【6】


 武帝学園の柔道場に、黄金の嵐が吹き荒れていた。

 その光景を東城空吾は瞠目し、息を呑みながら見つめている。


「サラ……お前…………!?」


 渦巻く嵐の中心にいるのは、天狼院サラ。

 試合再開と同時に、目にも留まらぬ波状攻撃を仕掛けていた。

 防戦一方の鷲尾が、苦し紛れに足払いを放つが――それにサラは足払いを合わせる。

 ――ゴキャッ!

 「いぐっ!?」鷲尾の顔が苦悶に染まる。

 たまにある、アクシデント。サラの踵が鷲尾のくるぶしに直撃したのだ。

 すぐに気を取り直して、鷲尾がサラの襟に手を伸ばす。

 ――グシャッ!

 「あぐうっ!?」するとまたも、サラの手刀が鷲尾の手首に直撃する。

 そして、そのアクシデントは幾度も繰り返された。

 足払いに足払い。掌に掌。しかし交錯する度に悲鳴を上げるのは鷲尾のみ。

 そして次第にギャラリーは気付いていく。偶然などではないのだと。

 天狼院サラの常人離れした動体視力と、反射神経によって成される業なのだと。


「これが『稲妻』と『旋風』の血なのか……?」


 驚嘆するギャラリーとは対照的に、空吾はそれを冷静に見つめていた。

 サラの血筋を知る彼からすれば、有り得ることだと思っていたからだ。

 何故ならば彼女の亡き両親は――偉大なアスリートだったのだから。

 ――マクシム・ロベール。

 サラの実父である彼は、フェンシング五輪の金メダリスト。そしてボクサーに転向すると、激戦区のウエルター級で、わずか五戦目で世界タイトルを手にした。目にも留まらぬカウンターアタックを得意とする、稲妻(エクレール)の異名を持つフランス最速の英雄だった。


「くそがっ! この程度の痛みが何だってんだッ!」


 痛みを振り払うかのように放たれた、鷲尾の根性の足払い。

 それをサラは――前方宙返りで躱すと、身をくねらせて鷲尾の背後に着地した。

 目の覚めるような離れ技に、ギャラリーが『跳んだっ!?』と仰天する。

 だが、空吾は驚かない。この柔軟性とバネの覚醒も予想できたこと。

 ――アデリーヌ・ロベール。

 サラの実母である彼女は、フランスの至宝と賞賛される舞踏家だった。

 旋風(トゥルビヨン)の異名を持ち、ローザンヌの国際バレエコンクールで名を馳せた後は、バレエ界の革命児として世界各地を飛び回り、各国で賞賛を浴び続けた。

 その死を世界中が惜しんだ、稲妻(エクレール)と旋風(トゥルビヨン)の血を継ぐ者。

 常人離れした動体視力、反射神経、柔軟性、跳躍力を併せ持つ奇跡の天才。それこそが――天狼院サラなのだ。


 そして黄金の嵐は、まだまだ止む気配を見せない。

 サラが舞い踊る。巧みに緩急を使い分け、不規則なステップで幻惑する。

 その動きを捉えるのは、常人には非常に困難だ。遠目で見ている空吾でさえそうなのだから、戦っている鷲尾の体感速度はその比ではないだろう。


「ち、ちくしょう……! 見えねぇ……捉えられねぇ……!」


 強靱なメンタルを誇る鷲尾さえも、もはや戦意を喪失しかけている。

 それも仕方の無いことだと言えた。一方的に攻撃を受け続けたあげく、勇気を出して踏み出せば、激痛を伴う反撃が待っているのだから。


 速く、速く、速く、もっと速く。サラが更に速度を上げる。

 圧倒的なスピードが乗ったサラの攻撃。その威力はすでに重量級にも匹敵していた。


「ぐっ……ぐううううっ……!」


 だが無酸素運動での連続攻撃であり、体力の消耗は激しい。

 しかもサラは肋骨を負傷しているのだ。すでに試合時間は残り三十秒を切っているが、このペースでいけば最後まで保つかも難しい。

 それでもサラは決して諦めない。必死に苦痛を堪えながら攻撃の手を緩めない。


「サラ……頑張れ。頑張れっ!」


 気が付けば空吾は手に汗を握り、声を張り上げて応援していた。

 

「う、あ、あ、あッ…………ああああああぁぁぁぁ――――ッ!!」


 空吾の声援に応えるように、サラがまたしても速度を上げた。

 もはや人体の限界を超える動き。黄金の残像を残して舞台を荒れ狂う。


『嘘でしょ!? まだスピードが上がるのっ!?』

『もう、何やってるのかぜんぜん見えないんだけどっ!』

『あんなの……もう人間の動きじゃない!』


 ギャラリーから沸き起こる驚声と悲鳴。

 今となっては、生意気な新入りへの嘲りなど存在しない。

 そこにはもはや、圧倒的な強者へと向ける畏怖――そして憧憬があった。

 体落し、小内刈、大内刈、支釣込み足、足車。

 光速のステップの合間に、怒涛のように繰り出される技、技、技。

 ――それはまさに、嵐の姫君(プリンセス・ドゥ・オラージュ)。

 全てを切り裂き、破壊し尽くす黄金の嵐。

 対峙するものは、吹き飛ばされぬように、ただ必死に堪えるしかない。


「うあっ……!? あああっ……うあああぁぁ……ッ!」


 もはや鷲尾は顔面蒼白となり、防戦一方だった。

 攻撃を受ける度に崩れ、前のめり、よろめき、バランスを崩していく。

 その姿はまるで――嵐で翼がもがれた鷲が、断末魔の叫びを上げているようだった。


(これが……サラの本気なのか……!)


