【4】
武帝学園の柔道場は、緊迫した空気に包まれていた。
女子柔道部監督である五里鯨の提案により、天狼院サラと鷲尾ひびきの対戦が突如として行われる事になったからだ。
百名近いギャラリーが試合の開始を待っていたが、その中には密かに部外者も紛れていた。
そのうちの一人が、ソウカイスポーツの女記者・歌森うぐいす。半年前にサラに空吾との関係を問い、大騒ぎになる切っ掛けを生み出した張本人でもある。
(うふふふふっ……面白くなってきたわぁ!)
歌森は清掃員に変装し、警備をくぐり抜けてこの場に居た。
サラが本日、武帝学園を訪れると知り、独断で潜入取材に乗り切ったのだ。
(天狼院サラのスクープをゲットする為なら、多少の危ない橋くらいは渡ってやるわ! 絶対にスクープをゲットして、私は本社に栄転してやるのよ!)
出世欲の塊である歌森は、ギラギラと瞳を輝かせてサラを凝視する。
そんなサラは、隣に立つ東城空吾の指示を真剣な眼差しで聞いていた。
(空吾クンねぇ……サラちゃんは世界最高の師匠だと言っていたけれど……)
――東城空吾。見た目冴えない高校一年生。
何らかの武道は習っている模様だが、その実力派不明。
サラとは十年来の幼馴染み。そして彼女の柔道のコーチングを行っていたのだという。
(でも確かに彼は、普通の男子高生と違う気がする。何というか、非常に物腰が落ち着いている気がする。ひょっとして……本当に大物なのかしら……?)
破天荒な歌森ではあるが、記者としての勘は鋭いものがあった。
これで問題さえ起こさなければ、出世も間違いないと陰で囁かれているのだが、いかんせん本人だけが空回りしている事に気付いていないのだった。
(何にせよ、すごい事になりそうね! いい記事書かせてちょうだいよっ!)
歌森は心中でそう叫びながら、モップに仕込んだ小型カメラを掲げるのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「そっ、そろそろ試合を開始するわよ~~っ!」
柔道場の中央で、赤井亀子の上擦った声が響く。
今回は非公式の試合なので、審判は主審だけで行われる。
そして公平性を期す為に、サラの信頼を得た亀子に白羽の矢が立ったのだ。
「うううっ……どうして私がこんな目に……!」
いきなりの重責を負わされて、顔色を青くしている亀子。
むろん全力で拒否したのが、サラの強い要望により最終的には折れる事になった。
「立場を取るか……友情を取るか……どうすればいいのよぉ……!」
しかし女子柔道部での今後の自分の立場を考えれば、そのレフェリングは不興を買わないものである必要がある。しかし、憧れのライバルであるサラとの関係を考えれば、公平なレフェリングをする必要がある。今の亀子は、壮絶なジレンマに陥っていた。
「……サラ。調子はどうだ?」
空吾が問いかけると、準備運動をしていたサラが相好を崩す。
「問題無い、絶好調よ。それで指示は?」
「まずは様子見といこう。相手のリズムを掴め」
「ダコール(了解)、最初から飛ばすのはやめとくわ。他に注意すべきことは?」
「掴まれなければ十中八九お前が勝つ。一本勝ちは難しいかもしれないが」
力強い空吾の言葉を受けて――多少は緊張していたのだろう――サラが安堵の表情を浮かべる。それからピースサインを作ると、爽快な笑顔で勝利宣言をした。
「了解よ、モン・シエリ(最愛の人)! 絶対に勝ってみせるからね!」
「だから、それはやめてくれ!?」
動揺する空吾の横を通り過ぎ、笑顔で試合場に向かうサラ。
しかしその瞳は真剣そのもので、全身からは燃えるような闘志が滾っていた。
「正面に礼! お互いに礼!」
亀子の号令の下、互いに礼を交わすサラと鷲尾。
――赤・鷲尾ひびき。180センチ、80キロ。
中学・高校とタイトルを総ナメし、現在は高校女子柔道最強と謳われる存在。
悠然と構えるその姿は、まるで富士山のようにたくましい。柔道界でも有名人であり『青森のアマゾネス』の通り名で知られている。
