7 五十年後の思い出に

 今日も空には、レーズンパンみたいな大きな月が上がっている。


「……ユナ」


 私は空を見上げた。


「メルは言ってたよね。歴史というのは主観的なものだって。語り手の意思が介在するって」


 完全に客観的な語り手というのは存在しない。たとえ客観的であろうとしても、人間は神様の視点を持てないから、自分の観察できる範囲でしか観測できない。


 だから時には、自分の都合の良いように歴史を語って正当化して。

 時にはむしろ、敢えて語らないことで、後世の人間に罪を負わせずに自分だけの罪として闇に葬ることだって出来る。


「言ってたね」


「月に残された人たちは本当に悪者だったのかな」


 歩きながら、月を見上げる。

 ここから見上げているだけでは、今、この月の裏に誰かが生活しているのかなんて分からない。


 すぐそばにあるようで、近くて遠くて、何も分からない。


「私たちが本当だと教えられていること、メルがそう思い込んでいること、何が正しいのかなんて分からないよ」


「そうだね」

 私の後ろから、足音と声だけが聞こえてくる。


「嘘をつく必要なんてないんだよ。……私たちは多分、何も教えられてないんだよ」

 路地の先に見える碑には、相変わらず誰の姿もない。


「そうだね」

 同じ言葉がもう一回返ってきた。


「本当は五十年前に何があったのかなんて、ほとんど何も知らない。ユナと私たちの人生は、多分ほとんど重ならない」


 先遣隊の碑、と聞いている、「慰霊」という文字が大きく書かれた碑。

 他には何も書かれず、ただ犠牲者の名前だけが書かれた碑。


「会えるといいよね。長生きしなきゃ」

 ユナは無理に軽くした口調で言った。


「でもさ」


 私は目の前の古い石碑の、さっきホコリを払ったところを撫でた。



 先遣隊の犠牲者と言われている名前の羅列の中に見つけた、少し風化した文字。

 それは――さっき分かれたばかりの女の子と、同じ名前だった。


「何故、メルの名前がここにあるの?」


 この碑は死亡した先遣隊の名簿と伝わっている。それが果たして真実なのかは分からない。

 わりあい単純な名前だし、たまたま同姓同名なのかもしれない。

 本当は彼女はこの石碑を知ってて、その名前を適当に偽名にしたのかもしれない。


 本当のことなんて誰も分からない。


 だけど、もしも、もしかして。ユナがタイムスリップして訪れた、この時代は。

 ユナにとっての五十年前の過去ではなく――未来だったとしたら。


 今、この慰霊碑があるのは何故?

 そこにメルの名前があるのは何故?


 そして、月から攻めて来たはずの人たちの話は――何故、私たちはその話を知らされてないの?


「まさか、まさかと思うけど、月から攻めて来たというのは、本当は私たちの――」


「リオ、すごくどうでもいい話をしていいかな」

 それを遮るように、ユナが言った。


「私、小さい頃に高い花瓶を割ったことがあるんだ。うっかり倒してしまって。で、その後に近くのドアを開けて、お母さんに、急に強い風がついて割れちゃった、って言って、泣いた。どうでもいい話だけど」


 そう言って、ユナは一つ息を吐いた。


「もしかしたらお母さんは本当は違うと思ったのかもしれないけど――というのか、多分気付いてたと思う。だけど、そういうことにして、ユナは悪くないから大丈夫、って言った」


 本当のことなんて誰にも分からない。

 確かめにいく手段なんてどこにもない。


「だからきっと、大丈夫だよ。そういうことにしておけばいいんだよ」

 ユナの言葉は途中から、涙声になっていた。

 

 誰が善人で悪人だったのかは分からない。あるいは善悪なんて最初からなかったのかもしれない。

 全ては私の考えすぎなのかもしれない。


 さっきと同じことをもう一度考える。

 単なる偶然かもしれない。同姓同名なのかもしれない。この碑にあった名前を適当に偽名で名乗ったのかもしれない。あるいは最初からタイムスリップなんて嘘だったのかもしれない。何かのトリックで私たちの前から消えたのかもしれない。単なる悪戯かもしれない。ドッキリかもしれない。夢かもしれない。見間違いかもしれない。


 だけど、慰霊碑に額を付けると。

 涙がだらだらと流れて来て。


 ユナが隣で、私の腕をそっと握った。


 声を上げて、私たちはただ、泣いた。


(了)

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五十年前の思い出に 雪村悠佳 @yukimura_haruka

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