【3】


 小一時間ほど電車に揺られて。

 到着した駅から更に歩き――約十分。

 三分咲きの桜並木を通り過ぎて、空吾とサラは武帝学園に辿り着いていた。


「さすが……全国でも指折りのスポーツエリート高校だな……!」


 要塞のごとき校舎を見上げながら、感嘆の声を漏らす空吾。

 広大な敷地内には幾つもの運動施設が並び、トップアスリートを目指す者たちが、鬼気迫る形相でトレーニングに励んでいる。その姿を見て、緊張は高まるばかりだった。


「クーゴ~~だいしゅき~~。むにゃむにゃ~ん」


 そんな空吾の心中も知らず、彼の背中でのんきに寝言を口にするサラ。

 柔神館での連日の猛稽古のせいか、現在はひたすらにスリープモード。いくら起こしても眠ってしまうので、最終的には空吾が天狼院宅からここまで負ぶってくるという羽目になったのだった。

 そして当然――そんな二人の姿は注目を集めるわけで。


『見ろよあれ……天狼院サラだ!』

『うわっ、本物だ! マジで可愛いじゃん……!』

『サイン貰えないかなぁ……? 大ファンなんだよね』


 もはや国民的人気者となったサラ。どこに行っても、憧れと好意の視線が注がれる。


『それで隣のクソ野郎が……例の冴えない彼氏かよ。ペッ』

『何でサラちゃんをおんぶしてんの? 羨ましい……死ねばいいのに』

『何が世界一のコーチだよ! ふざけんなペテンモヤシ! うらやまクソ野郎!』


 一方、サラとは対照的に、空吾に向けられるのは嫉妬と侮蔑の視線。

 すでに慣れ始めていたが、目立つのが嫌いな空吾にとってはやはり苦痛だった。


 東城空吾は、野心とは無縁の少年である。

 生まれ育った地元を愛し。そのまま地元の高校と大学に入り、やがては地元で公務員となり……そうやってずっと穏やかに生きていく事が、強いて言うなら彼の夢だった。

 唯一の趣味と言えるのは、祖父から習った柔神流兵法術。

 非凡な才に恵まれたおかげで、メキメキと実力をつけていったが、将来的にそれで稼いでいこうなどとは思っていない。あくまでも趣味として、今まで通りに稽古を続けていくだけだ。

 気が付けば、柔神流後継者という重い看板を背負ってしまっていたが、空吾の正体を知るのは一部の人間だけであり、それを自ら吹聴しようなどとは思わない。

 本音を言えば――少しだけ『退屈』だったが。それでも空吾は、充分に幸福な日常を実感していた。


(……なのに、なんでこんな事になっちゃったかなぁ)


 サラに巻き込まれるようにして決まった、武帝学園への入学。

 むろん全力で拒否しようと試みたのだが、鼓膜が破れそうなボリュームでサラに号泣され、サラの義両親には土下座して頼み込まれ、学費免除と聞いた自分の両親からは猛烈に説得されるわで、結局はしぶしぶ折れる事になってしまったのだ。


 ところで話は変わるが――空吾の理性はそろそろ限界寸前だった。

 サラに対する怒りでもなく、周囲から浴びせれる視線のせいでもない。


(こ、こいつ……また成長したというのかッ……!?)


 ――背中に押し当てられる柔らかな感触。

 ――耳元をくすぐる悩ましげな寝息。

 ――ほんのりと漂ってくる甘い香り。

 サラの無意識な誘惑が、思春期ド真ん中の空吾の本能を激しく刺激していた。

 いくら幼馴染みといえど、それを意識しないのは絶対に不可能である!


