第24話
「えーこちらアルファ、経過良し。まだターゲットは店内に見えてないよ。ちゃんとこっちの音、拾えてる?」
「こちらガンマ。大丈夫、店内の有線も聞こえている。目標が来たら回線は開きっぱなしにしておいて。どうぞ」
「こちらベータ……、あのさ、いつまでこの茶番に付き合えば良いわけ?」
じりじりと照り付ける日射のエネルギーを吸収したコンクリートからは、蒸し返すような熱気が昇っている。
その熱気から少しでも身を守るため、電信柱で生まれた陰に隠れるように身をかがめる。予想通り、大した効果はない。
駅から南へと一直線に伸びる道路に面した楽器店は、外壁の代わりにガラス張りになっているため、店外からでもある程度の
そのガラス面の内側すぐに見える三琴は、店内を物色する振りをしながらときどき視線をこちらに向けてくる。
入れ代わり立ち代わりの客足をみるに、どうやらかなり繁盛している店らしい。駅前には楽器店がここしかないとはいえ、需給バランスだけでは説明のつかない何かがこの店にはあるのだろう。
そしてこの店に、日課ともいえるピアノレッスン終わりに必ず来店する人物が一人。今回の依頼における最重要人物と言える国見健に、俺たちは用がある。
その国見をターゲットとした接触作戦が、本日行われるはずだったのだが……。
「なあ、なんでこんな面倒な手間をかけて警戒することがあるんだ? そもそも、二戸さんが俺達を紹介してくれる手はずだった気がするけど」
俺は集合場所の部室で渡されたマイク付きのワイヤレスイヤホンを耳で触る。なんでもオーディオ研究会の知り合いから貸して貰った物らしい。
先ほどのやりとりではこれを使って特殊部隊の真似事なんてしていたが、使っているのはトランシーバーでも何でもないスマホの通話機能だ。当たり前のように同時通信だって出来るわけで、本当に正しく茶番だったわけだ。
「……芦間くん。こういうものは万全を期すに越したことはない。
国見君の立場にしてみれば、面識のない上級生を突然紹介なんてされたらその裏に隠された意図や目的を勘ぐってしまう。暗号解読の手掛かりを少しでも拾い上げたい私たちにとって、それは良い状況とは言えないはず」
「だから偶々居合わせた学校の先輩って
「……あまり褒められるのには慣れてない」
「多分褒められてないぞ!?」
「と、とにかく、会話程度なら余裕で拾えるようなゲインで調整してるし、国見君が店に入ってきたら常に回線は開いておくから、何か質問があったら教えるように!
それにこの作戦は二戸ちゃんからちゃんとゴーサインが出てるんだから文句言わないでよね。文理もちゃんと自分の役割を果たすこと、いいね!」
ぐぅ、と声にもならない声が喉の奥から漏れ出る。とっくに理論武装されていた行動に返す刀はなく、電信柱に体重を預けるようにして一筋の影に隠れる。
背中に汗がにじんでいるのを感じる。こうして外で見張り番なんてことになるとは思っていなかったが、タンスの一番上が白い開襟シャツだった幸運に感謝しよう。
こんな暑苦しい中で作業をするのは誰でも嫌だが、仕事をこなさないことで三琴に文句を付けられることの方が後々面倒くさい、気がする。
まだ出現予定時刻までには少し余裕があるはずだ。二戸から三琴に伝えられたという、国見の身体的特徴を確認しておくべきだろう。
「上背は普通でやせぎす。文化系だから白い(青白いとも?)。 外出時は決まって制服、あとは均等。……均等?」
「……確かに、何のことだかよく分からない」
突然耳元で響いた猛暑日に似つかわしくない涼し気な声音に驚き、その場から飛び退くことも出来ず身体が硬直する。
青みがかった白いブラウスに身を包んだ八河は、絹糸のように細い黒髪からふわりと柔らかい香りを漂わせ、抗い様もなく心臓の鼓動を早めてくる。
