逢瀬

高岩 沙由

タイムリミット

 バタバタと慌ただしい日々を送り、一か月ぶりに彼女と鎌倉デート。


 7月で梅雨寒のなか、鎌倉駅近くのとある画家のアトリエを改装したビストロで朝食を食べることから鎌倉デートのスタート。


 鎌倉でモーニングを食べられるお店の中でも人気のあるこのビストロは予約なしだと、1,2時間は待つことになる。


 このビストロの朝食が大のお気に入りの彼女のために、事前に予約をしておいたのでオープンと同時に緑のアーチをくぐり抜けた先にある受付で名前を告げる。


 すでに席は用意されていて、庭の奥側の2人掛けの席に通された。


 この庭席の上には布が緩やかに掛けられていて、直接太陽に当たることがないし、周りにも木々が覆い茂り、さながら森の中のコテージのような趣がある。


「いらっしゃませ」


 落ち着いた声の女性店員が水を運んでくる。


「ここはトーストセットにソーセージトッピングでいいよね?」


 僕がそう呟くと女性定員に注文を伝えた。


 注文してすぐに女性店員が持ってきてくれたオレンジジュースを飲みながら会えなかった日々のことをあれやこれやと話し込む。


「お待たせしました」


 女性店員が大きなお皿をテーブルに置く。


「いただきます」


 僕はカトラリーを手にして挨拶を口にすると皿の上の料理を見る。


 トーストセット、とメニューには書いてあるが、食パンではなく、1/4にカットされた焼き目の付いたカンパーニュで横に小さくバターが添えられ、皿の上で存在感を放っている。


 カンパーニュを取り囲むようにグリーンサラダと鎌倉ハムのソーセージ、エッグスタンドに入っている殻つきゆで卵が皿の上を彩っている。


「何から食べるか、迷うね」


 僕はそう言いながらも、カトラリーを持つと鎌倉ハムのグリルソーセージを食べやすい大きさに切っていく。


 切っていくそばから零れ落ちる肉汁、なのに口に入れても肉汁があふれてくる。


 その肉汁の余韻を残した口の中に放り込むのは手でちぎったほんのりと温かいカンパーニュ。


 自家製のカンパーニュは歯ごたえがあり、焼いた香ばしさとほのかな小麦の甘い香りが鼻の奥を通り過ぎていく。


 一度オレンジジュースで喉を潤したあとはグリーンサラダを選ぶ。ドレッシングも添えられているが、そのまま少し苦味のある葉野菜を口に入れる。


 時折吹く柔らかな風の中、食事を終わらせるとデートプランに入っている鎌倉大仏を見るために食堂を出て、長谷方面に歩いて行く。


「そういえば、初めての鎌倉デートも今日みたいな、薄曇りの日だったね」


 僕は空を見上げながらそう言う。


「あの時も、そういえば、長谷寺まで歩いたね」


 その時のことを思い出しながら鎌倉大仏方面からくるバスが通る道を歩いていく。

 しばらく歩いていると、鎌倉大仏が鎮座している高徳院が見えてきた。


「そうだ、今日は長谷寺のあとに前に君が行きたいと言っていた御霊神社に行こうと思ってるんだ。いいよね?」


 僕は彼女に語り掛ける。


「あまり時間もないから、先に長谷寺に行こうか」


 僕は心の中で鎌倉大仏に手を合わせるとそのまま長谷寺へと進む。


 紫陽花の見ごろを過ぎても人気の観光地、長谷寺。


 券売機で入場券を購入し、境内へと足を踏み入れる。


 中に入るとすぐに妙智池に咲く真っ白な蓮が出迎えてくれた。妙智池の周りはカメラをかまえている観光客がたくさんいて、真剣な表情でファインダーをのぞいている。


 そんな観光客を避けるようにして歩き、妙智池にかかる橋を渡り階段を上っていくと、途中で良縁地蔵が3体、穏やかな笑みを浮かべ首をかしげた姿でお迎えしてくれた。


 僕は良縁地蔵に手を合わせたあと、階段を上っていくと阿弥陀堂が見えて、上がり切ったところで観音堂が姿をあらわす。


 それぞれに参拝するとまっすぐに進み、見晴台に向かう。


 見晴台からは眼下に広がる相模湾が見え、遠くに江ノ電が豆粒ほどの大きさで走っている姿が見え、空には鳶が悠々と舞っている。


 これから紫陽花の名所とも知られる散策路に向かうが、急な階段が続くのでしっかりと景色を見ながら休憩する。


「行こうか?」


 僕は経蔵の裏にある散策路を見ながら呟く。見晴台からくるっと踵を返し左側にある経蔵の裏手から階段を上り始める。


 紫陽花の見ごろは過ぎても、まだまだ咲いている紫陽花を見ながら散策路を進んでいく。ラッキーなことに観光客とすれ違うこともない。


 途中には良縁地蔵が3体、散策路を歩く人たちを応援するかのようにたたずんでいた。


 ゆっくりと散策路を歩き終えると階段をくだり経蔵の近くの竹林におりてくる。

 そのまま境内を歩きながら長谷寺を後にした。

 