「お、おいサラっ! そろそろ起きろ!」


 もう耐えられんとばかりに、背中でのんきに眠るサラをロデオのように揺さぶる。

 すると、やっと目を覚ましたサラが、目蓋を擦りながら朝一番の愛を囁いた。


「ん……おはよ、クーゴ。今日も世界で一番愛してるわよ♥」

「ま、またお前はっ! すぐにそんな冗談をっ!」

「むぅ~~、だから冗談じゃないって言ってるじゃない。いつになったらクーゴはアタシの愛を受け止めてくれるの? アタシはもう色々と準備万端なのに!」

「準備万端って何がだよっ!? つーか、そろそろ下りろって!」

「ぶ~~、クーゴのいけず~~分かったわよぉ~~!」


 空吾の背から飛び下りたサラが、『う~ん』と背伸びをする。

 輝く黄金のポニーテール。空色に染まる碧い瞳。西洋人形のような端整な顔立ち。雪のような白肌と桜色のくちびる。制服のスカートの下から伸びるスラリと長い脚。何気ない仕草でさえも、思わず空吾が見惚れるほどに絵になっている。


(悔しいが……やっぱり、とんでもない美少女だよなぁ……)


 つい半年前までは、空吾もサラを異性として意識していなかった。

 しかし全中決勝後の告白により、もはや無視はできない存在となっていた。

 すでに世間では二人は、超格差カップルとして認識されているが、実際の所は今までの関係とまるで変わっていない。

 ともあれ、毎日のようにアプローチを仕掛けてくるサラをどうにか躱し、返答を先延ばしにする空吾だったが――それにはシンプルかつ深刻な理由があった。


(こいつと付き合う事になったら……俺の平穏な日常が完全に終わってしまう!)


 穏やかな日常を愛する空吾にとって、嵐のようなサラは天敵のような存在なのだ。


(でもなぁ……色々あって、簡単に断れないんだよなぁ……!)


 サラをフろうものなら『お前ごときが何様だ!』と、日本中が更に空吾をバッシングするだろう。そして空吾とサラの両親も結託して二人をくっつけようとしており、もしも破局してしまえば、どんな恐ろしい展開になってしまうのか分からない。

 そして、そもそも――空吾はサラの事を、嫌いなわけではないのだから。


「はああああああぁぁぁ~~~~~~!」


 複雑な想いを抱えながら、本日百度目の記念的溜息を吐く空吾だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「――あっ! 来たわね天狼院サラ! 我が生涯のライバルっ!」


 空吾とサラが、長い校道を歩いて柔道場に向かう途中。武帝学園のジャージを着たツインテールの少女が、高笑いを上げながら引き留めてくる。

 そんな彼女をしばらく見つめる空吾とサラだったが、やがて二人揃って首を傾げる。


「「…………誰?」」

「う、嘘でしょお~~!? 私のことを忘れたって言うの!?」


 忘れられていたと知って、激しくショックを受けるツインテ少女。


「私よ私! 赤井亀子よっ! 全中の決勝で当たったでしょ!? あんた相手に二分以上も持ち堪えたのは私だけじゃないのっ!」


 キィキィと涙目で騒ぎ立てるツインテ少女――亀子。

 非常にやかましいその姿を見て、サラと空吾は同時に彼女の事を思い出した。


「ああ、いたわね! あの、やたらうるさいツインテール!」

「ああ、あのめんどくさかった奴か。時間いっぱい逃げ回ってたな」

「そんな認識なのッ!? ひどい、ひどすぎるッ! うえええぇぇ~~~んっ!!」


 あまりの低評価に泣き崩れる亀子。その涙はまるで滝のよう。


「な……なんかごめんな……?」

「わ、悪いけど……また今度ね?」


 しかし約束の時刻が迫っていたため、号泣する亀子を置き去りにして、二人はその場を後にするのだった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「うわっ……知ってはいたけど。凄いなこりゃ」

「フフフ……なかなかじゃない。でもアタシとクーゴを迎えるなら、当然よね!」


 まるで宮殿のような柔道場を見上げながら、二人はそれぞれに感想を語った。

 武帝学園の柔道場は、規格外の設備と機能を誇っている。

 試合場が七面取れる程の練習場があり、最新鋭のスポーツジム顔負けの設備が揃い、レギュラーには専用の整体師やメンタルトレーナーも雇われている。全国制覇常連の名に恥じない、世界最高レベルの環境といえた。

 その柔道への熱意に衝撃を受けつつ、道場の扉を開く空吾だったが――


「むっ……?」


 柔道場に踏み入った瞬間に浴びせられたのは、温かい歓迎の言葉――などではなく、総勢五十名を超える、武帝学園女子柔道部の冷え切った眼差しだった。


(覚悟してはいたが……これはちょっと露骨すぎるだろ?)


