寄せられているべきなのでは? だから置いたのではなく、落とした……、不意に落としてしまったのか、意図的に落として去ったのかまでは分からないが、道の真ん中にぽつんと置いてあったとすれば――拾ってくださいと言わんばかりである。


 いや、ランドセルだし、開けてください、か?


「……中身を見てみる?」


「やめとけ、小学生とは言え、他人のものだぞ。見て見ぬ振りをすれば、注意されることがあっても、お咎めはなしだ――だが、手を出せば犯人扱いされることもある。

 そのランドセルが持ち主に返った後、大切なものがなくなっていたと主張されたら、カバンを開けたお前が疑われる……たとえお前以前に手を出した奴の仕業だとしてもだ」


 トロッコ問題、みたいなものだっけ? ……道の先には三人の作業員、分岐している片側には一人の作業員……。線路を切り替えて三人を救おうとすれば、一人を犠牲にすることになる、という問題。

 なにもせずに三人を見殺しにしても、『知らなかった』で押し通すこともできそうだが、もしも一人を犠牲にしてしまえば、線路を切り替えた加害者になってしまう……。

 迂闊に手を出すと責任が自身に乗ってしまう(トロッコ問題が狙った本来の目的とは違うとは思うが)……それに似たようなものか?


 気になるが、ランドセルに手を出せばおれが疑われ――最悪、犯人扱いされる。


 なにも盗っていなくとも、だ。


 しかし、このまま放置するというのも気になる――せめて中は見ないにせよ、壁に寄せておくくらいはしたって損はないだろう……。それに、大木も邪魔だろうしな。

 車が通ったらさすがに乗り上げて越えることはできないだろうし……、車通りが少ないとは言え、邪魔であることに変わりはない。


 親切心ではなく単純に気になったから……たとえばこれは、足下にあったゴミを、手が届く範囲にあるゴミ箱へ捨てた、みたいなものだ……。

 善意というか、義務とかではなく、手持ち無沙汰だったからやった、みたいな感覚に近い……だから見返りは求めない。……これで得られる見返りってなんだよ。


「道の端っこに寄せておこうぜ。どうせ通り道だ、さっとどかすくらい手間じゃないし」


「いいけどよ……丸太って重いだろ」


 ひとまずランドセルを持って移動させようとしたところで――ぐっと引っ張られる感覚がして見てみれば…………、大木とランドセルが、くっついている……紐で――鉄のワイヤーで?


 まるでキーホルダーみたいに。


 ……本当に二つで一つのワンセットだったのか?


「……大木のキーホルダー……え? ほんとに?」


「うわ軽っ、この大木、発泡スチロールかなんかじゃねえのか?」


 指で大木をつつくと、簡単に凹んだ。爪で塗装を剥がすと、発泡スチロールの白いクズがぼろぼろと出てきて……――大木そっくりに似せた、作品だった……?


 大木とランドセル――道端に置かれた『そういうアート作品』だったりして――。



「突発的に壁に絵が描かれていたり――そういうアートを真似したのかもな」


「この場所にこの二つがあるからこそ、アートになる……ってことかな。

 でも、さすがにこの意味までは分からないけど……」


 というか、場所とか勝手にずらしていじっちゃったけど、いいのかな?


 製作者がどこかで見ていたりして?


「お前が色々と考えてたじゃんか。ここにどうして大木とランドセルがあるのか――ってさ。

 そういう思考をさせること自体が、アートなんじゃねえの?」


 つまり……、この二つではなく、

 この二つから思い浮かべられる俺の頭の中がアートってこと?


「さあな? 真相は闇の中だ。それもアートってことなんじゃねえの?」


『それもアート』、って言っておけば、なんでもかんでも納得すると思うなよ?

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大木とランドセル 渡貫とゐち @josho

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