――白・天狼院サラ。158センチ、48キロ。
全国中学校柔道大会を三階級制覇。天才少女と名高く輝かしい将来を属望される。実力・容姿・人気揃って抜群。最近は『柔道姫』の通り名が定着している。
張り詰める空気。階級差のせいで鷲尾有利との見方が多いが、未来の柔道界を担うホープ同士の激突であり、試合を待つ観客たちの顔は緊張に溢れていた。
「――――始めッ!」
試合開始の合図と同時に、鷲尾が猛然と襲いかかった。
「うらァ!」ほとんど蹴りに近い足払い。まるで振り回される丸太のようだ。
それをサラが、バックステップで俊敏に躱す。しかし鷲尾は追撃の手を緩めない。その名に相応しい鉤爪のような掌を、サラの上半身目掛けて突き出してくる。
怒濤のごとく繰り出される鷲尾の剛腕。
それをサラは、避け、捌き、どうにか凌ぎ続ける。
しかし防戦一方の展開が続き、審判である亀子の瞳が『このままの状況が続くなら、サラに指導を出す』とばかりに厳しく追っていた。
『『『鷲尾さーん! ファイト――!!』』』
女子部員たちが熱声を張り上げる。その声援は全てが鷲尾へのものだ。
『やっちゃえ、鷲尾さん! 所詮相手は中学レベルですよ~~!』
『あんな柔道ナメてる奴が、鷲尾さんに勝てるわけないわッ!』
『ちょっと可愛いからって調子に乗りすぎ! シメちゃって下さい!』
横合いからの野次が耳に入り、怒鳴りたい激情に襲われる空吾。
しかし今は我慢とばかり耐える。サラならば、そんな罵声などすぐに吹き飛ばしてくれると信じているからだ。
「サラ! そろそろ牽制していけ!」
空吾が次の指示を出す。サラが鷲尾の動きに慣れたと判断したからだ。
するとサラは動きを変化させ、牽制の足技を飛ばし始めた。
「……チッ!」
予想外のサラの粘りに、苛立った鷲尾が舌打ちする。
サラは素早い身のこなしで、全く鷲尾に組手を取らせない。かと思えば瞬間的に懐に入り、不完全ながらも技を仕掛けていく。
その後を狙って鷲尾が奥襟を取ろうとするが、その時にはサラは鷲尾の間合いから脱出している。そんな試合展開がしばらく続いた。
こうなると、サラが優勢なのは明らかだった。ポイントは取れないとはいえ、一方的に技を仕掛け続けているのだから。
『ね、ねぇ……あの子、組手上手くない?』
『う、うん。鷲尾さんが、全然良いトコ持たせて貰えない!』
『まっ、まぐれよ! こんな状況が続くわけがないわ!』
女子部員たちの動揺の声に、内心でしたり顔をする空吾。
小兵のサラにとって組手争いは生命線だ。鷲尾のような大柄な選手を相手に奥襟を取られれば、次の瞬間に試合は終了してしまうだろう。
ゆえにサラはその状況を想定し――柔神館で組手を磨き続けていたのだ。
「ぬうううッ!」
痺れを切らした鷲尾が、強引に右腕を伸ばして奥襟を奪いにいく。
重心は崩れたものの、やっと襟を取る事に成功し、その顔に喜色が宿る。
――だが、それはサラの罠だった。
サラは奥襟に触れられた瞬間、鷲尾の右肩を支点に素早く身を翻した。
「うおっ!?」
たまらず前方に、鷲尾の身体がゴロリと一回転する。
「ゆっ、有効!」
すかさず亀子がポイントを叫び、周囲から驚声が沸き起こる。
「あ、あの鷲尾さんが……!」
「投げられた……!?」
「そんな……嘘でしょっ!?」
サラが放ったのは『腕返し』と言う技だ。
しかし体重差のせいか、技のキレがイマイチだった。ただでさえ腕返しは一本を取り難い技なので、この判定は仕方が無いのだが。
ともあれ、これで有利になった――と、空吾は次なる展開をイメージしていく。
「な、何をやっとるかァ鷲尾ッ! 俺に恥をかかせるなッ! この馬鹿もんが――ッ!」
「くっ、くそおおおおっ!」
五里鯨の怒声に煽られて、焦った鷲尾がサラが寝技を狙う。
その巨躯をまともに受ければ、軽量のサラは成す術なく押さえ込まれてしまうだろう。
「サラ! すぐに立て!」
だからこそ、寝技の展開には持ち込ませるわけにはいかない。
