わたしのエリ②

 はじめてエリをこの部屋に招いた時、ほんとうに借りてきた猫のようだと感じたことを覚えている。


 わたしたちは年の離れた姉妹というにはギリギリで、それでも親子と思われるほどではなかっただろう。荷物をいくつか預かって、歩いて駅から戻るまでには、ずいぶん不思議な二人組だと思われたはずだ。


 築30年ほど。駅から徒歩十数分のこの物件は、専門学校を卒業してから就職先までは決まっていない現状で、今にして思えばよく借りられたと思えるほどには優良だった。ご近所づきあいはさほどなく、無断で同居人をつれ込めるほど規約は緩い。


 いちおうはペット禁止だが、たぶん下の階には猫がいる。


 *


「あらためて、○○さん(私のアカウント名)ですよね。よろしくお願いします」


 少し疲れた感じはあったが、こんな美少女がわたしにかしこまって頭を下げる姿には、ものすごい違和感があった。今にして思い返しても、エリのあのような姿は、違和感がすごい。


 とにかくあらかじめメッセージのやりとりで聞いていた通り、彼女は住む場所を失ってわたしの部屋で住まわせてくれないかということであった。


「それほど迷惑はかけません。部屋もそれほど場所を取ったりしません。私のことは、置物か何かと思ってください。食事もそんなにいりませんし、それなりですがお金も用意することは出来ます」


 すらすらと、彼女が説明していく言葉はいかにも怪しいものだった。

 SNSでの態度とも違い、今現在の彼女の態度ともやはり違っている。あらかじめ何度も暗唱していた文章を、ただ読み上げていくような。


 実際のところ、彼女のその主張は客観的には正しくも、こうして過ごしてみると大いに間違ったものだった。


 確かに彼女は普段動かず、働かず、食事も少量で後には貯金のたまった通帳を差し出された。


 しかし、家の中に常にこうした働かない奴がいることは、非常に目障りなものだった。部屋もほんの一畳とはいえ、ずっと占領されているのでは、もともと狭い一部屋がいっそう狭く感じてしまう。


 エリがよくできた置物というのはその通りにしても、安アパートの一部屋にそのようなインテリアはそもそも不釣り合いなものだった。


 食事もいくら少なくとも毎食一人分必要で、後で渡された明らかに彼女のものでない通帳と印鑑も、とても怪しすぎて降ろせないと感じた(結局後には使った)。


 とにかくエリの何から何までが怪しくて、そしてその容姿は妖しかった。


「頼れる人は、他に居ません。それに私のことを信じてくれる人もいないんです」


 前者はウソで、後者は本当。

 わたしは彼女のような可哀そうな美少女を思わず家に真似てしまうバカの中でも、選りすぐりの存在であった。


 いくらディテールに優れていても、吸血鬼の少女がインターネットで居候先を探しているなんて、誰が信じるものだろうか?


 そしてたとえ古くからのSNSでの知り合いであっても、そのような話を大真面目に話されて、実際に会って、本当に家まで招くだろうか?


 それでもおそらく、おもしろそうだから話を聞いてやろうという人物は何人かいたのだろう。わたしはその中の最後に彼女に選ばれた存在で、彼女の話を真に受けたきっと最初の人間なのだ。


「――だから、えっと……」


 そこでやっと彼女はその仮面を崩し、すこし自信を失ったような、なにかを諦めたような、しかしそのなかに確かな覚悟を帯びた表情を見せた。


 薄いピンクのくちびると、ながい睫毛を震わせてその右の瞼が震えている。

 目線を下げてエリがうつむくと、ちいさな、でも筋の通った鼻がのびていた。何から何まで作り物のような出来栄えで、それは本当に――何度でもいうし、彼女を評するのにいささかチープな表現だが――人形のようだと思った。


「だから、ときどき。貴女の……ち、血を貰います。それでしばらく噛まれた箇所は痛むけど、死ぬほどではありません」


 これはいったい、何なのだろう? 

 わたしを騙そうとしているのか、それとも新手の美人局か何かなのか。


 彼女は本気で自分を吸血鬼だと信じていて――でも実際には違うけど、こんなことを続けてずっと家出をしているのだろうか。


 わからないことは多かった。というか、わからないことだらけだった。


 でもたぶん私はこの少女に何かしてあげなくてはと思っていて、その感情や行為ががどうしようもない自分の何かを埋めてくれるような気がしていた。たぶん、私はエリのそのすがたを一目見たときから、彼女のためになんでもしようと思っていた。


 わたしはこの二度とは手に入らないだろうこの世にも美しい置物エリのことが、どうしても欲しくて仕方がなかったのだ。


 ――ブーッブーッブーッ。


 そんな会話の途中、突然わたしのスマホが音をたて、彼女の話も遮られた。


 エリはビクリと身体を怯ませ、そのスマホを凝視したけど、わたし自信も同じように驚いていた。わたしとエリは顔を見合わせ、少しほっとしたような笑顔をお互いに交わし、その電話をとったのだった。

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吸血鬼さんと奴隷さん。 黄呼静 @koyobishizuka

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