【7】


 試合終了からしばらく経っても、道場は静寂に包まれたままだった。

 誰もが眼前で起きた現実を、まるで理解を出来ていないのだ。


「……サラの奴。まさか最後は、俺の得意技で決めるとはな」


 たった一人。東城空吾のみが、静かに賞賛の声を上げる。


 ――――廻天富嶽。

 柔神流兵法術の奥義の一つ。

 合気と発勁を融合させた超絶技である。

 これを成功させるには、二つの技術体系を習得する必要があり。そして体格が劣る者が掛ける場合の難度は格段に跳ね上がる。

 それを天狼院サラは、曲がりなりにも成功させてみせた。

 まだまだ荒い所はあるが、それでも紛うことなく廻天富嶽である。


 空吾からすれば、サラはまだ廻天富嶽を使えるレベルには無かった。

 しかし、その壁を一足飛びに乗り越えて来た。すさまじい成長力だと言える。


「はははっ……大したヤツだ……!」


 先程から、空吾の胸はドキドキしっぱなしだった。

 空吾からしてみれば、天狼院サラはまだまだ荒削りだ。

 柔道家としても、武道家としても。心技体ともに未熟であり。そして『柔よく剛を制す』の理想には遥か遠い。

 だが、未完成な状態でここまで強さを示してみせた。高校最強を倒すほどに。

 そして天から与えられた圧倒的な才と、どこまでも強くなろうとする圧倒的な意志がある。

 ――これからどれくらい強くなるのか? 

 ――これからどこまで強くなるのか?

 ――これからどのように強くなるのか?


(あいつと一緒に居たら、見る事が出来るかもしれない――まだ見ぬ新たな武の頂を)


 そう考えただけで心が躍る。そんな未来が、空吾には楽しみでならない。

 見てみたい。感じてみたい。願わくば――彼女の傍で。ずっと。


 へろへろと畳に座り込んだサラが、空吾にピースサインを出している。

 そこにはすでに、決死の覚悟で戦っていた鬼神の姿は無く。全てを忘れて、無垢な笑みを浮かべる年相応の少女の姿があった。

 それを見て空吾は「ふふっ」と、思わず笑みがこぼした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 清涼とした空気を歪ませたのは、汚れた五里鯨の叫びだった。


