酒は飲めども

 エリはどう考えても、二十歳以上だろう。


 それは彼女が吸血鬼でおそらく老化せず、私が高校生のころからすでにSNSでは古参のほうだったという事実からも導きだせる、自然な推測である。


 だから以前にも、彼女にお酒を進めてみたことはある。


「いや。飲まない」


 と、何ともそっけない一言で断られ、わたしは寂しく一人酒を飲んだというしだいである。


 もともとお酒が嫌いなのか、単に食わず嫌いなだけなのか。

 ふだんそれほど好き嫌いはしないはずだが、あの見た目では酒に誘われるような機会にめぐまれず、なんとなく飲む機会がないままにすっぱい葡萄のような理論から、いつしか嫌うようになったのではなかろうか。


 ちょうど臨時収入も入ったことだし、今日はパーっと酒でも買って、おかしなことは忘れることにしよう。


 そう思っていたのだが……。


 *


「いや。いらないから」


 低アルコールの缶チューハイ。

 エリが普段飲んでいるジュースともそれほど変わらない。


 しかしエリは私の空けたその缶の匂いをかぐと、顔をしかめて突き返してしまう。


 なんでだよ。飲もうぜ、今日くらい。


「いやだ。飲まないから」


 つんとそっぽを向いて、すねたような事を言いはじめる。


 そんなこと言ったってお前、つまみのほうはさっきから食いまくってるだろう。

 ジャーキーとか塩辛とか、そういう濃い味のものは酒を飲みながらのほうがうまいんだぞ? 飲み始めはすこし慣れないかもしれないが、酒を覚えればコレがやみつきになるんだから。


「いーらーなーい! 私、飲まないから!」


 いや、ダメか……。


 いいじゃないか、べつに。誰が咎めるわけじゃない、べつに迷惑をかけるような事じゃないんだから。


「私が、めーわくしてるんだが……」


 いや、そんなことはないだろ。

 何のかんのと言ったって、お前だってわたしのことはそんなに悪くないって思ってるはずだ。だって、今までだってこうして一緒に暮してきて、何も問題なくやってきたじゃないか?


「いや、そうじゃなくて。酒なんか飲みたくないって、いってるだろ」


 ああっ!?

 お前、わたしの酒が飲めないって言うのかよ!?


「だからそう言ってるだろ!? やめろ、はなせーっ!」


 なんでだよ、そんなこと言わないでさ。飲めよお前も。

 寂しいだろう、わたしばっかり飲んでたらさあ。


「好きじゃないんだ、私はそういうの」


 なんでそんなこと言うんだよ……いいだろう? 今日ぐらい。


 とは絡んでみるものの、エリは一滴も飲もうとはしなかった。

 なぜだろう、こんなにいい気分になるというのに。


 そういえば、先ほどエリは酒の匂いを嗅いでその顔をしかめていた。

 彼女は酒の匂いがダメなのだろうか。もしかすると、アルコールの苦みが彼女のこの身に合わないのかもしれない。


 身体はこの通り、少し小さい中学生くらい。

 あまり大人の味は合わないか、苦手意識があるのだろうか。


 いや、しかしこうして酒のつまみなんかを美味しそうに食べているのだから、わからないという訳はないだろう。


「もーっ、はなせ! なんか今日おかしいぞ?」


 エリはそういうが、ここは少し強引にでも飲んでもらった方がいいはずだ。

 ここで簡単に逃がしてしまうより、エリにもお酒の良さを知ってもらった方が、この先もお互いにとっていいのだから。


 いいかエリ。

 大人になったからって、こんなに酒を飲める機会ってのは少ないんだぞ?


「いやだ。私は大人になんかならないから!!」


 そんな悲しい若者みたいなことを言うなよ。

 こうして酒を飲んでだな、血中のアルコール分が上がってくれば……。


 ――そう、そうじゃないか。


 エリは必ずしも、自分でアルコールを飲む必要がない。

 わたしが既に酔っているんだから、彼女はその血を飲めばいい。それなら酒の味が合わなくても、一緒に酔っぱらうことができるだろう。


 今日はなんて冴えてるんだ。

 久々に酒を飲むと、いいこともあるもんだ。なあ、エリ。


「いいわけないだろ!? バカなのか?」


 わからないだろ。試したことはないのか?

 これで血がおいしく飲めるかもしれないじゃないか。


 それとも何か? わたしの血が飲めないって言うのか?


「何度も言ってるだろ? 酒も血も飲まないって!!」


 お前なあ、そう言うのホント良くないぞ?

 せっかく人がなあ、気分で飲ませてやるって言ってんのに。こういう時はなあ、例え気がのらなくても、一杯ぐらいつきあうもんだぞ。


 べつにお前に何かしてくれって、わけじゃないだろ?

 わたしだって酒を驕ったくらいのことで、なにか借りを作ろうってわけじゃない。


 ただちょっとお前と、いい気分で過ごしたいだけなんだよ。これで合わなかった言うならそれまでのことで、お前が気に入ってくれれば、またこうやってたまに晩酌したら楽しいじゃないか?


 お前なあ、マジでこういうのできないと、ホント社会でやっていけないぞ?

 ネットじゃあウザいとかどうとかみんな言っててもだな、結局はそれだけこういう飲みニケーションってのがあるんだから。お前マジでそう言うの、社会じゃ通用しないからな?


「社会ってんだよぉ……私はそんなとこ行く必要がないから」


 いいからまあ飲め。まずは飲んでみろ。


 私は赤らんだ手で腕をまくって、捕まえたエリの口に押し付ける。

 そう言えば明日は火曜日だし、丁度いいだろう。


「やめろーっ! マジでお前酔いすぎだから」


 いいだろう? 

 だいたい私が、お前のために何をだな……。それこそ、わたしがあの時、あの時なぁ……。


 エリは私の腕を振りほどこうと奮闘するが、なんというか吸血鬼としても見た目通りの中学生くらいとしても弱かった。


 そのうち何とか相手の口を開くことには成功し、なんとかその口にいつも吸うときのように腕を噛ませた。


「ひゃめほー、まひへへひひほほるははな!?」


 抵抗のつもりか、何かしゃべろうとしているのか、とにかくその口に無理矢理腕を押し込んで、エリ二私の血を飲んでもらう。


 これでエリのほうでも酒の良さが分かってくれれば、わたしももう少し楽しみが増えるだろう。


 えへへ、今日は飲むぞ。朝まで飲むぞ。


 *


 えっ……!?


 次の日。


 わたしはその部屋の状況を見て、愕然とした。

 ちからかった、つまみの包装。床に倒れ中身のこぼれた缶チューハイ。


 そしてそれらのとこどころに赤い血の手形がべったりとついており、私の服、そしてエリのジャージは赤褐色の染みができていた。


 なあ……エリ。お前大丈夫か?


「お前こそ、頭は大丈夫か!? もう金輪際、酒は禁止! これは主人の命令だからな!!」


 エリはそう言って血まみれのまま、自分の寝床へと帰っていった。

 

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