 目の当たりにした敵意に、空吾は自分たちの置かれた立場を理解する。

 暗に『お前等なぞ認めていない』と告げている事を悟り、これからの学園生活を憂いて頭が痛くなる。しかし反対に、サラはそんな敵意などまるで意に介していなかった。


「文句があるならはっきり言いなさいよ! くだらないヤツらね!」


 恐れるどころか、部員たちを逆に睨み付けるサラ。


(こういう所は格好良いよな)


 その堂々とした姿に、空吾は苦笑しつつも感心してしまう。確かに自分たちは招かれた立場であり、決して負い目を感じる必要は無いのだ。


「クーゴ、早く理事長に挨拶をして帰りましょ。それと、せっかく都心まで来たんだから、スイーツでも食べていきましょうよ。気になってるお店があるの!」

「……ああ、そうだな。そうしよう」


 今日に二人が武帝学園を訪れた理由は、自分たちを学園に招き寄せた理事長に挨拶をする為だった。しかし見ての通り理事長は道場におらず、それならばこんな針のムシロのような場所で長居をする意味は無い。

 二人が部員たちに背を向けて、道場を立ち去ろうとするが――


「おい、天狼院サラ~~! 何を勝手に帰ろうとしとるかァ~~!!」


 野太い声を荒げ、額に青筋を浮かべた中年の巨漢がドシドシと走り寄ってきた。

 そして空吾とサラの前に山のように立ちはだかると、威圧的に睨み下ろしてくる。


「お前意外の部員は、とっくに春練に参加しとるんだぞ! 今さらノコノコやってきてウチの柔道部をナメとるのかァ――ッ!? ああ―――ッ!!?」


 いきなり馬鹿デカい声をぶつけられて、たまらず耳を抑える二人。

 その非常識な行動に苛立ちを募らせる空吾だったが、むしろサラの方は命令された事に対して腹を立てていた。


「ハァ……!? 何なのよ偉そうに! あんた誰よ!?」


 相手が巨漢だろうが、一歩も退かずに睨み付けるサラ。

 そんな気迫が込められた問い掛けに、巨漢は二重の意味で驚愕していた。


「な、なんだと!? この俺を知らんというのかッ!?」


 知っていて当然とばかりの巨漢の物言い。さらに呆気に取られる女子部員たちの反応に面食らったサラは、恥ずかしそうに頬を染めながら空吾を振り返った。


「ね、ねえ。クーゴは知ってる?」

「い、いいや。俺も柔道のことはさっぱりだから」


 情け無く顔を見合わせる二人。すると、その間に滑り込んでくる赤い影があった。


「にゃははははっ! 仕方がないから、この亀子様が教えてあげるわ~っ!」


 そう高らかに叫んで解説を始めたのは、先ほど置き去りにしてきた亀子だ。


「その人は五里鯨猛雄さん! 身長203センチ、体重145キロ、四十五才。主な戦績は全日本柔道選手権優勝。世界柔道選手権100キロ超級優勝。かつて『東洋の不沈艦』と恐れられた名選手よ! 今は現役を引退して、ここ武帝高校・女子柔道部の監督をしているわ!」


