【5】
天狼院サラは、すでに己の勝利を確信していた。
すでに試合は終盤を迎え、残り時間一分半。ポイントは自分が優勢。
空吾の指示通りに鷲尾の技も封じ、後は無理せずにポイントを稼いでいけばいい。
「油断するなよサラ!」
空吾の激が聞こえてくるが、サラはそれを笑いながら受け流す。
(まったく……クーゴは心配性なんだから。それにしても……ちょっとガッカリ)
サラは、対戦相手である鷲尾のレベルに落胆していた。
高校女子柔道最強と聞いていたのに、教科書通りの戦法で圧倒してしまったからだ。
むろん空吾のコーチングのおかげもあると分かっている。だがもっと白熱した試合展開を想定していたサラは、大きく失望感を抱いていた。
(……まぁ、いいわ。後は時間切れで終わらせよっと)
本当は一本で勝負を決めたいが、今回ばかりは負けられない。
無理せず、あと一分半。このまま優勢勝ち狙いにいけばいいのだ。
サラはそう意識を切り替えて、より守備的な戦法を取り続けるのだった。
「だあああああああッ!」
またしても、鷲尾が強引に技を仕掛けてくる。
それを楽々と躱すサラだったが、はずみで場外に押し出される。
「はあっ……はあっ……はあっ……!」
鷲尾の動きは鈍り切り、サラのスピードにまるでついてこれていない。
もはや勝利を確信したサラは、すでに試合後のことへと想いを巡らせていた。
(試合が終わったらクーゴとデート。どこに行こうかな~~?)
着崩れた道着を直しつつ、浮ついた視線を空吾に向けるサラ。
しかしその横顔に向かって、鷲尾が陰鬱とした声で語りかける。
「けっ……流石は天才様だねェ。オレの事なんてもう目に無いってワケか?」
よくある挑発だと思い、無視を決め込もうするサラだったが――
「でも男の趣味は最悪だよな。あんなモヤシのどこがいいんだァ?」
空吾のことを中傷をされ、怒りの導火線に火が点く。
それでもどうにか我慢するが、なおも中傷を続ける鷲尾に苛立ちは募るばかり。
「あんな弱そうな男が最愛の人だって? お前って目が腐ってんじゃねーの? 世間じゃ『月とミジンコ』のカップルって言われてんだってなァ?」
「…………黙りなさいよ」
「ハッ! オレだったら、あんなヒョロガリなんて死んでもごめんだぜ! チビだし冴えねーし一緒に歩くのも恥ずかしいねェ! あんなの、ゴミだろゴミ!」
「いい加減にしなさいよっ! ぶっ殺すわよアンタっ!!」
しかし――ついに我慢が限界を突き破り、思わず鷲尾に掴みかかるサラ。
そこに慌てて、審判である亀子が駆け寄ってくる。
「ちょ、ちょっとサラ! 何をやってるのよ!?」
「聞いてたでしょ亀ちゃん! さっきからこいつが……!」
サラは『我が意を得たり』とばかりに、鷲尾への処罰を期待するが――
「白、指導! 試合中の暴言や暴力行為は反則よ! 次やったら警告だからね!」
「えっ、アタシが!?」
しかし、指導が下されたのはサラの方だった。
しばし呆然とするサラだったが、状況を理解したのか亀子を睨み付ける。
「に、睨まないでよぉ~~! アンタが公平に審判をやれって言ったんでしょ~~!?」
亀子が涙目になって言い訳するが、まるでサラの怒りは収まらない。
「ふざけないで! アタシは悪くないわ! 一体どこに目をつけてっ……!」
納得がいかず、サラは更に亀子に食ってかかろうとするが――
「サラ! 反則負けになりたいのか!!」
空吾の叱咤を受けて、ハッと我に返る。
振り返れば、空吾が厳しい顔でサラを見詰めていた。
(……いけないっ! 何やってるのよ……バカ! 冷静になれっ!)