「そ、そんな馬鹿なッ……! 俺は認めん……認めんぞおおおぉぉぉッ!!」


 鷲尾が敗れたのが信じられないのか、顔を紅潮させて屈辱に震えている。


「そういえば……あのゴリオヤジとの話が済んでなかったわね」


 疲労を隠せぬ足取りのまま、サラが五里鯨に歩み寄る。


「約束通り、アタシは空吾と好きにやらせて貰うわ。それと……空吾に謝って」


 そして約束の精算を要求するサラ。だがしかし――


「ふ、ふざけるなあああっ! 生徒が教師に逆らうなんて言語道断じゃあぁぁぁっ!!」


 五里鯨が怒りに我を忘れて、巨大な掌をサラへと振りかざす。


「っ……!?」


 サラはびくりを身を竦ませ、痛みに供えて眼を閉じる。

 普段ならば容易に躱せるのだが、疲労困憊した今はそれが難しかった。

 しかし両者の間に、空吾が素早く滑り込み、五里鯨の張り手を受け止める。


「……あんた、ちょっとお仕置きが必要みたいだな?」


 穏やかな口調の空吾だが、その瞳には極限の怒りが燃えていた。

 五里鯨のサイズは、203センチ、体重は145キロ。

 対する空吾は、160センチ、体重は60キロ。

 二人の体格差は圧倒的。普通であれば五里鯨の張り手を受けて、微動だにしないはずがないのだが、動転した五里鯨はその異変に気付かない。


「ぬがあああぁぁぁ! どいつもこいつも! この俺様を馬鹿にしやがってえぇぇ!」


 喚き散らしながら、五里鯨が突進し――その瞬間、空吾の姿が消失した。

 否、空吾はすでに五里鯨の懐に潜り込んでおり、その袖と襟を握っていた。

 慌てて五里鯨がブレーキを掛けるが、その反動を利用され――軽々と投げられる。


「ごはああああッ!?」


 そして受け身も取れずに頭を打ち、白目を向いて気絶してしまった。


「あんた……全く稽古してないだろ。どんなに栄光の過去があろうと、武道家は慢心したらおしまいなんだよ。柔道日本一の称号が泣いてるぞ」


 そんな五里鯨を、空吾は憐れむような瞳で見つめていた。


『す、すごい……監督の巨体がまるでボールみたいに』

『あれって……間違いないわ! 空気投げよ! リアルで初めて見たわ!』

『最初は嘘だと思ってたけど、東城くんって本当に凄い人なの……!?』


 全中三連覇のサラからの全幅の信頼。試合中の的確な指示と判断。そして圧倒的体格差のある五里鯨を、容易に投げてみせた達人の技。

 一部始終を見ていた女子部員たちは、そろそろ空吾の異常性に気付き始める。


「や~~ん、ジュテーム! クーゴってば、やっぱり世界で一番格好いい~~!」


 瞳にハートマークを浮かべながら、空吾に飛びつくサラ。

 そしてキスの雨降らせようとするが、それを空吾が必死に防ぐ。


「お、おいこら! やめろバカ! 落ち着け!」

「じゅて~~む! くーご、だいしゅき~~!」


 犬も食わぬような攻防を繰り広げる二人。

 しばらくそんな事を続けていると、背後から重厚な声が響いた。


「流石は空吾くん。私が説明をするまでもなく、その力を皆に示したようだね」


 満面の笑みを湛えながら立つ禿頭の男――それは熊野であった。


「えっ……熊野さん? どうしてここに?」


 空吾の問いに対して、熊野は申し訳なさそうに答える。


「すまない空吾くん。実は私が……武帝学園の理事長なんだよ」

「ええええっ!? マジですか!?」


 それを聞いて、跳び上がって驚く空吾。

 熊野がどこかの重役である事には知っていたが、まさかそれが武帝学園の関係者だとは想像だにしていなかったのだ。


「すまない……黙っているのは、騙しているようで心苦しかったのだがね」


 熊野が理事長である事を黙っていたのには理由があった。

 それは己の立場を利用して情に訴えるのではなく、オファーの提示内容を冷静に判断してもらい、二人に進学先を決めて欲しかったからだ。それは彼の誠意でもあった。


「それにしても……報告は聞いたよ。すまない。うちの五里鯨が迷惑をかけたようだね」


 倒れ伏す五里鯨を憐れみの目で見下ろしながら、熊野は断罪するかのように宣言する。


「理事長権限で彼はクビにしよう。それにしても本当に愚かな男だ。空吾くんの実力に気付くことが出来んとは……私は彼の就任に反対したんだがね」


 熊野曰く、理事会の強い推薦によって五里鯨は選ばれたのだと言う。

 しかし熊野は当初から、五里鯨の監督としての品格を疑っていた。

 そしてやはり、五里鯨は部内で暴君ぶりを露わにするようになった。

 旧時代的な猛練習を部員たちに課し、己に従わない者は徹底的に干す方針。それでも大会で一定の結果は出したので、熊野は解雇する事を躊躇っていたが、ついに今回の暴走により我慢の限界に達したというわけだ。


