未来







 □






 四年の歳月が流れた。

 王太子はひとつの稟議書を吟味しつつ、確認の声を挙げる。


「“青薔薇の館”──モルターニュ邸の管理は?」

「ジュリエット、クレマンス、シャリーヌのメイド長たちによって、つつがなく」

「よろしい。引き続き、あの三人には相応のメイドたちを遣わせるように。ガブリエールの屋敷を、少しも損なってはいかんぞ」


 かしこまって了承する事務官が退出するのと入れ替わりに、見知った顔が廊下から顔をのぞかせる。


「兄上」

「ルトロか」

「先ほど、クロワ兄様からお手紙が届きました」

「おお、ありがとうルトロ」


 政務に明け暮れていたエミールは、小休憩とばかりに随従や政務官らを解散・休息を与え、遠く帝国へと婿養子に行った第二王子からの手紙を開封する。


「クロワ兄様は、なんと?」

「…………あちらも、順風満帆のようだ」

「それは何よりです」


 第一皇女マリィと結ばれた、王国第二王子クロワ。

 このたび、めでたく二人の間に、懐妊の報せが舞い込んだ。


「しかし──二年前までは信じられなかったがな──あのマリィが、うちのクロワに対してぞっこんだったとは」

「そうですか? 私は随分と前から、マリィ皇女殿下の真意がどなたに向いているのか、知っておりましたが?」


 それならそうと教えてくれ、などと言えない王太子は、第三王子の事情を探る。


「そういうおまえは、いないのか? ……ガブリエール以外に、気になる者は?」

「ああ……いませんね」

「嘘を申せ。本当は御付きメイドの」

「わー! わー! わー! ……なんのことでしょう?」


 あくまでしらばっくれる第三王子ルトロ。

 当時は知りようがなかったうえ、クロワも教えるつもりはなかったことだが、ルトロは一時期ガブリエールに一目惚れしていた時期があったという。

 ──それも、エミールがガブリエールを見初める“以前から”。

 ルトロたちが十三歳の当時、高等中学リセ―への入学を果たした折に、二人は出会っていたのだが、ガブリエールの祖父母が事故死したことで彼女が退学してからは、それきりの間柄であった。

 それが、自分の敬愛する兄にして王太子の婚約者として舞い戻ってくるなどとは、夢にも思わなかったそうな。


「ああ、ご心配なきように言っておきますが、兄上」

「今は諦めがついている、だろ?」

「誤解がないようで何よりです。それに」

「それに?」


 二十歳となったルトロは若き日の自分を恥じるように微笑みを浮かべた。


「私程度の男では、ガブリエール様とは釣り合いません。そのことを痛感しておりますので」


 エミール王太子が意識のなかった時節。

 ガブリエールは献身的にエミールを見舞いつつ、宮廷の行儀見習いに励んでいた。

 ルトロはそんな彼女に対し、一声もかけてやることができなかった、いわゆる臆病者であった。

 赤みがかった金髪の第三王子は手紙を届け終えると、国王ちち宛の兄上クロワからの手紙を携えて退出しようとした、その時だ。


「殿下!」


 何事かと随従に声をかけるエミールに対し、随従は襟を正して告げる。


「ガブリエール様が、奥様が、ご出産なさいます!」


 エミールは即座に立ち上がり、執務室を後にした。第三王子を国王への伝令役を命じ、王太子は疾風のごとく、広い宮廷内を駆け走っていく。






 □






 城の後宮に住まうようになったガブリエールが妊娠して九ヶ月を数えようかという時節であった。

 後宮に響く元気いっぱいな産声に、エミールは逸る気持ちを抑えきれない。


「ガブリエール!」


 彼女と、彼女との子を案じて来訪した王太子の一団が目にしたのは、寝台の上で愛らしい我が子を抱く、親王妃の姿であった。

 髪の色は父と同じ黒色。

 赤子の性別は、まっさきに女性の侍医が告げた。


「健康な男の御子です。妃殿下もつつがなくあられます」


 エミールは「そうか」と涙ながらに告げた。

 王太子はそっと寝台に近づく。けぶるような笑みで、銀髪の親王妃が、黒髪の王太子を迎え入れる。


「元気な男の子ですよ、あなた」

「ありがとう……ありがとう、ガブリエール」


 遅れて第三王子と国王が祝意を述べるべく後宮に馳せ参じた。

 王孫誕生の報は、瞬く間に宮廷に広がり、一日で王国全土を──わずか数日で大陸中に知れ渡ることに。

 王太子一家を祝福する鐘の音が、いつまでもどこまでも、響き渡り続けた。














                 おしまい




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清貧令嬢は王太子殿下の真意を知らない 秘灯 麦夜 @hitou_bakuya

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