裁定は釈然としないが、今は試合中なのだ。
これ以上、審判に楯突いて反則負けにされるわけにはいかない。
何よりも、空吾にこれ以上失望されたくはなかった。
「……ごめんなさい。気をつけるわ」
サラは嫌々だが亀子に頭を下げ、気を落ち着かせるべく何度も深呼吸をする。
それから、開始線に立って視線を上げると――そこでは鷲尾がサラを嘲るように、ニヤニヤと笑みを浮かべて待ち構えていた。
(わざとだ……! あいつ狙ってやったんだ……!)
サラの頭が、怒りで『カアッ』と沸騰する。
試合巧者の鷲尾は、審判の死角を突いてサラを挑発した。
そして目論み通り失態を引き出し、まんまとポイントを稼いでみせたというわけだ。
賛否両論別れるであろう戦法ではあるが、これもまた真剣勝負である。しかしそれを容認できるほど、今のサラは寛容な心を持っていなかった。
(実力で勝てないからって……この卑怯者! 絶対に一本取ってやるんだから!)
「――始めッ!」
試合再開と同時に、弾丸のようにサラは飛び出した。
先程までとは違い戦意は充分だ。しかし――そのせいで気付けなかった。
その動きがあまりにも直線的であり、鷲尾がその瞬間を狙っていたことを。
――ゴヅンッ!!
「いぎっ!?」突如、サラの視界に火花が飛び散った。
サラが飛び出す動きに合わせて、鷲尾が強烈な頭突きを当てたのだ。
(えっ……何? 景色がぐにゃーって……!?)
脳震盪を起こして朦朧とするサラ。だが未熟な審判は気付かない。
「おいっ、審判――」
血相を変えた空吾が抗議しようとするが、それよりも早く――
「やっと……つかまえたぜ♪」
鷲尾が『ニヤリ』と、凶暴な猛禽の笑みを浮かべた。
この終盤に来てついに――サラの道着を掴んだのだ。
「うおらああああああああああああぁぁぁ――――ッ!!」
力任せの強引な払い腰に、サラの身体が大きく跳ね飛ぶ。
(うぐっ……いけないっ……!?)
敗北を予感したサラが、瞬間的に身をくねらせて必死に足掻くが。
勢いよく身体が畳に叩きつけられ、それと同時に悲劇がサラを襲う。
――――ビギイイッ!
「がはあっ!?」激痛のあまり、声にならない叫びを上げるサラ。
鷲尾の巨体を浴びせられ、肋骨にヒビが入ってしまったのだ。
「わ、技ありッ!!」
異変に気付かぬ亀子が技ありを判定し、そして試合を続行する。
『『『ワアアアアアアアッ!!』』』
沈黙に包まれていた道場が、女子部員たちの歓声で沸き返る。
ついに鷲尾がポイントを取り返し、勝利に大きく近付いたからだ。
五里鯨も大きくガッツポーズを取り、言語不明瞭なやかましい歓声を上げている。
(ダメ……このままじゃ……試合が終わっちゃう……!)
