春のあたたかな日、桜が舞い散る中、5年ぶりに誕生した大人狐に狐の里は湧いていた。
大人狐になるための条件はぴん! とした綺麗な三角耳にふさふさの尻尾。
ふさふさの尻尾を獲得するために私は毎日、すげの木でつくられた櫛と椿油を使って丁寧に手入れをしていた。
「このふさふさの尻尾は、歴代で一番だな!」
兄が意地悪そうな笑顔を浮かべて私の尻尾を足で踏みながらそう言う。
「やめて! せっかく整えたんだから!」
私は兄にぐーぱんちを繰り出しながら抗議する。
「お、っと」
体に当たる寸前でぱんちはかわされたけど、尻尾から足をどけたのを見て、兄とは反対方向にしっぽを置くと同時にそっぽを向く。
「怒っていたら、かわいい顔が台無しになっちゃうじゃない」
母がにこにこと笑いながら、ちゃぶ台に山盛りのお稲荷さんに、油揚げを半分にして中に納豆を包んで焼いた料理、油揚げを焼いてねぎをのせた料理をどんどん並べていく。
「おいしそう! いただきます!」
ちゃぶ台に寄ると近くにある稲荷寿司を、ぱくっ、と一口食べる。
「おいひい~~~!」
立ったまま食べる私を母が険しい顔で睨む。
「座って食べなさい!」
雷を落とされ、私はつい、目を瞑り耳を横にしてしまう。
「まったく。大人になったのだから、少しは礼儀を身につけなさい」
母はぶつぶつと言いながら兄と、遅れて入ってきた父を座布団に座らせる。
「夜は、この里の稲荷神社に大人になったことを報告するのだろう?」
父が座布団に座りながら私に顔を向けて確認するので、こくん、と頷く。
「付添人は前に大人狐の仲間入りした男性だ。彼といろいろと話してみるのもよかろう」
稲荷寿司を食べながら父がそう言う。
「さあ、みんなで祝いながら食事をしよう」
母も私も座布団に座ると父が食事を始める挨拶を始める。
それが終わると、目の前のある取り皿にそれぞれ好きな料理を取りながら私の小さな時の失敗談を面白可笑しく話し、恥ずかしさに身悶えしながら昼食を終えた。
夜、暮六つ時。
「では、いってきます!」
私は提灯を片手に付添人と待ち合わせ場所に向かった。
大人狐の仲間入りをした夜にはちょっとした儀式がある。
それは、狐の里の一番奥にある稲荷神社に向かい、そこで手を合わせる。正直者が手を合わせたら、狐火が手元にある提灯に灯るが、悪いことばかり考えている人は狐火に焼かれてしまうそうだ。
付添人はその様子を見守る役割があり、前の年に大人狐の仲間入りを果たした狐人が担う。
「でも、狐火に焼かれた、という人の話を聞かないから、迷信なのかも」
私は一人呟き、狐の里を歩く。
普段は夜になると灯りの灯らない真っ暗な里だが、今日はお祝いの提灯が家の前に灯っている。
「きれいだなぁ」
暗闇に浮かぶ、橙色の灯りはどこか幻想的に見える。
その景色を眺めながら、稲荷神社の参道入口に到着する。
「ここで待ち合わせよね?」
誰ともなしに呟いてあたりを見回す。
「ようこそ、稲荷神社へ」
誰もいないと思っていたところに急に声を掛けられて私は思わず、ひっ! と悲鳴を上げてしまう。
「ああ、驚かせてごめん」
声がした方を振り向いて私は固まる。
満月の月明りの中、そこに立っていたのは肩まである白髪を風になびかせ、琥珀色の瞳が優しさを感じる男性だった。
手にはキセルを持っているが、絵になる立ち姿に私はしばし、見惚れていた。
「君だよね?」
戸惑いを含んだ声に、私ははっとする。
「あ、はい、すみません。宜しくお願いします」
私が慌てて頭を下げると男性は笑い声をあげる。
「そんなにかしこまらなくていいよ。じゃあ、行こうか?」
男性に促され私は参道を歩き始める。参道には店が立ち並び店頭に祝いの提灯を下げている。
その景色に目を奪われていると、目の前に女の子が飛び出してきた。
女の子は……耳も尻尾もなかった。ただ、頭に狐の面をつけている。
見間違いかと思い、まじまじとみていると、女の子の顔が厳しくなっていく。
「何を見ているのよ!」
「あっ、ごめんなさい」
私はすぐに謝るが、すぐにぷい、と横を向いてしまう。
「なんで、今年は女の子1人なのよ!」
狐の面を頭につけている女の子がぶつぶつと呟いている。
(もしかして、嫉妬されているのかしら?)
男性は苦笑いを浮かべると私に顔を向ける。
「僕の友達の妹なんだ」
「妹ではありませんわ! 恋人です!」
女の子が顔を真っ赤にして訂正している。
「なぜか、ついてきてしまって。申し訳ない」
男性は私に頭を下げる。
「あ、いいえ、大丈夫! 早く行って、早く帰ってきましょう!」
私は早口でそれだけ言うと参道を足早に歩いて行く。
男性は私と並びながら歩いているが、女の子は厳しい視線で私を見ている。
居たたまれない気持ちで歩いて行くと、最初の目的地に到着する。
「さあ、鳥居に着いたよ。ここで提灯の灯りを消して」
私は言われた通りに提灯の灯りを消すと、月明りの中、うっそうとした森の中に不気味に浮かびあがる拝殿を見る。
鳥居から本殿までは歩いて2分程の距離だろうか?
「君の気持が落ち着いたら、参拝に行こう」
男性の声に私は頷くと深呼吸を2回する。
「行きます」
私は男性を見て宣言をした。