第1話ー1 手記


『世界が誇る医療機関、Mars(マルス)』が

 贈る、世界初の没入型体感アドベンチャーゲーム、その名も___「C3(シーキューブ)」へようこそ!


 こちらは、専用のイヤホンとゴーグルにより脳の神経へアクセス、皆様をバーチャルの世界へ誘います……』



 スマートフォン用のホームページにアップロードする文章を保存しようと、Enterキーを押したところでふぅ、と一息ついた。


 長らく同じ姿勢で作業をしていたせいか体のあちこちが凝り固まっている。


 齢50を過ぎて尚、単調な作業を長時間続けるのは中々に堪える。


 メガネを外して 画面疲れした眼を労わるように目頭周辺を揉む。


 このような仕事は本来であれば部下に任せれば良いのだが、自分でやった方があれこれ

 言わなくて済むし、何より早い。


 というより、ただ同じ職場で働いている、

 それだけの人間関係なので必要以上にコミュニケーションを取りたくないのだ。


 今だに独身なのはこの性格のせいもあるかもしれない。



 ふと、時計を見ると時刻は22時15分。


 しまった。


 残業代も役職手当も雀の涙ほどの固定給で働いている自分にとって

 定刻の18時を過ぎるというのはこれ以上ない、とんでもない失態である。


 はぁ〜ぁあ、と自分一人しかいない部屋で誰に聞かせるわけでもなく

 諦めと苛立ちが混じった大きなため息をつく。




 日本が世界へ誇る、大手医療メーカー、

 Mars(マルス)。


 創業者は元々地方の農民の出だという火野一郎(ひの いちろう)だ。


 戦後間も無く開業した当初は製薬とペースメーカーの小さな開発会社だったそうだ。


 現在は5代目ではあるが、いずれの者も才能と先見の明が素晴らしく、急激に事業を発展させ、今や国内外から一目置かれる一大企業にまで成長したのである。

 


 そして、そのMarsが優秀な開発者達の叡智を集め開発した渾身の身体機能向上補助機器、それこそが

「C3(シーキューブ)」だ。


 世界初の没入型体感アドベンチャーゲーム。

 専用のイヤホン、ゴーグル、必要であればヘルメットを装着後、アプリを起動して、現実と見まごうバーチャルの世界で身体を動かす事で、脳がそれを覚え、結果、運動機能の改善が見られるのだという。


 要するに、運動能力を更に向上させたり、身体が不自由な人にとってはリハビリとしての役割を果たすのだ。


 無論、最低限の筋肉は必要なのだが。


 この間久方ぶりに会った親戚の叔母は、長年車椅子生活を余儀なくされていたが、C3をプレイした事により、なんと立ち上がれるようにまでなったという。


 同じ車椅子生活のコミュニティの人達とお互いに励まし合いながら訓練して、お陰で生活にハリがでたのよ、と以前よりも明るい笑顔を覗かせていた。


 自分はそんな天下のMarsのかなり末端の部署に就職後、C3の話を耳に入れた際には、あまりの現実味のなさと、自分の置かれている待遇に甚だ不満を持っていた為、不信感露わに話半分で聞いていたのだが____。


 身内の実体験を聞くと流石に興味が出てくる。実は未プレイではあるものの、既に会員登録は済ませてあるのだ。


 ここまではいわゆる潜入(ダイブ)というものをしなくてもいい。


 時刻は22時23分。

 疲れて直ぐに動く気分にはなれない。



 ____少しだけ、プレイしてみるか…。



 珍しく興が乗ったため、携帯に手を伸ばす。


 デスクの引き出しには1ヶ月前に業者から無料で貰ったきり放置していたC3専用のイヤホンとゴーグルをおもむろに取り出し開封した。


 イヤホン、ゴーグルを装着、スマートフォンのアプリを起動、




 ___そして、次の瞬間。

 脳裏に火花が弾け飛んだ。




 ********************



 一通りの巡回が終了し、帰路に着こうと鼻歌まじりに警備室に戻り支度をし始めた。


 警備員として長年、色んな職場を見てきたが、流石にこの様な立派なビルは防犯対策もしっかりしており、寄り付く不審者もごくごく稀なため、ただ深夜に散歩をしている様な気分になってくる。


