6 後は祈るしかないから

 校長室の外で、私たちはそわそわと待っていた。


 ……率直なところ、メルの言っていることが本当だとしたら、私やユナのようないち学生が何か出来るような問題じゃない。

 こういうとき漫画やアニメだと私とかユナが偉い人の娘だったりするんだろうけど、残念ながら現実の私もユナも、全く普通の平凡な家庭だ。

 だから、待つしか無かった。


 校長室のドアが開くのは突然だった。

 メルが部屋の中に向かって何度も頭を下げて、ありがとうございました、よろしくお願いします、と連呼する。

 1分近くもそれを言い続けて、やっとドアを閉じて、私たちの方を見た。


「終わったの?」


「やることはやりました」

 とても不安そうだけど、少し吹っ切れたような表情。


 だから私はそれ以上は聞かず、ただ、メルが帰るまでの少しの時間を一緒に楽しむことにした。おそらくはあと数時間、多分、メルが求めているのはそれだと思ったから。


 学校からの一本道を歩いて、銀色の蕾に出る。


「どこに行く?」

「もう一度先遣隊の碑に行きたいです」


 意外な――だけど言われれば納得の場所を言われて、私はユナの顔を見た。


    *


 何度来てもここは寂しいなと思う。


 多分銀色の蕾があんな賑やかな場所にあるから、この先遣隊の名も無き碑が寂しく見えるんだろう。

 ――もしかしたら、必ずしも望んだものじゃなかったのかもしれない。

 だからこの先遣隊の話だって、すごく曖昧な話しか伝わっていないのかもしれない。


 メルは膝をついて、目を閉じて、じっと祈っている。

 自分の世界を守るために、たった一人ここまでやってきたメルには――先遣隊の人たちの気持ちが、ずっと近くに思えるのかもしれない。


 ユナはじっとその横に立ち尽くしている。

 砂埃をかぶって、風化もして、刻まれた名前すらもはっきりと分からなくなった、過去の先遣隊の人たち。

 

 せめてもの、と私は砂埃を拭った。

    *


「そう言えばお昼ごはん、まだだったよね」


 広場沿いのお店に掛かった大きな時計を見て、ふと私は呟いた。お昼どき、というよりはもうおやつ時に近付いたような時間。


「何かごはんでも食べる?」


 私が訊くと、メルは少し考えてから言った。


「甘い物は別腹、でもいいですか?」


 私とユナが頷いた。

 女の子はみんな別腹を持っている、と誰かが言っていた。使いすぎると別腹からあふれてウェストに貯まるけど。



 商店街の一角の、屋根が不思議と尖った小さなお店で、メルは立ち止まった。


「ここ、私がいちばん好きだった思い出の場所なんですよ。……ってクレープ屋さんなんですね」


「メルの時代では違うの?」


 私が訊くと、メルが面白そうに首を何度か横に振る。


「ソフトクリーム屋さんでした。でも、建物はやっぱり変わってないですね」


「クレープでもいいから食べる?」


 ユナが言うと、メルはこくんと大きく頷いた。


「もちろんです」


 案内する側であるはずの私たちとしては情けないことだが、この店のクレープを頼むのは初めてだった。


「不思議ですよね」


 店のテーブルでバナナクレープを食べながら、メルが不意に言った。


「思い出の場所、って何度も口にしてるじゃないですか。でも、思い出も何も、私の体感では一昨日もここに来てるんです」


「……確かに、この前来たばかりの思い出の場所、って変だよね」


 ハムチーズクレープを食べながら、私は言った。甘くない系統のクレープって食べたことなかったけど、特に空腹の身にはおいしい。何か変わったものを食べたかった。


 私の言葉にメルが首を振る。


「そもそもこの場所に、本来の時の流れだと、私まだ思い出どころか来たこともないんですよ。本当はこれから先、五十年後になって初めて、私の思い出が出来るんです」


「……未来にここに来た思い出、か」


 ユナが誰に言うともなく呟く。


「その思い出が嘘にならないように、私たち頑張らないといけないんだね……ってリオ!」


「ん?」


 私はクレープが口に入ったまま言った。歯の裏にハムが張り付きそうになって舌で剥がす。


「またさっきからずっと自分の世界に入ってたでしょ」


「……いや、だってメルさんに教えてもらった店、美味しいんだもん」


「そもそもメルの思い出の店と別の店になってるんでしょ」


「えっと……ほら、それでも結果的にメルさんに教えてもらった店だし」


「なんですかそれ」


 メルがクスクスと笑って――そして、時計をちらっと見た。


「もうすぐ、時間みたいですね」


 そう言うと、不意に立ち上がって、大きく礼をした。


「ありがとうございました。さようならの時間です」


 私とユナも席を立つ。


「……きっとさようならじゃないよ」


 そうユナが言って、手を差し出す。


「五十年後でしょ? おばあちゃんになってるけど、多分小さい頃のメルとならまた会えるよ。運が良ければ五十年生きられるかもしれない」

 この星の一年は長いから、五十年を生きられる人は少ないけど。


 その手をメルが握りしめた。


「ですね。――でも、たった今こうやってしゃべってたのに、戻ったらおばあちゃんと話すとか大丈夫でしょうか」


「だいじょうぶだいじょうぶ。あとは入れ歯にでもなってないことを祈って歯磨きしておくよ」


 ユナとメルの上から、私も手を握って。

「……だね」

 上手く言葉に出来ずに、私は少し俯いて言った。


「じゃあ、改めて。ありがとうございました、未来が変わっていたらまた会いましょう」


「やくそく約束!」


 ユナが手を振った。

 それに応えるようにメルが手を振って、一瞬遅れて私も手を振った。

「……次は、五十年前の思い出を三人で話そう!」


 ユナがそう言ったのは多分聞こえたと思う。


 そして、不意に……最初からそこに誰もいなかったかのように、メルの姿が消えた。


「本当に行っちゃったね……」


 ユナが呆然と呟いた。


「正直、私メルがタイムスリップしてきたとか信用してなかったんだけど、だけどこれは信じざるを得ないかも。目の前で人が消えるなんて」


「だね」


「上手くいくといいね」


「だね」


「……またなんか自分の世界に行ってない?」


「うん」


「なにその生返事。そりゃ私もびっくりしたけど、ちょっとぼんやりとし過ぎじゃない?」


 呆れたような顔でユナが言う。


「それより、そろそろお店出るよ!」

「……うん」


 半ばユナに引っ張られるように店を出る。


 「待って」


 店の前で立ち止まって、私はユナに言った。


「ちょっと行きたいところがあるんだけど、付き合ってくれる?」


 私がその場所を伝えると、ユナは変な顔をした。


「いいけどなんで?」


 私は黙って、一人で歩き出した。


 後ろは全然振り返らなかったけど、ユナは私を先に行かせて立ち止まったりせず、黙って付いてきた。

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