空吾の指示と同時に、サラは前転して鷲尾の腕を掻い潜ると、さっさと立ち上がる。それを見届けて、空吾は安堵の溜息を吐いた。
「調子に乗るんじゃないよッ!」
しかし流石に高校王者。鷲尾もすぐさま対応する。
寝技にはいけないと判断し、すぐさま立技主体の戦法にチェンジする。
むろん充分に組手を取る事も出来ないが、時折片手で袖や帯を掴み、不完全な姿勢からでもとにかく技を出し続ける。
「うおおおおおおおッ!」
巌のような巨体と、圧倒的なパワーを活かして攻める鷲尾。
鷲尾が攻撃を仕掛ける度に、サラの身体がフワリと浮く。それはまるで、巨大な波に翻弄される小舟のようだった。
30キロの体格差というものは、想像を絶するほどに大きいものだ。
小者が安易に正面から技をかけても、大者は巨木のようにピクリともせず、あまつさえ易々と相手を持ち上げる事も可能。例えるなら、成人男子と幼稚園児ほどの差がある。
『柔よく剛を制す』の理念など、笑い飛ばすかのような現実があるのだ。
――だがしかし。
直立する巨木を倒すのは確かに難しい。それでも傾いた巨木を倒すことは、比較的容易である。そしてそれを体現する事こそが――本来の柔道の目的なのだ。
「せやあっ!」「うわあっ!?」
一瞬の隙を突いてのサラの技に、たまらず鷲尾が尻餅をつく。
「有効ッ!」
鷲尾が力任せに体落としを仕掛け、それを躱したサラが直後に前足を刈ったのだ。
しかも刈る瞬間を狙い、引手と釣手を同時に掴んだ。傍目には、いきなり鷲尾が吹っ飛んだように見えたはずだ。まさに超絶技巧と言えるだろう。
『う……嘘でしょ……?』
『私達じゃ、手も足も出ない鷲尾さんが……!』
『あの子って……実はマジで凄いの……?』
サラの力量に圧倒され、喧しかった女子部員たちが、すっかり静かになる。
(部員たちには、サラの強さは伝わったようだな。だが……)
空吾の視線の先には、見苦しく騒ぎ立てる五里鯨の姿があった。
「何をやっとるか鷲尾ォォォッ! そんな小娘相手にふぬけた試合をしておって! いい加減にせんとレギュラーを下ろすぞッ! この役立たずがああああッッッ!」
五里鯨はサラの活躍を否定し、健闘している鷲尾をも罵倒している。
(あのジジィ……最低の指導者だな)
そんな罵詈雑言を喚き立てる姿が、もはや空吾の瞳には柔道家としても指導者としても三流であるようにしか映らなかった。
(あんなダメジジィはどうでもいい。問題はそれよりも……)
「ちっ……調子に乗るんじゃないよッ!」
まだ、劣勢のはずの鷲尾の目が死んでいない。それが空吾には気になった。
鷲尾は高校三年となる現在まで、国内・国外問わず、数多くの試合を戦っている。
今までの試合の中で、数々のピンチがあっただろう。その中には格上との戦いも存在したはずだし、それを打開する算段も当然持っているはずだ。
真剣勝負は精神力を飛躍的に向上させる。ゆえにそれを何度も乗り越えた鷲尾は、決して油断の出来る相手ではないのだ。
一方でサラは、実力は充分だが、真剣勝負の経験が圧倒的に足りていない。
(残り時間は二分。有効二つ。このままいけば勝てるはずだが……)
空吾は試合終了までの展開をイメージする。
このまま油断さえしなければ、サラの優位は動かない――そのはずだが。
「はあっ……はあっ……!」
多量の汗で髪を濡らしながら、激しく息を切らす鷲尾。そのスタミナは既に尽きかけているが、絶対に勝ってやろうという強烈な意志に溢れている。
一方、サラは勝利を確信しているのか、どこか緊張感の無い顔をしている。
それどころか、心配そうに見るめる空吾に向かって、ウインクをする始末だった。
「おいサラ! このアホ娘! 気を抜くな! 」
空吾が檄を飛ばしても、サラは楽観的な表情のまま。
(あいつはこんな時……思いもよらないミスをする事がある……!)
高まる不安に胸を締め付けられながら――サラの背を見守るしかない空吾だった。
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