「す、すいません! 東城空吾とは一体何者なんですか!?」


 突然ギャラリーの中から、一人の女性が飛び出してくる。

 歌川うぐいす。ソウカイスポーツの突撃敏腕記者である。空吾の計り知れぬ実力を目の当たりにして記者魂に火が点き、いてもたってもいられなくなってしまったのだ。


「君は……見たことがあるね。ソウカイスポーツの記者だな。どこから入った?」

「はっ、しまったあああぁぁぁ! 記者としてのサガが憎いわああぁぁぁ!」


 清掃員姿のままで、顔を青くする歌川。

 そして動揺したはずみで、盗撮していたカメラも落としてしまう。

 場に広がる沈黙。狼に睨まれた子鹿のように、歌川がぷるぷる震えていると――


「……まぁ良い、むしろ空吾くんの存在を世間に知らしめる良い機会かもしれんな」


 微笑を浮かべた熊野が、歌川と女子部員たちに向き直る。


「武道歴が浅い君たちは知らんだろうがね。そこにいる彼こそが、日本中の武道家たちが認める柔神流兵法術の継承者。現代の柔神である東城空吾なのだよ」


 ――そして熊野は、東城空吾の大いなる価値を粛々と語り始めた。

 空吾が伝説の柔神・東城風柳斎の孫であり、後継者であること。

 風柳斎の技の全てを受け継いだ、現代を生きる達人であること。

 そして日本中から猛者が集う、柔神館の師範であることを。


「そうよ、クーゴは凄いんだから! 世界一の師匠に私はずっと教えて貰ってるのよ!」


 『ふふん!』とふんぞり返り、誇らしげに語るサラ。


「うむ、そうだね。サラくんがここまで強くなれたのは、むろん本人の努力もあるだろう。しかし、空吾くんの卓越したサポートと指導があったおかげなのは確かだ。彼が選手として高校柔道界に進出しないのは残念だが、コーチとしても黄金の価値があるということだ」


 熊野の話を聞いて、次第に目の色が変わり始める女子部員たち。

 その視線を受けて、居心地が悪そうにする空吾。恨めしげに熊野を睨むが、当の本人は開き直っているのか、涼しい顔で語りを結んだ。


「諸君、私がサラ君を特別扱いするために、空吾師範を我が校に呼んだわけじゃないことを分かってくれたかね? 空吾くんは人間国宝級の逸材なのだ。彼に学べば、武帝学園の女子柔道部は更なる成長をすることが出来るだろう!」


 すると感極まった歌川が、熱き記者魂を爆発させる。


「これは……とんでもないニュースよッ! 天狼院サラのコーチ・東城空吾は現代に生きる達人だったなんて! これはバズる! 絶対にバズるわあああッ!」


 その叫びを皮切りに、女子部員たちが空吾の下へ殺到した。


「ね、ねえ……あんた! 私も弟子にしなさいよ! もっと強くなりたいのっ!」

 いの一番に飛び出した亀子が、弟子入りを申し出る。


「すまない……今さらムシの良い話しだけど、オレもあんたの弟子にしてくれっ! あの監督を投げた技に感激したんだっ! 頼む、この通りだっ!」


 鷲尾がプライドを捨て、土下座をしながら懇願する。


「すいませんでした!」「お願いしますっ!」「教えてくださいっ!」


 他の部員たちも、次々に空吾に指導を願い出る。


「……えっ? えっ? ええっ……?」


 その様子を見ていたサラが、次第に顔色を青くしていく。

 急速に高まる空吾の人気を見て、弟子としての立場を危ぶみ始めたのだ。


「というわけだ、空吾くん。我々、武帝学園を導いてくれ!」

「「「空吾コーチ! お願いしま~~すっ!!」」」


 武帝学園女子柔道部の、熱烈な期待を受けて空吾は口ごもる。


「あはは、そうですねぇ……どうしようかなぁ……?」


 出来るならば、なるべく穏やかな高校生活を送りたい。

 だが他でもない熊野の頼みであり、強くなりたい部員たちの気持ちも分かる。

 そこまで生活に支障を起こさないのであるば、引き受けてもいいと感じていた。

 しかし、そこに待ったをかけたのは――もちろん天狼院サラだった。


「だめーっ! クーゴはアタシだけの師匠なの~~っ!」


 クジャクのように手足をバタつかせ、涙目になって空吾を背に隠すサラ。

 そして『がるるる……!』と皆を威嚇するが、そんなサラを熊野が穏やかに諭す。


「サラくん。決めるのは空吾くんだ。彼の可能性を君のワガママで潰していいのかい?」

「うっ……でも……ううう~~~~~っ!」


 そう言われてしまえば、サラはぐうの音も出ない。

 しかも嫌がる空吾を、武帝学園に引きずり込んだのは自分なのだ。そこで発生する空吾の人間関係までをも縛ることは出来ない。

 反論の材料を失ったサラは、縋るような視線を空吾に向ける。


「ぐすっ……いつもワガママでごめんなさい……出来の悪い弟子でごめんなさい……! でもアタシはクーゴの傍にいたいの……まだまだクーゴに色々と教えてほしいの……だからアタシを見捨てないでぇ~~!」