 分かりやすい亀子の解説に対して、素直に感心するサラ。


「ふーん……なるほど。あんた詳しいわね」

「こ、これくらい大したことないしっ! あんたが知らなさすぎるだけよっ!」


 そっぽを向きながら憎まれ口を叩く亀子。しかし憧れのライバルからの賛辞を受けて、その口元はニヨニヨと嬉しげに綻んでいた。


「……ふ~~ん?」


 自分に対するリスペクトを感じたのか、物怖じしない態度が気に入ったのか、亀子を見詰めるサラの瞳に楽しげな色が宿る。


「なんかアンタ面白いわね。亀ちゃんって呼んでいい?」

「か、亀ちゃん!? あんたね……私とあんたはライバルなわけでっ……!」

「え~~イヤなのぉ? ざんね~~ん!」

「べ、別にっ! イヤってわけじゃ……!」

「じゃあ亀ちゃんね! アタシの事は特別にサラって呼んでいいわ!」

「ふえぇぇぇ~~!? その距離の詰め方は何なのよぉ~~!」


 急激に打ち解け二人だったが、不愉快そう見ていた五里鯨が声を荒げる。


「何をくっちゃべっとる! おい赤井! 遅刻のお前は、後で校庭二十周だからなァ!」

「ぴいいいい~~っ! ごめんなさ~~~~い!」


 五里鯨に怒鳴られ、涙目で震え上がる亀子。

 一方でサラは腑に落ちたとばかりに、ニヤニヤと笑みを浮かべて亀子の顔を覗き込む。


「ひょっとして亀ちゃん……アタシのこと待って遅刻したわけ? そんなにまでして、アタシと早く会いたかったんだ? そうなんだぁ、へぇ~~~?」

「そ、そういうんじゃないし! ライバルに宣戦布告するのは当然の事だし! べ、別にサラと仲良くなりたかったワケじゃないんだからねっ!」


 図星だったのだろう。真っ赤な顔で、見事なツンデレを発揮する亀子だった。


 ところで――絆を深める二人を横目に、空吾はまるで他の事を考えていた。


(なるほど……あの五里鯨って奴が、ここの監督なんだな)

 

 柔道界の常識に疎い空吾も、日本一というタイトルの価値は分かる。

 五里鯨が偉そうに振る舞っているのも、日本一を笠に着ているからなのだろう。

 しかし五里鯨が監督だというならば、この現状はおかしい。サラは武帝学園の理事長権限で、自由練習を許されているはずなのだから。

 ――天狼院サラが武帝高校に要求し、受諾された条件は三つある。 

 ひとつ。部練習に参加する必要は無く、自由練習を許すこと。サラは柔道部には所属するが、これからも実家の傍にある柔神館で稽古を続けるつもりだった。

 ふたつ。待遇はレギュラーと同等。つまり、レギュラーではない一年生が課せられる雑用をサラは行わなくていい。そして、学園の施設を自由に使える。

 みっつ。専属のコーチの帯同を許すこと。つまり、空吾のことだ。

 その三つの注文を受け入れることを条件に、サラは武帝高校に入学することを決めた。確かに契約書を作ったし、それは法的な拘束力もあるものだ。


(五里鯨は、それを知らないのか? いや、そんなはずはない)


 となれば、反発心からの暴走か。エリートゆえの傲慢か。

 全てを知っている上で、五里鯨は強引に契約を潰し、サラを意のままに従わせるつもりなのだろう――それが空吾が導き出した結論だった。


「何をゴチャゴチャ言っとるかァ! いいからとっとと道着に着替えろ天狼院! 武帝学園の流儀をみっちりとその身体に教えてやるわッ!」


 物怖じしないサラに対して、五里鯨がことさら威圧的に怒鳴り立てる。

 気付けば女子部員は皆、萎縮している。そんな女子柔道部の空気を察した空吾は、五里鯨の指導方法を大まかに理解した。


(高校生のガキなんて、大声で威嚇すれば言いなりになるって思ってるわけか。随分と古くさい……くだらない教育方針だな)