 ぶるりと、大きく身震いする空吾。

 その身と心は――激しい感動に打ち震えていた。

 十年来の付き合いなのだ。サラの実力は見定めていたつもりだった。

 だがサラの力は己の想定を超えており、そして空吾に新たな世界の光を感じさせた。

 ドクリ、ドクリ、と。空吾の胸が喜びと、未知への期待で高鳴る。

 それはまるで――始めて祖父の技を見た時のように。


(ああ……そうか。今分かった。じーちゃんが死んでから、俺はずっと退屈だったんだ)


 柔よく剛を制す。その神髄に憧れた。心の芯から憧れた。偉大な祖父に憧れた。

 だが、その道を示してくれる存在はもういない。標を失った若き達人にこれから待つのは、何人にも理解できぬ孤独な生――そのはずだった。

 だがそんな彼の背中を、必死に追いかける愛弟子が現れたのだ。


(サラ。お前はひょっとして……俺と同じ道を歩いてくれるのか……?)


 空吾は期待の眼差しで見つめていた。黄金の輝きを放つ嵐の姫君を。

 いつしか空吾の口元には、子供のような無邪気な笑みが浮かんでいた――


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「ぐううっ……! ぐぎぎッッ…………!」


 黄金の嵐の中心で、天狼院サラは苦痛の悲鳴を上げていた。

 間断無く攻撃を仕掛けたせいで、スタミナはとっくに限界だ。

 超速の切り返しのせいで、関節が悲鳴を上げ、筋肉が断裂しそうになっている。

 刻一刻と肋骨は悪化していく。痛みのせいで、気を抜けば失神しそうだ。


「ううううっ……! ああああああッッッ……!」


 今にも発狂しそうだ。

 全身がバラバラになりそうだ。

 泣き喚いて、ここから逃げ出してしまいたい。

 だがそれでも、彼女は嵐を巻き起こし続ける。

 その肉体を、その心を、不屈の魂で燃やし続ける。

 視界の端に――――東城空吾という憧れを捉えながら。


(助けられたあの日から……ずっとクーゴを追いかけてる。でも……まるで届かない)


 ――天狼院サラは、知っている。

 いくら世間から褒めそやされようと。いくら脚光を浴びようと。

 自分が凡才であると知っている。東城空吾には遠く及ばないと悟っている。

 いくらパワーがあろうと、動体視力があろうと、瞬発力があろうと。

 それでも武の頂は遠い。果てしなく遠い。今なお、空吾の影も踏めていない。

 己は一部の才能に特化しているだけ、部分的に優れているだけだ。

 それでは『柔よく剛を制す』の境地には程遠い。彼にはとても追いつけない。

 あの日見た――天上に輝く星のような、東城空吾という頂に……!


(でも……それでもアタシはっ――――!)


 ただひたすらに、ただ愚直に、彼に学び続ける。

 彼の隣に並びながら、彼の考えを、彼の心を知り続ける。

 だが時々、不安になる。自分のような凡人が彼の隣に居ていいのかと。

 だから証明しなくてはいけない。自分が彼の隣を歩くのに、相応しい人間であると。

 愚かな世間に、か弱い自分に、そして最愛の師匠に証明してみせるのだ。

 その為には、勝たなくてはいけない。絶対に負けるわけにはいかない。

 勝って勝って勝ち続け、当たり前のように勝たなくてはいけない。

 毎日狂ったように稽古し、疲れたら泥のように眠り、起きたら稽古に明け暮れるのみ。

 全中三連覇が何だというのか。インターハイが何だ。仮初めの頂点がどうした。柔道日本一など、柔道世界一など、自分にとっては通過点に過ぎないのだから。

 自分が目指すのは武の頂。東城空吾の隣に並び立つ事なのだ!


(なのに――このていたらく! アタシのド馬鹿たれッッッ!!)

 

 鷲尾程度の相手に油断し、負傷して追い詰められている。

 気付けば空吾を失望させて、不安にさせてしまっている。

 そんな迂闊で愚かな自分を殴りたい。締め殺したくなる。


「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァ――――ッッッ!!」


 死力を振り絞って、天狼院サラは咆吼する。

 もはや戦略も戦術も無い。あるのは焼け付くような勝利への執念。

 絶対に一本勝ちを獲ようとする、阿修羅のごとき狂おしき闘志のみ。


「ぐあああっ……! もうダメだぁっ!」


 揺さぶられ続けた鷲尾の脚力が、ついに崩壊の時を迎えた。

 つんのめるような鷲尾の右足立ち。その足下にサラが弾丸のように飛び込む。

 そして懐に潜り込みながら、前襟と前帯をガッチリと握る。


「クーゴとアタシの歩く『道』をッ! 邪魔すんじゃないわよ――――ッ!!」


 そして――全身全霊の力を、前帯から上方へと爆発させた。

 重さを失っていた鷲尾の巨体は、花火のように空中に打ち上げられ。

 その死に体が、天から地へと孤を描きながら急転直下に落ちていく。

 その光景はまるで、天変地異にようって巨峰がひっくり返るようで――

 

 ――――ドバアアアアアアアアンッ!!


 一本、それまで。

 まるで世界へと誇示するように、高らかに畳が打ち鳴らされ。

 己が高校柔道女子最強であることを、天狼院サラは証明してみせたのだった。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

※『柔神の愛弟子ッ!!』イメージソングをふじしなさんが作ってくれました! とても趣向を凝らした楽しい動画ですので、ぜひ見てみて下さい!→https://www.youtube.com/watch?v=2clppfMHDG4

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