 ふと防犯カメラに目をみやると一室だけ電気がついている様だが、この建物では徹夜で作業をする者も少なくないため、恐らく今回もその類いなのだろう。


 遅くまでお疲れ様です、と声には出さないが、心の中で敬礼をする。


 後は最新の防犯機器が仕事をしてくれるため、なんの心配もなく職場を後にできる。


 今夜の晩酌は何にしようか考えながら、警備員はビルの施錠を完了したのであった。





 時刻は、終電間際の24時3分。





 1人の男性が意識を失い、静寂に飲み込まれている事を、未だ、誰も知らない。






  2






「和臣はさ、空想の世界って興味ある?」



 突拍子もない恋人の問いかけに、伊藤和臣

(いとうかずおみ)は読んでいた本からふ、と顔を上げた。



「私は、昔っからそういうの、妄想するの大好きなんだ。魔法が使えて、いろんな仲間と旅をして、現実の事なんか忘れちゃうくらいに楽しい、そんな世界」



 和臣と背中合わせに、恋人である浅利実紀(あさりみき)は本から目を離さず、独り言のように話す。


「___実はね、そんな妄想が現実になりそうなんだよ。私が今手がけてる大きなプロジェクトがもうすぐ形になりそうでさ、そしたら2人で一緒にやろうよ。絶対楽しいから。」


 ********************





 …恋人のかつての温もりを思い出しながら、和臣は携帯のアラームよりも早く目覚めた。


 自らの体躯よりも少し小さく感じるベットから体を起こし、カーテンと窓を開ける。


 日はまだ登ってはいないものの、朝焼けは初夏の香りを纏いつつ、ゆっくりと街にこれから訪れる一日の始まりを告げようとしていた。



 昨日は遅くまで作業をしていたつもりであったが、近頃は時間が確保できても、睡眠が満足にできない。

 眠ろうとしても、様々な事がフラッシュバックし、神経を逆撫でしてくる。



 その原因に関しては、十二分に心当たりがあるのだが…。


 はあ、とため息を一つつき、

 出勤の時間にはかなり余裕があるが、身支度をするべく、寝室を後にした。





 一通りの準備を済ませ、淹れたばかりの珈琲を啜りながら、テレビの電源を入れる。


『___…なんですよ。今、世界初のアドベンチャーゲーム、C3(シーキューブ)内のイベントが激アツなんです!!』

 女子アナが興奮気味に原稿を読み上げている。


 …朝イチでこのテンションは胃もたれがするな…次のチャンネル。



『えー!なんかあ、友達がめっちゃハマっててぇ、私もやってみたらホント楽しくてーなんかリアルよりもC3の方がいる時間長い、みたいなー!アハハハ』


 次。


『長年陸上やってて、タイムを縮めるのに苦労していたんですけどスランプから抜け出せた様な気がします。やっぱりC3凄いっすよね』


 次。


『○日、体の不自由な子供達の為に、朝比奈養護施設がバーチャル遠足を C3内で執り行いました』



 次…



『加速するC3ブーム…』『C3、最高ー!』



 …どこもかしこも、話題は共通の出来事で持ちきりであった。

 無理もない。こんな夢のような機器が世に出たのだ。



 C3。世界初の没入型アドベンチャーゲーム。

 専用のアクセサリで脳の神経にアクセスし、仮想空間へと誘う。


 元々は医療用として、身体障害者がリハビリに使ったり、アスリートが身体機能の向上に使うものだったのだが、イヤホン、ゴーグルとスマートフォンで気軽にアクセスできることから、近頃はゲームプレイ目的の若者達の使用も目立つ。