 今までも五里鯨は、自分が日本一の選手だったという事を盾に、強引に生徒たちを従えてきたのだろう。しかし――今回ばかりは相手が悪すぎた。


「うっざ~~ッ! なんでアンタなんかに命令されなきゃいけないワケ?」


 サラは腕組みをしながら、小馬鹿にするように五里鯨を睨み上げる。


「な、なんだとぉ!? 貴様……いったい俺を誰だと思っとるんだッ!?」

「無駄にデカくて偉そうなオッサンね! どんだけ立派な肩書きがあるか知らないけど、少なくともアタシには、アンタを全く尊敬する気にはなれないわね!」

「ぐぐぐッ……貴様ッ…………貴様アァァァァッ!!」


 激高した五里鯨が顔を紅潮させる。もはや両者の激突は間近だ。

 しかしそんな最悪の状況を回避すべく、たまらず空吾が割って入った。


「おい! 口の利き方ァ!」


 空吾にチョップを入れられて「あうっ!?」と悲鳴を上げるサラ。


「だ、だってコイツぅ……!」

「いちおう監督なんだぞ! 言い方ってものがあるだろ!」


 反論しようとするサラを、空吾は兎にも角にも黙らせる。

 むろん空吾も、サラが悪くないことは分かっている。だが今が耐え時だと踏んでいた。

 何故ならば、利は明らかにこちらにあるのだ。

 とにかくこの場だけは平和的に乗り切り、後は理事長と相談して対応して貰えばいい。これ以上揉めて、部内での立場を悪化させる必要も無い。


「とにかく落ち着け! ここは堪えろ。後でクレープ買ってやるから。な?」

「うううっ……分かったわよぉ……! アイスもトッピングしてよね……!」


 感情的になるサラを必死に窘め、空吾は五里鯨に向かって頭を下げる。


「すいません……こいつ昔からホント無鉄砲で。後で言い聞かせておきますから」

「ふん……! 最近の若いモンは……!」


 空吾の対応により、少しだけ溜飲を下げる五里鯨。

 だがそれでもまだ怒りが収まらないのか、今度はその矛先を空吾に向けてきた。


「おい、東城とかいったな? お前はどうなんだ!?」

「……どうとは?」


 『めんどくせぇなぁ』と思いつつ、空吾は神妙な態度で問い返す。


「天狼院は、間違いなくオリンピックで表彰台を狙える逸材なんだぞ! そんな柔道界のホープを誑かすのは心は痛まんのかッ!? 男としてお前は最低のクズだ!」

「た、誑かすって……! 最低のクズって……!」


 あまりの一方的な言いがかりに、げんなりとする空吾。

 それと同時に、五里鯨が本当の本当に浅はかな人物なのだと理解した。


「お前みたいな冴えないガキが専属コーチだと? そんな貧弱な肉体で何が出来るというんだ! お前の化けの皮を剥いで、すぐに退学へと追い込んでやる……覚悟しておけよ!」


 控え目な空吾の性格に付け込み、ここぞとばかりに口を荒げる五里鯨。

 空吾は閉口しながら罵詈雑言を聞き流し、五里鯨が落ち着くのを待っていたが――


「……おいコラ、クソジジィ。何を好き勝手に言ってんのよ?」


 愛する師匠を侮辱され、ついにサラが我慢の限界に達してしまった。

 その形相は阿修羅のごとし。この世の終わりが来たのだと錯覚するほどだ。

 慌てて止めようとする空吾だが、完全にキレている事を悟って頭を抱える。


「空吾に謝りなさい! 今すぐに謝りなさい! とっとと謝れよおぉぉッ!!」


 響き渡るサラの怒声に、強豪で知られる武帝部員たちが圧倒されている。

 隣にいる亀子など「ふえぇぇ……!」と、涙目になりながら怯え切っていた。


「な……何だとゴラアァァ! 大人をナメるのもいい加減にしろッ!!」


 激高する五里鯨が、足下のドリンクボトルを蹴り飛ばす。

 それでもサラは全く怯まず、殺気に満ちた眼光で五里鯨を睨み上げた。


「アンタこそナメてんじゃないわよ! クーゴは世界で最強で最高のアタシの師匠なの! もしも謝らないって言うなら……骨の五、六本くらいは覚悟しなさいよッ! この図体だけのブタゴリラが! 痛風を拗らせて死ねッ!」


 罵倒しながら、ポキポキと拳を鳴らすサラ。

 喧嘩上等、退学上等、刑務所上等。もはや捨て身の覚悟だ。

 

