知らない前世

藍川誠

第1話


私の名前は蒼江紀子。

生ハムの繊維を裂きながら食べる事が趣味の、ごく一般的な高校2年生。

図書委員かつ刺繍が好きで家庭科部へ所属している。


私はだいぶ夢見がちな少女時代を過ごしたと思う。

類い稀なる才能、高貴な生まれ、はたまた超能力。多くの子どもたちと同じように私は自分が『特別な何者か』なのではないかと期待して、しかしそんな事はないのだという現実を知った。


今では私も17歳。

将来を見据え、進路を考えるべきお年頃だ。


「はぁ…」


ため息を吐いた私は2階の教室の窓から校門を眺める。


葉桜となった樹木から淡い色の花びらが散る中、登校してきた生徒たちが次々に門をくぐる。

その列を何気なく眺めていた私は1人の男子生徒に目を止めた。


新入生なのだろう、真新しい制服を着た彼は精悍な顔つきをしていた。

鷹を思わせるような鋭い目つきに短く刈り込まれた髪の毛。引き締まった身体は彼が何らかの武道を嗜んでいると言われても納得する程だ。


そこまで観察して、何故私は自分が彼に視線を奪われたのか不思議に思った。

しかしその疑問はすぐに解消する。


(ああ、そうか。歩き方が違うんだ)


彼の動きは周りの生徒たちとは一線を画していた。何気なく歩くのとは違う、足の先まで意識した歩き方。それは全身の動きを制御した無駄のない歩みだった。


(何かで鍛えているのかな)


そんな事を考えながら私は目を瞬かせる。






その時。

彼が顔を上げ、視線が絡み合った。






瞬間、彼の目が見開かれる。

彼の周りだけ時が止まってしまったのかと思うほど、彼はぴくりとも身動きをしなかった。

しかしそれは少しの間だったらしい。硬直したのも束の間、彼は素早く前を向くと校舎へ向かって駆け出す。


私は呆気に取られてその様子を見ていた。

校舎の陰に隠れ彼が見えなくなって、私は目線を机の上に置かれた教科書へと移す。


(目が合ったからって逃げなくたって…。いや、まじまじと観察されていたら気分が悪くなって当然か。ごめんね、名も知らぬ新入生)


気を取り直してごそごそと鞄からノートを取り出す。


(私も呆けていないで勉強しなくちゃ。今日は小テストの勉強をする為に朝早く登校してきたのだし)


鉛筆を手に持ち、書き取りを開始する。友達には「今どき鉛筆?」なんて揶揄われるが私は案外この筆記用具が気に入っているのだ。


時折唸りながら頭に文字を詰め込んでいると廊下の方から忙しない足音が近づいてくる。

朝早いとは言ってもそろそろ頃合いだ。クラスメイトがやってきたのだろう…そう思って気に留めずにいた私はドアを開けるけたたましい音に肩を震わせた。


轟音が鳴ればそちらを見るのが人の常。

恐る恐る私が教室の出入り口を見遣れば、そこには先程の男子生徒が立っていた。


彼は私以外誰もいない教室に侵入し、つかつかと私の方へ歩いてくる。

どう見ても私に用があるのは明白だったが、心当たりのない私は身を竦ませた。


彼は私の前まで歩いてくると唐突に跪いた。

大事な物を扱うように私の手を取り、彼は冷たさすら感じさせる鋭い目つきを柔らかくする。


「…姫様」


低く心地の良い声が私に向かってそう言う。

真っ直ぐにこちらを見つめるその瞳は、まるで愛しい者を前にしたかのよう。


「この雪平、やっと姫の事を見つけ申した。探し出すのが遅くなり申し訳ございません。今世こそ…今世こそは、姫との約束を果たします故」


そう言って微笑む彼。もとい見知らぬ男子生徒。


「………え?」


急展開に頭の働きが停止する。

誰かと間違えているのではなかろうか…そう思ってそろりと辺りを見渡すが、当然ながらこの教室には彼と私しかいない。


(何かのドッキリ?でも…)