サラは必死に身を起こそうとするが、手足に力が入らず気だけが焦る。
そんなサラにトドメとばかりに、鷲尾が寝技に持ち込もうとするが――
「おい審判! いったん止めろ! サラは脳震盪を起こしてるぞ!」
今度こそ空吾が大声で制し、そこでやっと亀子がサラの異変に気付いた。
すぐさま試合は中断され、サラの下へ慌てて空吾が駆け寄る。
「くそっ……大丈夫かサラ! しっかりしろ!」
必死に呼びかける空吾の顔を見つめながら、心中で謝罪をするサラ。
(ごめんね……クーゴ)
それから暗くなっていく視界の中で――いつしか意識を手放していた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『日本なんて大嫌い。柔道もつまらない』
それが、来日したばかりの天狼院サラの口癖だった。
フランス人の両親を交通事故で亡くし、身寄りが無かった当時七才のサラは、親交の深かった日本の柔道家に引き取られることとなった。
だがサラは心を閉ざし、日本の生活に馴染む努力を放棄していた。
ただでさえ金髪碧眼で目立つ上に、明らかに反抗的な態度を見せるサラ。
そんな彼女は転入した小学校で、すぐさまイジメの標的に遭ってしまった。
しかしサラは、それを黙って受け入れるような優しい性分ではなかった。
『文句がある奴はかかってきなさいよ! 日本人なんかにアタシが負けるか!』
――それから、毎日のようにサラはケンカに明け暮れる。
ケンカをすれば連戦連勝。抜群の身体能力のおかげで、同年代の子供たちに彼女を打ち負かせる者などおらず、気が付けばサラは地元の小学校で敵無しとなっていた。
小学校を制圧した後は他区のグループと衝突し、その火種はどんどん大きくなる。
困った義父の昭磨は、サラに柔道を教えて更生に導こうとする。しかし堅苦しい礼儀が肌に合わなかったサラは、柔道を学ぶことを徹底的に拒否した。
だがそんなある日――ついにサラは、絶体絶命の危機に陥ってしまう。
その頃には中学生たちと抗争を続けていたサラだったが、敵対する不良グループが高校生の助っ人を連れて来たのだ。
その兄貴分は、身長を優に百八十センチを上回り、体重も九十キロを超えており。幼かったサラには、そんな敵がまるで山のように見えた。
『こんなの……勝てるわけない……!』
圧倒的な体格差を前に、まるで歯が立たずに敗北するサラ。
そして動けなくなったサラを、不良たちはよってたかって袋叩きにする。
『痛い……痛いよぉ……! 助けてよ……パパ……ママぁ…………!』
いつまでも終わらぬ痛みと恐怖。
ついにサラが涙と悲鳴を溢し、その心が折れそうになった時――――ひょっこりと、一人の冴えない少年が現れたのだった。
『――――おい。女の子一人に、何やってんだよお前ら』
その冴えない少年の事を、サラは覚えていた。
義父が管理する道場に、よく彼の祖父と一緒に稽古に来る同級生。見るからに弱そうだと決めつけて、全く興味を持っていなかったが。
『誰かを守るためだったら……じいちゃんも許してくれるよな?』
少年はそう呟くと、凶悪な巨人に向かって無謀とも思える戦いを挑む。
『いくらなんでも無茶よ! アタシの事はいいから逃げて――』
サラがそう叫ぼうとした時。敵の巨体が、まるでボールのように中空を舞った。
そして彼は、瞬く間に不良グループを制圧してしまったのだ。
(すごい……! 何なのアレ…………!?)
その時に見た柔の極地を、武の頂を――天狼院サラは生涯忘れまいと誓った。
本当の格好良さとは。本当の優しさとは。本当の強さとは。一体何なのか?