 花を楽しんだ後は近くの御霊神社へと向かう。長谷寺から歩いて10分くらいみたいだ。


 一旦江ノ電の長谷駅近くまで戻り、そのまま線路沿いを歩き、右に曲がると鳥居が見え、その手前には江ノ電の踏切がある。


 神社の境内すれすれのところを江ノ電が走り抜け、その度にカメラのシャッター音や、小さな子供が歓声を上げていた。


 鳥居をくぐって右側をみると民家が見え、その縁側で座布団の上に白黒のはちわれ猫が丸くなって眠っている。


「かわいい!」


 観光客のお目当てはここの猫なのだろう、次々と写真を撮って参拝していく観光客たち。


 僕はそのまま木々に囲まれた境内を進み、参拝をすると、昼食のため腰越方面に向けて歩き出す。


 そこにあるしらす専門食堂も彼女のお気に入りで、鎌倉デートの2回に1度はその店に行っていた。


 ここから腰越の店までは歩いて1時間はかかるだろうか? でもおいしいものを食べるためには体を動かさないと。


 細い道を歩きながら七里ガ浜あたりまでくると、やがて海が見えてくる。


 薄曇りの空を映している海は鈍色に輝いているが、波も穏やかでサーファーたちが海の上、ボードに体を伏せて波待ちしている。


 腰越までは海沿いの道を進むが、途中、有名なアニメにも出ていた鎌倉高校の踏切を右手に見ながらひたすら歩く。


 お目当ての食堂は腰越漁港のすぐ近くにあり外観はちょっとおしゃれなカフェのような佇まいだ。

 昼食時は行列覚悟の店なのだか今はピークも過ぎた14時なのですぐに店内に入れた。


 残念ながら生しらすは売り切れてしまったということで、釜揚げしらすとしらすかき揚げ丼を注文する。


 この店は朝のお店と違い、店員さんたちは元気よく、活気を感じさせる。

 店の中に客は3組ほど、まばらに座っている。


「おまたせ!」


 店内観察をしていた僕の目の前にどんぶりと小鉢、みそ汁を置いていく。


 どんぶりには釜揚げしらすが敷き詰められ、真ん中には生卵とショウガと刻んだ大葉、端には手のひら位の大きさのしらすかき揚げが鎮座していた。


「いただきます」


 挨拶をしたところで割りばしを割り、最初に味噌汁を一口飲むと、どんぶりの中に箸をいれ、生卵と生姜、刻んだ大葉をどんぶりの上で混ぜ合わせていく。


 程よく混ざったところで、釜揚げしらすをどんぶりの端によせ、少量の釜揚げしらすと生卵とごはんを一緒に口に運ぶ。


 釜揚げしらすの塩気はあまり感じず、ショウガと大葉でさっぱり食べられる。

 醤油なんて必要ないほど、美味しい!


 みそ汁で口の中をさっぱりとさせた後はしらすかき揚げを箸で切っていくがサクサクの部分とタレが掛かっているところは柔らかい。


 一口大に切ったしらすかき揚げを食べると少し甘めのタレがご飯とよく合い、このタレだけでご飯がいくらでもすすむ。


 でもしらすかき揚げばかり食べていると口の中がもっさりとしてきたので、小鉢の漬物を食べる。白菜の漬物はさっぱりとして、箸休めにぴったりだ。


 最後にほうじ茶を飲んで店を出る。


 外に出ると、日が傾き始めていた。


「まだまだ一緒にいたいのに」


 そう言いながら僕は鎌倉方面に向かって海沿いをゆっくりと歩く。


 このまま時間が止まったらいいのに、そう思いながら今までのことを振り返りながら鎌倉駅を目指す。


 歩いているうちに、日が落ち、暗くなり始める。それと引き換えに彼女が白くぼんやりと浮かび上がってくる。


「やっと会えたね」


 最後に会った日に着ていた、僕が誕生日プレゼントに送ったクリーム色の小花柄のワンピース。


 黒の短い髪で、いつも左耳だけ出していた。


 今は泣き出しそうな、笑っているような顔をしている。


「まだ一緒にいたいんだ」


 その言葉に彼女の口がゆっくりと動く。


“わたしも”


 でも彼女は首をゆっくりと横にふるとまた口を動かす。


“そろそろ、いかないと”


 僕は喉がぎゅと痛くなり、涙を堪える。


“ありがとう。たのしかった”


 彼女の口がそう動くのを見ながら、僕は目から涙が零れおちていくのを感じた。


「まって、まだ行かないで、お願い」


 僕の懇願とは裏腹に彼女の体がどんどん白く輝いていく。


“さようなら、またいつか”


 彼女の声が聞こえた瞬間にあたりが一層明るく輝き僕は目を瞑る。

 明るさが消えた時に目を開けると、彼女の気配は消えていた。

 受け入れられない僕はただ声を押し殺して泣くしかできなかった。


 彼女が突然この世を去って四十八日目の今日は節目の四十九日。

 そして盂蘭盆の最終日。

 

 最後に会いに来てくれたこと、僕は忘れないよ。

「さようなら、またいつか」

 僕は涙を零しながら、それだけ呟いた。

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逢瀬 高岩 沙由 @umitonya

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