旅立ち
*
前髪を上げた、国王然とした様の陽生。
この姿のときは一国の主として毅然としている筈なのに、何故だか情けなさそうに涙目になっている。
「お前は、ほんとうっに、鬼だな……!」
「陽生さま。往生際が悪いです」
「なんで今日に限って書類を大量に持ってくるんだ」
「そうしないと飛び出して行きかねないからです、……国を」
執務室で繰り広げられている陽生と丹生のやり取りを見て、信乃は噴き出した。
丹生はやはり、陽生のことをよく解っている。
「それに関してはわたしも丹生さまに同意します」
「信乃まで……ひどい……」
信乃は執務室の扉の前に立っていた。
陽ノ国の服ではなく、雨ツ国で着慣れた小袖を少し改良した装い。長期間、旅のできる恰好だ。
荷物も、両肩で背負えるくらいにまとめてある。
「だってしばらく信乃に会えなくなるんだぞ」
数日間の押し問答を経て、信乃は、『世界を見て回りたい』という自らの希望を陽生へ通すことに成功した。
雨ツ国と陽ノ国しか見たことがないから、もっと世の中を知りたいのだという主張。そうして初めて、陽生の傍にいる権利を手に入れることができると考えたのだ。
他の国の生活も知りたいし、この目で海を見てみたい。
雨ツ国で
その途中で雨ツ国にも一度帰りたいと思っている。陽生に宛てられた手紙によると、次の春には紗絢と信音の間に子どもが産まれるらしい。
「……陽生さま」
「なんだ、信乃」
信乃は荷物を床に下ろして、頬を膨らましている陽生の席まで進む。
陽生の胸元には信乃の贈った雨晶が輝いている。
少し屈んで、信乃は陽生に目線を合わせた。
「わたしの朱ノ鳥の瞳が、あなただけを映し、翼が、あなただけを守りますように」
――そして信乃は初めて自分から陽生の唇に触れる。
突然の出来事に、陽生は赤面して硬直する。
「ごほん!」
傍らに立つ丹生の咳払いが聞こえた。額に青筋が浮かんでいるのは見なかったことにする。
「安心してください。わたしの帰ってくる場所は、陽生さまのいるところです」
信乃は微笑む。
全身に漲る力。これは、陽生への想いが与えてくれる力だ。
『恋する乙女の前に敵なんてない』。
そんな親友の言葉を、信乃はまさに体現する。
激しく、穏やかに。
愛しいひとを想えば不可能なことなんてないのだ。
「それでは、いってまいります!」
胸元に『
信乃の笑顔は。
つぼみが綻ぶように、鮮やかに美しく咲く。
【完】
薄水色の恋わづらひ 〜雨の少女の初恋譚〜 shinobu | 偲 凪生 @heartrium
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