エピローグ

 早朝。マンハッタン島の一角に居を構えるチャールズ&リビルド美術館には、多数の消防車と救急車、そしてパトカーが道路を占拠していた。

 道路を占拠した理由は幾つかあるが、その内の一つは入口付近の惨状で間違いない。

 BB弾と、水飴。

 児童の遊び場であらば、散乱するのも想像に難くない。子供が後片付けに無頓着なのは常なることであり、そこに異論は介在しない。

 問題があるとすれば、美術館周辺の環境。

 大理石に穴が穿たれ、壁面には運転席をひしゃげさせて車体の大半を焼け爛れさせたトラック。消防士の必死の抵抗によって全焼こそ免れたものの、美術館の大部分は少なくない被害を受けている。

 発展途上国の子供ならいざ知らず、如何に銃社会といえどもアメリカに住む子供が遊び場とするには物騒に過ぎる有様が後始末を担当する人々に酷い違和感を与えた。

 違和感は、もう一つ。

 美術館へ向かうまでの道中も大量の乗用車が事故を引き起こし、特に黒塗りの車両が凄惨な骸を晒す状況。

 特に多いのは、規格外の巨躯を誇るキャンディが車を破壊する光景。アスファルトを砕く質量兵器によって車が制動を失い、付近のビルに突撃する様子。熱で表面を溶かしたキャンディの真下には、人が迎えた最期とは思えぬ屍の姿。イースト川周辺では同一機種の車が橋から落下したとの通報も受けている。

 不自然に同じフレームの車両が事故を引き起こしている一因は、炎上したトラックに見出せるか。

 大部分を溶け落としたトラックの荷台からは、美術品と思われる残骸と共に大量の麻薬成分が検出できたのだ。麻薬取締班が出動したのは別件案件故の偶然であったが、上層部からすれば思わぬ収穫であったに違いない。

 警察機構には思わぬ土産が生まれた一方、人命救助で訪れた人々は悲惨の一言。

 人を助けるために従事した仕事で死体を回収することになる悲劇。助かる見込みのない現場から物言わぬ死体を発見する徒労。

 入口付近には全身に穴を穿ち、失血死した年端のいかぬ少年の死体まである。

 救急隊員は彼の目蓋を閉じると丁寧に持ち上げ、慎重に担架へ乗せる。遺体へ抱く複雑な感情とは別に身体を動かすのは、仕事人にとっては必須事項とも言えた。


「……」


 彼らが各々の領分で活躍を見せる裏で、一人の刑事が美術館の一角に佇む。

 浅黒い肌をダッフルコートで覆い、角ばった顔立ちに刻まれた皺は足元のソレで一層色濃く反映される。火事で壁面が崩壊しているのも重なり、見取りとしては相応に深部でありながらもマンハッタンの寒風は彼から体温を奪い去った。

 恰幅のいい刑事、ハンクの嘆息は白く染まり、冬の空へと立ち上がる。


「何やってんだ、お前は」


 嘆く視界の先には終生の友、チャールズ・レデルの変わり果てた姿。

 顔を中心に刻まれた悍ましい打撲の数々。一方的な殴打の末に、額には死因と思われる漆黒の穴が青空に違和を残す。

 それだけであらば、彼は悲惨な事件に巻き込まれた被害者。自身の名を冠する美術館を多数の美術品と共に焼却され、自らも理不尽な襲撃者の手で血に沈む。紛うことなき犠牲者であり、哀悼の意を表明しよう。

 純粋な被害者という印象を塗り潰すのは、擦り切れた右手袋の先。


「白い十字架の刺青……それはカルテルの証だろ」


 白十字カルテル。

 ニューヨークシンジケートとマンハッタンを二分する麻薬組織の片割れ。

 麻薬取締班が必死に追う二大組織の一方。共通する特徴を持たぬシンジケートとは対照的に、構成員や買収された証として身体のどこかに白い十字架の刺青を刻む風習があると、麻薬取締班に異動した同期が語っていたのを思い出す。


「……」


 美術館に突っ込むトラックと検出された麻薬成分。

 トラックを護衛する黒塗りの乗用車と同一機種の発進報告。

 そして介入した線が濃厚な飴殺し。

 必死に否定の声を上げる感情とは別に、理性を司る部分が状況証拠を冷静に検証して一つの結論へ導こうとする。

 麻薬のせいで父親を亡くしたジニーに、養子に恥じる結論。人としての道に背き、私腹を肥やしてたという認め難い事実。

 目を逸らし、ハンクは頭上の青空を見上げた。

 視界に広がるは吸い込まれるような蒼天。草花をベッドに日向ぼっこでもすれば、心地よい夢を望める心地よい陽気。

 しかしてハンクの言葉には、同じ夢を差しながらも正反対の意味が込められる。


「そんな生き方、ジニーの前で口に出来るのか。チャールズ……」


 呟かれる声は誰に届くこともなく、虚空に溶けて消え去った。



 快晴な天気の一切を遮断し、吹き抜ける風はおろか雨水一つ通さぬ深淵。

 合衆国全土に渡る広大な地下都市建設計画。大深度地下軍事基地とも称されるそれは四〇年もの月日を費やしてなおも建設中という都合上、諸事情で建設途中のまま廃棄された施設もまた存在する。

 世界一深い地下鉄のプラットホームまでで一〇〇メートルを優に越す中、大深度地下都市計画で予定されていた貯蔵用の旧式施設は浅くても一五〇メートルを僅かに越す。当然、マンハッタンの同じ深度に地下鉄が開通している訳もなく、廃棄されている以上は管理者が目を通すこともない。