彼の目は真剣そのものだった。とても嘘を言っているとは思えない。もしこれが演技だとしたら大した俳優だ。


暫く逡巡した挙句、私は素直に思った事を言う事にした。


「ごめんなさい。あなたが何を仰っているのかよく分からないです」


私の言葉に、彼は柔らかく緩めていた顔を驚愕に染め上げる。


「…なんと」


私たちの間に風が吹き抜ける。

黒曜石のような彼の瞳と見つめ合ったまま、私は何も言えず黙り込んでいた。




















*******




その昔、『我こそが日の本の島を統べる者である』と国々が血で血を洗う争いを繰り広げていた頃。

小国の姫とその護衛を任された1人の剣客がいた。


姫は少々風変わりな性格であったが心優しく、国の者たちにも慕われていた。

剣客は人間という物の醜さに諦めの念を抱いていたが姫の優しさにいつしか心を洗われ、姫を慕うようになった。


しかしそんな幸せも長くは続かなかった。

隣の大国に攻め入れられ、慰み者になるくらいならばと姫は自決する事を決意したのである。


「姫様、逃げましょう。姫様の自決を喜ぶ者などこの国には誰一人おりませぬ」


剣客はそう訴えたが姫は首を横に振る。


「やめなさい。私も武家の名を頂く者、覚悟は出来ている。国が消えるのならばそれと命運を共にするのが役目です」


ひたり、と姫の眼は剣客を射貫く。


「雪平、お前は腕が立つ。私と違い顔も割れていない。弱きを助け、人並みの幸せを得て…天寿を全うしなさい」


「この雪平の幸せは姫様無しでは有り得ませぬ」


剣客の感情を押し殺したような声音に、姫は目を細めた。


「そう言うでない、雪平。しかし…」


姫は僅かに微笑む。


「もし来世というものがあるのなら、次こそは…私と生を歩んでおくれ」




*******












「それが私が姫様とした約束です」


「いや、…え?」


「私たちの前世です」


「ええ…。どう見ても冗談言っている雰囲気じゃない…怖い…」


時は流れ放課後、空き教室にて。

夕日に照らされた席に座りながら、その男子生徒は自身を雪平矢之助と名乗った。


「えっと、その…雪平、くん?」


「…雪平と」


「え?」


「雪平とお呼びください」


「ごめん、呼び捨てするほど親しくないし何より状況について行けていない」


「姫様」


「あと姫様っていうのも辞めて欲しい。多分周りの人たちから特殊なプレイだと思われている」


「私は構いません」


「勘弁して本当に…」


話が通じない目の前の人間に眩暈がして手で顔を覆う。

私は暫く項垂れていたが、それでは話が進まないと意を決して話し出した。


「それで、雪平くんは何が望みなの?」


私の問いに彼は眉をぴくりとも動かさず口を開く。


「どうかこの雪平に姫様と共に生きる栄誉を頂きたい」


「つまりどういう事なの」


「祝言を挙げましょう」


「ええ…」


祝言。古典の授業で習った言葉。

その意味を反芻しながら私は痛む頭を押さえた。


「祝言ってあれでしょ?結婚って事だよね?」


「姫様の白無垢はきっとお美しいでしょう」


彼は事実を述べるように淡々と話す。

元来表情の動きが豊かでない質なのか、はたまた感情の起伏に乏しいのか。何はともあれ冷静すぎて怖い。


「少し待って欲しい。後生だから」


私は彼の言葉を手で制止する。

彼は律儀にも私の指示に従い話すのを止めた。


私に言わせて貰えば、この状況は全くもって狂っている。

いきなり前世がどうのと話し始める人間が現れて、しかも自分に対して積極的に関わってくるのだから正気ではいられない。相手の目的が結婚ともなれば尚更だ。


「あー…」


呻き声を上げても現状は変わらない。

とにかく私は、前世などというエキセントリックな妄想を信じ込んでいる青年の対処をしなければならない。


「…例えばだけど。人生を共に歩むって、友達としてじゃ駄目なの?」


そんな私の質問にも彼は表情を変えない。


「私は姫様をお慕いしております。以前は身分の差がありましたが今生では同じ立場。伴侶として添い遂げたいと願うのが自然ではないでしょうか」


彼の答えを聞いて私は頭を掻きむしりたくなった。本当に手強い相手だ。


「というかそもそもの話なんだけど…私は雪平くんが言う所の"姫様"ではないと思うよ。前世の記憶も無いし、雪平くんが語るような人格者でもない」


いよいよ切羽詰まってきた…暗澹たる気持ちでそう思った私は、今まで触れないようにしてきた核心を問う。

しかし彼は動じる事なく私を真っ直ぐに見据えた。


「いいえ。あなたは間違いなく姫様です」


曇りなど一片もない眼。

心の底から彼は私を"姫"だと信じ切っているのだとひしひしと感じさせる声音に私は恐怖心を抱いた。


(彼の語る前世を下手に否定すれば私は殺害されるかもしれない)


そんな突拍子もない考えが頭に浮かぶ。

そう考えてしまうほど、前世を語る彼の目は凪いでいた。


私はこの状況を脱しなければと考えを巡らせる。


「…3ヶ月」


私が突如発したその言葉に目の前の彼…雪平くんは瞬きをする。


「結婚は無理だから。3ヶ月、お付き合いしよう。それで駄目だったら諦めて欲しい」


私の唐突な提案に彼は僅かに首を傾げた。


「『駄目だったら』とは?」


「だから…前世とか、そういうのを思い出さなかったらって事だよ」


「前世を思い出さなくても姫様は姫様です」


「これ以上話をややこしくしないでくれ…。せっかく折り合いが付きそうな提案をしたのだから了承して…頼む…」


切実な思いで私が懇願すると、彼は静かに私の顔を眺める。


「…よいでしょう」


その返答に私は弾かれたように顔を上げる。そして彼の手を取ると両の手で握り込んだ。


「ああ!良かった!3ヶ月ぴったりという事でよろしく!」


握った彼の手は酷く逞しい。

彼の目が驚いたように見開かれるのを見て、私は我に返ったように急いで手を離した。









こうして、私と彼は3ヶ月限定の恋人となった。


(それなりの期間だ。この青年が正気に戻るには十分な時間だろう)


そんな事を考えながら、私は目の前の彼を見遣り息を吐いたのであった。











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