 真珠のような涙をこぼし、ずっと隠していた弱音を曝け出すサラ。


「…………サラ、お前…………」


 その切実な訴えを前に、空吾は言葉を失う。

 道場にはサラの啜り泣く声だけが響き、そして空吾の出す答えを、その場にいる全員が固唾を呑んで見守っていた。

 それからしばらくして――ついに空吾が思い口を開いた。


「サラ、お前には振り回されてばっかりだ。いつもワガママだし、傍若無人な振る舞いばっかりだし、一緒にいるとヘトヘトだ。正直――『いい加減にしろ』と思う」

「――――ふぐううっ!? うえええ~~ん! ごべんなざ~~い!」


 空吾からの辛辣な言葉。ショックを受けたサラの涙腺が崩壊する。


「……でもな。お前に教えるの、オレはけっこう楽しいんだ」

「ふええっ……!?」


 そう言って、優しく微笑む空吾。

 真っ赤になった目を見開き、呆然と立ち尽くすサラ。


「お前はワガママだけど努力家だし、たまに想像もしない面白い事をやってくれる。何て言うかな……昔じーちゃんから感じたドキドキを、お前からも感じるんだ」


 気を取り直したサラが、おずおずと尋ねる。


「じゃ、じゃあ……これからもずっと、私の師匠でいてくれる?」


 期待を込めた目で見つめられ、苦笑する空吾。


「おいおい。嫌だって言っても、どうせ強引に引っ張り回すんだろ? ただ……これからは時間は少し減るぞ。武帝学園のコーチングも、少しだけ引き受けるからな」


 ――空吾の、ひねくれた言い回し。

 しかしそこには、これからもサラを支えようとうする決意が秘められていた。

 それを察したサラの顔が、みるみるうちに喜色に満ちていく。


「あ、あったりまえよ! アタシが目指すのは世界一! オリンピックなんだからっ!」

「はははっ……それも悪くないかもな」


 空吾の賛同を得たサラは、太陽のような眩しい笑顔を浮かべ――


「それで結婚指輪の代わりに……金メダルをクーゴにプレゼントするわっ!」


 全中決勝後を上回る、情熱的なプロポーズをキメるサラ。

 それから目にも留まらぬスピードで、空吾の傍に駆け寄ると。


「クーゴは誰にも渡さない……! アタシが一番弟子なんだからっ……!」


 その唇に向かって――燃えるようなキスをぶつけたのだった。


「………………ほわあっ!?」


 突然の事態に硬直する空吾。ちなみに、ファーストキスであった。

 衝撃の瞬間に『『『きゃ~~っ!!』』』と、黄色い歓声を上げる女子部員たち。

 『うんうん、青春だねぇ』と呟きながら、生暖かい目で見つめている熊野。

 そして、これを絶好のスクープチャンスと見た歌川は、サラにスマホを突き付ける。


「イエーイ! 婚約おめでとうサラちゃん! ここで何かコメントをお願い!」

 そんな歌川の要求に、サラは天上天下唯我愛弟子の笑みで応える。


「見てるかしら、全世界の哀れなアタシの踏み台たち! あんたたちがどう足掻こうと、アタシとクーゴがナンバーワン&オンリーワンよ! 文句があるヤツは、世界チャンピオンだろうと何だろうと遠慮無くかかってきなさい! 二人の愛の力で叩き潰してやるんだから!」


「おいいいっ、サラ~~~~!? 無用な挑発は止めろおおおぉぉぉ!?」


 我に返った空吾の悲痛な叫びを上げるが――時すでに遅し。

 後日、サラの爆弾発言は、日本のみならず世界中に広がり。柔神流兵法術師範・東城空吾の底知れぬ強さも――記録されていた映像により――爆発的に世間に認知されていった。

 そして、そんな彼が穏やかな日常など送れるはずもなく――


「やっぱり、師匠なんて引き受けるんじゃなかった……がくり」


「どうしたのクーゴ!? きゃあああああっ!? 誰か救急車呼んで~~っ!」


 嫉妬。期待。羨望。尊敬。敬愛。殺意。その他もろもろ。

 今までとは比較にならぬほどの、世界中から様々な感情をぶつけられ。

 ついに空吾は、限界まで達したストレスを爆発させて――入院したのだった。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

※『柔神の愛弟子ッ!!』イメージソングをふじしなさんが作ってくれました! とても趣向を凝らした楽しい動画ですので、ぜひ見てみて下さい!→https://www.youtube.com/watch?v=2clppfMHDG4

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

柔神の愛弟子ッ!!【短編読切】 紅星 @abaaba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