「ぬ、ぬうぅぅ……!」


 しかし五里鯨には、サラほどの強い覚悟は無い。

 そして決定事項を勝手に捻じ曲げ、ここまで険悪な状況にしたのは己なのだ。それが理事長の耳に入ればタダでは済まないことも理解していた。

 だがそれでも――歪んだエリートのプライドが、彼に退く事を許さない。


「そ、そこまで言うなら……勝負しろォ! おい、鷲尾ォ!」


 五里鯨が呼びかけると、一人の精悍な女子部員が、ゆらりと歩み出る。

 好戦的な眼差し。肩まで伸びた漆黒の癖毛。鍛え抜かれた浅黒い巨体。

 そして、己を強者だと確信している――王者のごとき物腰。


「むっ……?」


 空吾は一目見て、鷲尾と呼ばれた部員の強さを察知した。


「お前がこの鷲尾に勝ったら、土下座でも何でもしてやろう! その代わり負けたら、大人しく俺のコーチングを受けると誓えッ!」


 そんな五里鯨の、あまりにも無茶苦茶で身勝手な要求を――


「言ったわね……上等ッ! 絶対にアンタを土下座させてやるわ!」


 しかし完全に頭に血が上ったサラは、二つ返事で受ける。


「ちょちょちょ! ちょっと待ちなさいよサラ!」


 しかしそこで、亀子が大慌てで待ったをかける。


「何よ、亀ちゃん!? 邪魔するならブッ飛ばすわよ!」

「ぴいいっ! そんなに怖い顔しないでよぉ!」


 血走った目で睨まれ、子亀のように縮み上がる亀子。

 それでも己の責務とばかりに、鷲尾という選手について必死に解説する。


「アンタたちは知らないんでしょうけど、あの人は『青森のアマゾネス』こと鷲尾ひびきさん! 身長182センチ、体重80キロ。インターハイ女子78キロ超級優勝。高校選手権無差別級優勝。世界ジュニア選手権をも制覇した……つまりは、高校女子柔道界で最強の存在と言ってもいいの! いくらアンタが凄くても勝てるワケがないわよ!」


 しかしそれを聞いたサラは、逆に闘志を燃やして不敵に笑った。


「へぇ……あいつ高校最強なんだ。アタシ、ワックワクしてきたわ!」

「あんたどこの戦闘民族よ!? 頭おかしいワケ!? 」

「いいから見ててよ、亀ちゃん。絶対にアタシが勝つから」

「くっ……すごい自信! 不覚にも格好良いと思ってしまったわッ……!」


 再びイチャつくサラと亀子。そんな二人の間に空吾が申し訳なさそうに入る。


「なぁ……サラ。本当にもう引き下がるつもりはないのか?」


 半ば諦めつつも、一縷の望みをかけて諭す空吾。

 だがその申し出を、サラは問答無用とばかりに撥ね除けた。


「絶対に無理! 今すぐあのゴリオヤジををぶちころがしたい!」

「おいおい……何をそんなに怒ってるんだよ……?」

「何を、ですって……!?」


 するとサラは目尻に『じわり』と涙を浮かべ――荒れ狂う感情を爆発させる。


「アタシの事を馬鹿にされるのは、なんとか我慢できる。でも、アタシの誰よりも尊敬する師匠の事を……あなたの事を馬鹿にされるのだけは、何があろうと絶対に許せないのよッ!」

「…………っ!?」


 サラの熱風のような叫びに、言葉を失って立ち尽くす空吾。

 どこまでもワガママで。嫌になるほど負けず嫌いで。いつも振り回されてばかりで。

 けれど、そのあまりにも真っ直ぐで純粋な想いに――空吾の胸が堪らなく熱くなる。


「まったく……お前ってヤツは……!」


 空吾は天を仰ぎ、大きく深呼吸をする。

 それから真剣な眼差しでサラを振り返ると、覚悟を決めたように告げた。


「……なら仕方がない。あいつらを力づくで納得させるぞ」


 サラは驚き顔で空吾を見詰めた後、それから頼もしそうに『ニヤリ』と笑った。


「……ふふっ。よろしくね師匠! 指示は任せたわよ!」



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

※『柔神の愛弟子ッ!!』イメージソングをふじしなさんが作ってくれました! とても趣向を凝らした楽しい動画ですので、ぜひ見てみて下さい!→https://www.youtube.com/watch?v=2clppfMHDG4




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