 C3の普及が早くも一般的となった現在では、あたかも、もう1つの世界が創造されたかの

 ように人々が生活を営んでいる。


 それはそうだろう。現実世界では叶わないことができる様になるのだから。


 ただ、あくまでもゲームはゲームなのでやりすぎには注意せねばならない。



 ___実際のところ、現実とC3の区別がつかなくなった輩も、最近は多くなっているのだ。

 代わり映えのしないニュースをただただ、眺めながら、珈琲を啜る。




『__…昨日未明、新たな行方不明者が…』



「!!」



 前のめりになった反動で、ガタ、と机が鳴る。



『医療機器、C3の開発に携わったMarsの

 職員に、新たな行方不明者が現れました…』



 視線が、一瞬でテレビに釘付けになる。



『……さんは 一昨日より連絡が取れなくなったとの事です。 これで、Mars職員の行方不明者は___



 __1人目の浅利実紀さんに続き2人目となりました。』



『警察は引き続き調査を続けており__…』



 ニュースを最後まで見ずにテレビの電源を消すと


 ___和臣は、静かに拳に力を入れるのであった。



 ********************


 現在、職場までは、電車で通勤をしている。

 一応車は所有しているのだが、車検に出したばかりだ。


 電車へ乗りこみ通路の奥まで行く。

 何気なく周りを見渡すと、車内の9割の人間がC3専用のイヤホンとゴーグルを装着していた。


 一見異様な光景ではあるが、慣れてしまえばなんて事ない、今となっては日常の風景の一つだ。


「___っしゃ、俺の勝ち〜!」

「あぁーくっそー!オレ弱すぎなんだけど!」


 和臣の隣で男子中学生2人がC3で対戦をしているようだ。


 2人とも所謂、スポーツ刈りだ。バックのブランドから察するに野球部だろうか。

 ゴーグルで視界を遮られているはずだが、

 学生鞄と部活用の大きなバック2つを器用に身体に下げてバランスを取りながら電車の中で立っている。


「ひひひ、まあ相手が悪かったな〜。

 あれ?そいえばお前、じゃね?」

「いや、まだ。あのさー、C3ってゲームオーバーになったらマジでめんどくさくない?」

「言えてるわー。半日も潜入ダイブ出来ないとかありえないよなー。」

「ま、いいや。ちょっとさぁ、俺欲しい武器あるからクエスト手伝ってくんね?」

「いいよー、俺と一緒のセクションだよね?セーブ場所教えて〜」


 男子中学生たちは尚もC3に没頭している様子であった。


 ___和臣も、かつて恋人である実紀の行方の手がかりを掴むためログイン__C3では、これを専門用語で「潜入(ダイブ)」、と呼ぶ。


 何回も潜入ダイブを試みたのだが、一般のアカウントではいくら課金した所で出来る事などたかが知れている。


 それに加え、C3内には会員登録時点で選択するべき『C』から始まる名称の3つの『セクション』があるのだが、このセクションはなんと、リアルタイムで1年経過しなければ動けないのだ。


 後々アップデートされたらこの点も改善されていくのだろうが…流石にそれは困る。


 いくら動いても他のセクションに行けないのであれば意味が無い。



 なので現在は無闇に潜入はせず、何ならアカウントも消去してしまっている。



 実紀の事、そして相次ぐ行方不明者___。

 只ならぬ事件の香りに思案を巡らせつつ、電車の外の風景を眺める。



 そうこうしている内に、電車が到着したとアナウンスが鳴り響いた。


 自宅から職場まで、ドアトゥドアで約20分程。


 実紀が姿を消してから、何かあっても職場へ直ぐ行けるように近場へ引っ越しをした。



 ___実は、今日から和臣は新たな任務に就任する事になっている。

 実紀への足掛かりが、一気に掴めるかも知れないのだ。

 



 職場が近くなってくると、やはり空気の重さが変わる。


 肌がひりつく。


 集中力が高まるのを自ずと感じる。


 立ち止まり、正門の真前で空を仰ぎ、呼吸を整える。



 そして、建物の全体を刺す様に見据えた。





 _____東京都中央区南部警察署。




 この場所こそが、和臣の職場、ひいては




 _____心に決めた墓場である。



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C3 (シーキューブ) 相馬 透 @torusouma

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