 故に、そこは日の光から外れた者が目をつけるのも必然と言える。

 ガーナが懇意にしている闇医者の診療所もまた、そのような経緯で建設されたものである。


「……」


 立地も重なり薄暗く、閉塞感のある病室。それでいて違和感を覚える程に消毒用のアルコールが鼻につく。

 清掃の手間を惜しんでいるのか、純白であったろう壁面には多少の染みが目に入る。部屋の四隅にベッドが設置される中、病院着に身を包んだアヤメはジニーのベッドに腰を下していた。右腕には重厚な包帯を幾重にも巻き、それ以外にもシップやガーゼを各部に張りつけている。

 一方で男性用デザインの病院着を纏ったジニーは扉とは反対側のベッドで半身を起こし、ただ真っすぐに正面を見据える。右腕を、布団で覆い隠すように。


「私の方は軽傷。二週間もすれば完治するって」


 独り言のように、ベッドの少年へ顔を向けずに呟く。

 アヤメの傷は数こそ多いものの積み重なったがための深さであり、一つ一つは柔肌を切った程度の代物。右腕の傷が最たるもので、迫る弾雨の圧と当たり所が悪いからこそ肉も抉られたに過ぎない。

 短く切り揃えた濡れ烏の髪を揺らし、少女は少年の座るベッドへ視線を落とす。


「…………」


 布団の奥に隠れた右手は、指が二本欠けている。

 仮に無くしたのが小指や薬指だとしても筆を握るには深刻な影響を及ぼすにも関わらず、ジニーが失ったのは人差し指と中指。直接触れる部分が喪失してしまっている。

 素人であるアヤメですらも、画家として致命的な傷害を負ったと確信できる傷。


「義指の話、だけど」


 永劫にも似た逡巡を経て、少女は強い決意を込め、縫いつけられたにも等しい重い口を開く。

 希望が絶無ではないのだと。縋るべきものはまだあるのだと。胸元に無事な左手を当て、アヤメは言葉を紡ぐ。


「ガーナは私が説得する。何がなんでも、どんなにお金がかかっても。

 だから君は……ジニーは安心して次の絵の、その……」

「ラフ?」


 彼女が何が言いたいのかは容易に分かった。

 だからこそ、ジニーは助け船としてアヤメが頭を悩ませる概念に名を与える。


「多分それ。次の絵のラフでも考えてて」


 義指をつける前段階。断端が落ち着き、痺れや違和感、痛みが無くなるまでにも一定の期間を要し、装着した義指が慣れるまででも相当の時間が欠かせない。

 そこに画家、という常人でも到達し得るか怪しい壁を踏破するとなれば、いったいどれだけの時間を地道な機能回復に費やす必要があるのか。そして機能が仮に回復したとしても、義指に神経が通っていない以上は苦労が続く。

 文字通りの絵空事だが、アヤメはジニーを信じて口を開く。

 同時に、内心では自身がモデルに描かれることはないだろうという黒い確信も。


「……」


 ジニーはアヤメの方を向き、彼女がなおも視線をベッドに落として口を開いていたことを視認。

 随分と励ますことを言っておきながら、視線を合わせないのでは説得力も半減するではないか。口に出すことこそないものの、ジニーは眼前の少女へ溜め息を吐く。

 半身を起こし、左手を伸ばす。


「うッ」


 そして少女の頬を手で挟むと、強引に視線を自身へと向けさせる。

 驚く程に抵抗は弱く、難なくアヤメと目線を合わせられた。


「そういうことは目を見て言いな、タ……あー、アヤメ?」

「……!」


 それでも視線を逸らそうとするアヤメだが、距離も距離。抵抗もたかが知れる。

 羞恥の念でやや頬を上気させながら、ジニーは続けた。


「義指とやらがいつになるのかは分かんないけど、それに慣れたら次の絵も描くさ。当然、アヤメをモデルにしてな」

「え……なん、で」

「なんでも何も、次の絵のイメージはもう浮かんでんだ。ついでに言えば、前々からあのラフ画以外にも完成品をプレゼントすべきだと思ってたんだよ」


 未完成のラフ画でアヤメが大変満足しているのは知っている。だからこそ、次は完成品を手渡してより大きな充実感を味わって欲しい。

 小難しい話はなく、単純に一週間前のセントラルパークで約束したがために。


「ラフのイメージなら出来てんだ。

 力強く腰を落として今まさに眼前へ迫るアヤメ。両手は後ろへ向けられ、手に持つキャンディは振り抜く寸前で大きくしなる。そして背景にはアヤメの由来である菖蒲の華が満開な感じで──」

「ちょっと待って。なんで背景に華が?」


 意気揚々と構想を語る少年へ、少女は首を傾げて問いかける。

 戦闘中の一幕であらば、背後は殺風景ないしビル街のが相応しく、花屋で事を交えた訳でもなければ華を描写する意味がない。


「なんでかって? それはだなぁ……」


 アヤメの指摘に両手を引き戻して腕を組み、わざとらしく唸り声を上げるジニー。

 空気清浄機の稼働する音が室内唯一の音源として機能すること一秒、二秒、三秒。


「出来たら教えてやる」


 朗らかに笑い、ジニーはわざとらしくベッドに丸まり、上から布団を被る。

 アヤメが反応する間もなく、極短い間に。


「はぁ……じゃあ、楽しみにしてるよ。ジニー」


 菖蒲。

 五月上旬から中旬にかけて乾いた所で紫の花を咲かせる植物。

 その花言葉の起源はギリシャ神話、神々の伝令役として類稀なる非凡な役割を果たしたイリスにまで遡る。

 指し示す花言葉は、いい便り。メッセージ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

飴イジングヒットウーマン 幼縁会 @yo_en_kai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