あれほどの力を持つにも関わらず、少年は日々を慎ましく生きていたのだ。
暴力を振りかざし、いたずらに強さを誇示していた己が、あまりにも恥ずかしく思えた。
そんな昔も。それから今もずっと。
天狼院サラは――東城空吾の、あまりにも遠い背中を追い続けている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「――――おい、サラっ! 聞こえるか! 大丈夫か!?」
「あれっ……クーゴ……?」
空吾の懸命な呼び声に、幼き日の夢から引き戻されるサラ。
「そんなに慌てて、どうしたの……がっ……!?」
しかし呼吸をすれば肋骨が鋭く痛む。そして額にも鈍い痛みがあった。
周囲を見渡せば大勢の観客が見つめており、そこで今は試合中なのだと思い出す。
(残り時間は一分。現在は試合を中断中。ポイントは技ありで相手が大きくリード。そして……アタシは肋骨を負傷している。まったく……大ピンチじゃない)
激情に駆られてた先程とは違い、サラは現状を冷静に把握することができていた。
「ぐっ……!」
それにしても肋骨が痛みが酷い。思わず顔をしかめてしまうほどだ。
額に触れれば血が滲んでいたが、こちらは大したダメージではない。サラは柔道着の袖で額を拭うと、不安そうに見つめている空吾を、申し訳なさそうに見返した。
「ごめんね、クーゴ。アタシ……油断しちゃった」
力無いサラの謝罪を受けて、しばらく思案していた空吾は口を開く。
だが、そこから紡がれた言葉は――サラには受け入れられないものだった。
「……なぁサラ。この試合は棄権しよう」
「えっ……!? な、何を言ってるのよクーゴ!?」
激しく狼狽し、縋るように掴みかかるサラ。
しかし空吾は譲らず、真剣な眼差しでサラを説き伏せにかかる。
「肋骨をこれ以上悪化させたら、全治一二ヶ月じゃ済まなくなる。それに、元からこっちは無茶な条件に付き合ってるんだ。この場での勢い任せの口約束なんて気にする必要はない。安心しろ、後の交渉は俺に任せて――」
本当に心配してくれているのだろう。優しく言い聞かせる空吾の心遣いが、サラは嬉しかった。だがそれでも――その言い分を受け入れるわけにはいかなかった。
「ありがとうクーゴ。でも……絶対にイヤ」
「ワガママを言うな! 今年を棒に振る気か!?」
「心配かけてごめん……でも見てて。もうあいつには何もさせないから」
「サラ……だが……!」
「これは女の意地なのよ。お願い。アタシを信じて」
引き留める空吾を振り払い、サラは審判に大声で呼びかける。
「さぁ、亀ちゃん! 試合再開しましょうか!」
――そして再び、サラと鷲尾は向かい合う。
すでに準備が出来ているのか、審判の判断を待つ時計係。
審判である亀子も『ぴしゃり!』と自分の頬を叩き、集中力を高めている。
「おい……お前。アバラ折れてんだろ? これ以上、悪化しても知らねーぞ?」
多少の負い目を感じているのか、遠回しに棄権を呼びかける鷲尾。
サラはその忠告を聞き流そうとするが、ふと先ほどの会話を思い出した。
「アンタさっき言ったわよね。アタシのことを『天才』だって」
「……あん? だからなんだよ? 自慢でもするつもりか?」
鷲尾の問いにかぶりを振ると、サラは熱に浮かされるように語り始める。
「アタシは天才でも何でもないわ。本当の天才はクーゴだけよ」
「はぁ……? オレには到底信じられねぇな。あんなモヤシが天才だって?」
「ええ、そうよ。アタシはクーゴを必死で追いかけている凡人に過ぎない。昔からずっと追いかけて、追いかけ続けて……それでもまだ全然その背中に追いつけない。だからこそ、こんな所で無駄な時間を使ってる暇なんて無いのよ」
そう言い終えるとサラは目を瞑り、大きく深呼吸をする。
そして深く深く――自分の心の内側に潜っていく。
まるで無数の細胞に呼びかけるように。
まるで太古の記憶を呼び覚ますように。
まるで――悪魔と禁断の契約を交わすように。
「な……なんだ……? お前、雰囲気が……!?」
サラから発せられる異常な気配を感じ取り、ぞわりと身を震わせる鷲尾。
そして開眼すると、餓狼のように獰猛な笑みを浮かべるサラ。
その碧い瞳には――逆襲の炎が激しく燃え盛っていた。
「最愛の師匠の前で、よくも恥をかかせてくれたわね――覚悟しなさいよ?」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
※『柔神の愛弟子ッ!!』イメージソングをふじしなさんが作ってくれました! とても趣向を凝らした楽しい動画ですので、ぜひ見てみて下さい!→https://www.youtube.com/watch?v=2clppfMHDG4
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます