猟師と狼
昔むかし。
無口な猟師がおりました。
いつもむすっと口をへの字に曲げていましたが、鉄砲の腕は確かでした。
(山の神様、今日も山に立ち入ることをお許しください)
山に入るときにはお祈り欠かさず、また下りる時にも(ありがとうございました)と感謝をささげ、必要以上の殺生はしないと誓う猟師でしたから、無口でとっつきにくくても村人からは厚く信頼されていました。
ある日のこと。
獲物を探して山を分け入っておりますと、茂みの中がガサガサ……。
猟師の天敵といえば、なんといっても狼。
注意深く近付きますと、やはりそれ。大きな灰色の体です。
猟師は無言で狼のもとへ。
狼も猟師に気付きましたが、何やら様子がおかしい。逃げない。いや、逃げられない。大変苦しんでいるのです。涙も流さんばかりに訴えるような狼の目に、猟師は意を決してさらに踏み込みました。
狼が大きく口を開けました。
それは威嚇でも、噛みつこうとしたのでもありません。
猟師は果敢にも、鋭い牙が並ぶ狼の口に手をずぼり。
喉の奥に引っかかっていたものをグイっと引き抜いてやりました。
それは大きな鹿の骨でした。ささくれ立っていて、これがのどに刺さっていたならそれは苦しかったでしょう。
狼は一度振り返った後、山の奥へと戻っていきました。
猟師は無言でそれを見送りました。
またある日のことです。
猟師は近頃、村人からよくない話を聞いていました。
村人も、出入りの業者も大変困っていました。
いたずらだけならともかく、食べ物を運んでいればそれを狙って襲い掛かっても来ます。とある親子など、子供を連れ去られそうになったとか。
険しい山に囲まれた地方でしたから、山の化け物にその道を閉ざされるのは一大事。
「何とかならないものか」
猟師はすがるようにして頼まれていました。
(むっ……!)
今日の猟師は気迫をみなぎらせていました。
(神様、どうか狒狒の害を除くのにお力添えをください)
化け物退治と意気込みます。
これまでも猟師は(出てくれば……)と神経をとがらせていましたが、狒狒は鼻も利くのか、鉄砲と火薬のにおいが染みついた猟師には全く気配も見せません。
猟師はそれならばとみそぎを済ませ、鉄砲と火薬も遠ざけて、身なりも山を抜けようとする旅人の風情を
村人にも内緒の命がけ。
今日こそはと、弱々しく見せかけた足取りとは真逆に、目はらんらんと光らせ、小さな音も逃すまいと耳も集中して、こずるい狒狒を待ち構えていました。
(きた……)
頭上でうごめくもの。猟師としての経験と勘が、それは猿でもほかの動物でもないと直感させます。
狒狒も
(あ……)
上にばかり気を取られていたせいか、猟師はけつまずいてしまったのです。
まさにその瞬間、隙だらけのその背に、狒狒が頭上から飛びかかってきた!
それはしかし、猟師の誘い。
転んだと見せかけてくるっと回転、えい! と、力任せに太いこん棒で横殴り。
がん! と、手ごたえ十分。
(しまった……)
ところが狒狒も知恵もの。猟師が弾き飛ばしたのは、なんと狒狒が奪っていたつづらだったのです。
横の藪からこそ、勝ち誇った狒狒の大きな体。猟師の偽装も狒狒は気付いていたのです。狒狒もまた、邪魔者を始末せんと策を講じていたのです。剣のような牙をむき、虎のような爪を立て、殺気立つ目は真っ赤に燃えているよう。
(無念……)
そのときでした。
負けを覚悟した猟師も、勝ちに喜ぶ狒狒も予期せぬこと。
狼が反対から猛然と駆けつけ、狒狒の横腹にかみついたのです!
もみ合う狒狒と狼。
猟師はこん棒を拾い上げると、狒狒の頭をガンッ! と。
狒狒はふらふら。猟師ににらまれ、狼にも
(これでもう、悪さをすることはあるまい。俺も、狼もにらみを利かせていれば)
狼はまた一度だけ振り向きました。その顔は「借りを返した」と言わんばかり。
以来、猟師は獲物の一部を必ず狼にも捧げるようになりました。
狼は山の神の使いとあがめられ、人は襲わず、逆に守るようになったということです。
あれとっぴきなしべ。
おしまい。
(岩波文庫「日本の昔ばなしⅢ:狼の報恩」より)
なごみの語りべ 歩 @t-Arigatou
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