旅立ち


 前髪を上げた、国王然とした様の陽生。

 この姿のときは一国の主として毅然としている筈なのに、何故だか情けなさそうに涙目になっている。


「お前は、ほんとうっに、鬼だな……!」

「陽生さま。往生際が悪いです」

「なんで今日に限って書類を大量に持ってくるんだ」

「そうしないと飛び出して行きかねないからです、……国を」


 執務室で繰り広げられている陽生と丹生のやり取りを見て、信乃は噴き出した。

 丹生はやはり、陽生のことをよく解っている。


「それに関してはわたしも丹生さまに同意します」

「信乃まで……ひどい……」


 信乃は執務室の扉の前に立っていた。

 陽ノ国の服ではなく、雨ツ国で着慣れた小袖を少し改良した装い。長期間、旅のできる恰好だ。

 荷物も、両肩で背負えるくらいにまとめてある。


「だってしばらく信乃に会えなくなるんだぞ」


 数日間の押し問答を経て、信乃は、『世界を見て回りたい』という自らの希望を陽生へ通すことに成功した。


 雨ツ国と陽ノ国しか見たことがないから、もっと世の中を知りたいのだという主張。そうして初めて、陽生の傍にいる権利を手に入れることができると考えたのだ。


 他の国の生活も知りたいし、この目で海を見てみたい。

 雨ツ国でまつりごとから遠ざけられていた分、いろんなことを吸収したい。

 その途中で雨ツ国にも一度帰りたいと思っている。陽生に宛てられた手紙によると、次の春には紗絢と信音の間に子どもが産まれるらしい。


「……陽生さま」

「なんだ、信乃」


 信乃は荷物を床に下ろして、頬を膨らましている陽生の席まで進む。

 陽生の胸元には信乃の贈った雨晶が輝いている。

 少し屈んで、信乃は陽生に目線を合わせた。


「わたしの朱ノ鳥の瞳が、あなただけを映し、翼が、あなただけを守りますように」


 ――そして信乃は初めて自分から陽生の唇に触れる。


 突然の出来事に、陽生は赤面して硬直する。


「ごほん!」


 傍らに立つ丹生の咳払いが聞こえた。額に青筋が浮かんでいるのは見なかったことにする。


「安心してください。わたしの帰ってくる場所は、陽生さまのいるところです」


 信乃は微笑む。

 全身に漲る力。これは、陽生への想いが与えてくれる力だ。

 

『恋する乙女の前に敵なんてない』。


 そんな親友の言葉を、信乃はまさに体現する。


 激しく、穏やかに。

 愛しいひとを想えば不可能なことなんてないのだ。


「それでは、いってまいります!」


 胸元に『癒雨ゆう』をたゆたわせて。

 信乃の笑顔は。

 つぼみが綻ぶように、鮮やかに美しく咲く。




          【完】

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薄水色の恋わづらひ 〜雨の少女の初恋譚〜 shinobu | 偲 凪生 @heartrium

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