「おま……、担当は店側の道路のはずだろっ」
「あっちには店の入り口を視界に入れながら隠れられる日陰がない。いくら役割でも流石に暑すぎる。だからもう少し詰めて欲しい」
八河はそう言って、一人用の電信柱の影に隠れるように無理やり体をねじ込んできた。触れたら崩れそうなほど細く白い手首が、ブラウスの袖から見え隠れする。
「そっちにはもう少し余裕があるはず」
「や、やめろ! こっちだってもう限界なんだよ! そ、それにそんなに寄ったら汗が……」
「!」
その言葉と同時に跳ね退いた八河は、毛づくろいをする猫のように顔を身体のいたるところに寄せると、
「わたし、臭い……?」
と呟いた。形の良い眉尻は見るからに下がり切っている。
「違う、八河のことじゃなくて……。もういい、俺はそんなに暑くないから」
俺はリュックに帽子が入っていたことを思い出すと、それを取り出して頭に被り、電信柱の陰から外れる。
――駄目だ。八河と喋ると、なんでこんなにリズムを崩されるのだろう。
冷静なままでいたならば、こうしてすぐに解決することが出来たはずなのに。
正しく呼吸が出来ていない感覚。
だがなぜか不思議と、苦しい訳ではない。
「……小波渡さん、聞こえる?」
「はいはーい、どうしたの?」
返ってきたのはノイズ交じりの三琴の声だ。
「国見君の特徴メモに記載されている、均等というのはどういう意味?」
「あーそれね。私も詳しくは教えてもらわなかったんだけどさ、何をするにしても国見君ってバランスを重要視してるらしいんだよ。なんでもピアニストは両手両足を均等に使うから意識してるとかでね」
「なにを言ってるのかさっぱりだな、ちゃんと二戸さんの話を聞いてたのか?」
「そんな台詞、誰に言われても文理には言われたくないね。それにこういうとき文理はいつも……」
やいのやいのと付け加えてくる三琴の言葉を押しとどめるように、八河が言葉を差し込む。
「……たとえばそれって、キッチリ同じ位置で腕まくりをしているとか、全く同じデザインの鞄を両肩からぶら下げてるとか、そういうこと?」
「そうそう! 流石八河さんは理解が早いなあ。読解力のない誰かさんとは全然違うよ。それにありえそうな特徴まで想像できちゃうんだからさ」
「そんなことない。ただ私は、いま店に入ろうとしている男性の見たままをそのままなぞっているだけ」
陰に潜む八河の視線と指先は、道路を挟んで向かいの楽器店の入り口に向けられている。
そしてその先では、俺たちが通う高校の制服と今しがた八河が告げた特徴を纏った男子高校生が、入り口のドアを引いていた。
薄い胸板と、日焼けとは程遠い青白い肌がワイシャツの袖先から遠くからでも見てとれる。
――間違いない。彼が国見だ。
警戒せずに入り口に近づこうとしていた三琴は、反転踵を返して入り口とは逆方向に進路を変える。
「ちょちょちょっ! 危ないところだったんだけど! 近づいてるならもっと早く教えてよ!」
「申し訳ない」「すまん」
ガラスの向こう側の三琴は、店内を二度三度見渡して口を開く。
「二戸ちゃんはまだ奥に引っ込んでるから、出てきたらうまい具合にやってもらうよ。こっちから返事できないからそこだけよろしくね」
「分かった。頑張って、小波渡さん」
「うん、任せて!」
そういって三琴はこちらに向けての口を閉じる。
マイクの向こうから聞こえてくるのは、こちらにも会話が聞こえるように上げられたゲインによって拾われた、途切れ途切れの店内BGMだけだ。
三琴の邪魔にならないよう、こちらはマイクの入力を一度オフにする。
夏あぐる謎 三斤 @yakinori6mai
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