籠虫雲を恋う

おーるぼん

籠虫雲を恋う

ある時ある所に、それぞれ種類の違う三匹の虫達が仲良く集まって暮らしていました。


その一匹の名前はヤマトといいます。性格は大人しいですが動きは素早く、頑健です。そんな彼は生命力に満ち溢れているといえるでしょう。


もう一匹はオオスズメです。彼は少々短気な性格であるというきらいがありますが、仲間と認めた者には心優しい三匹の中のリーダーのような存在です。


最後の一匹はヒトリです。天真爛漫な彼女はよくぱたぱたと跳ね回るので鱗粉を周囲に散らしてしまい皆から顰蹙を買う時もありますが、本人はあまり気にしていませんし実を言うと皆もそこまで気にしていないのです。それだけ愛されているという事なのでしょう。


それにしても、こうまで違う三匹の虫達が争いもせずに生活しているなんて、そんな事が本当に有り得るのでしょうか?


はい、有り得るのです。何故ならば彼等は長い長い旅路の末に見つけ出した『とこしえの草原』という素晴らしい場所を住処にしているのですから、喧嘩など起こるはずがないのです。


とこしえの草原。そこはイ草という植物がぎっしりと群生しており、餌には困りませんし彼等を狙う天敵もまたいません。その上陽の光がたっぷりと注ぎ込む場所であるにも関わらず、全くの無風なのです。


そこで他の虫達と共に一切の不満もなく平和を満喫する三匹でしたが、その幸せは突如彼等の元を訪れた大きな不幸によって終わりを告げます。


ある朝の事でした。


いつものように三匹が草原の中心にて微笑む太陽の愛を一身に受けていると、不意にばたりと大きな音がしたのです。


彼等はそれに驚き身動きも取れず、ただただその場で身を寄せ合って音の元凶である『動く平たい木』を見つめていました。


すると、そうして開かれた空間からある者達が姿を現しました。それは『ヒト』という名の野蛮な生物で、虫達にとっては最も恐ろしい存在でした。


ヒトは三匹を目にした途端にぴたりと動きを止めました。そこで漸く事の次第を……これはヒトの侵略だと理解した彼等は散り散りになって逃げ出しました。


しかし、それは悪手でした。


蜘蛛の子を散らすように逃げていた草原の虫達は、突然ヒトの背後から飛び出して来た何かに蹴散らされ、押し潰され、捩じ切られてしまいました。彼等はその何かを逃げるという行為によって刺激してしまったのです。


その何かはふさふさの毛に覆われ、くりくりとした瞳には愛らしさと無垢であるが故に潜む残虐性とが同居しています。それはヒトのしもべを演じる獣……ジュウボクといい、こちらも虫達にとっては『歩く天災』として恐れられている生物でした。


ジュウボクは草原にいた虫の半分以上を身の一部だけが生前のように動く肉片へと変えると、とうとうヤマトを次の標的にしました。


ヤマトはとても恐怖しました。とはいえ、再び逃げ出した所で目の前の怪物によって殺されるのは確実でしょう。そして、彼の後に狙われるのはオオスズメやヒトリかもしれないのです。


ヤマトは覚悟を決め、ジュウボクを正面に見据えてキーキーと喉が張り裂けんばかりに叫び、威嚇しました。


すると、それを見ていたヒトのうち一匹が「キャー!コハク!そんな汚いの触っちゃダメ!」と喚きました。


コハクと呼ばれたその生物は飼い主の叫びを聞き、揺らぎを見せました。


逃げるなら今です。しかし緊張のあまり、遂に腰を抜かしてしまったヤマトには動く事が出来ませんでした。


「ヤマト、逃げるんだ」


いつの間にか、側にはオオスズメとヒトリがおり、彼を両脇に抱えていました。二匹はヤマトを見捨てなかったのです。


こうして命からがら逃げ出す事に成功した三匹でしたが、とこしえの草原はヒトとジュウボクによって占領されてしまい、草原の遥か上にある暗く淀んだ地、『天空の日影』での生活を余儀なくされるのでした……






暗澹たる日々を乗り越え、幾つかの太陽と月を見届け、漸く決心のついた三匹はとこしえの草原を、ひいてはその外へと脱出するため、準備をしていました。


三匹は目配せを交わし、天空の日陰にある裂け目の前に並びました。支度が整ったようです。


すると、彼等の元に『クロ』という名の虫が現れました。


クロはこの場所の長であり、ヤマトと似たような姿をしている虫です。実は天空の日陰はクロやヤマトと同種族の虫達が多く暮らしている土地だったらしく、三匹は逃げて来た自分達を受け入れてくれた彼等と共に生活していたのです。


そんな彼はどうやら最後の挨拶をしに来てくれたようでした。クロはヤマトの前に立ち、こう言います。


「行くの」


「行く。オオスズメとヒトリ、ここでは、もう、生きられない」


ヤマトは言いました。確かに他の二匹は以前と比べ、幾分痩せこけたように見えます。


ですがそれは当然、ここで餌となる物はチリやホコリしかないのですから。


ヤマトはそれでも生きていけますが、二匹はそういうわけにもいかず、このままではただ死を待つばかり……ここを脱出する一番の目的はそれだったのです。


「……やっぱり、ダメだ。クロ見てきた。ヒト、虫潰し、毒使い、煙かけ、罠作った。仲間沢山死んだ。行っても皆、死ぬ。オオスズメとヒトリ、せめてここで、穏やかに……辛いけど、それ一番。下に行けば、皆苦しんで、死ぬ」


クロはそういいました。


クロの発言は少々冷たいように聞こえたかもしれませんが、決してそんなわけではないのです。寧ろとても心優しい彼は三匹の事を思い、こう言ったのです。


彼はヒトの恐ろしさを、残虐さをとてもよく理解しています。だからせめて、二匹は天空の日陰でヒトの手に掛かる事なく最後を迎え、ここで生きられるヤマトはクロ達と引き続き生活を共にしていくのが最善の方法だと、そう考えたのです。


ですがそれを聞いても尚、ヤマトは考えを改める事はしませんでした。


「ダメ。オオスズメとヒトリ、ヤマト助けた、次はヤマトが助ける。」


「……分かった。最後に、忠告。ヒトいない所で、ヤマトとヒトリ、オオスズメから、離れちゃ、ダメ。それじゃ」


「今まで、ありがとう。さよなら」


最後の挨拶を終えた三匹はするりと下に舞い降ります。


それを見届けた後もクロは長い間そこにじっとしていたのでした。


ヤマトの背中に同じように光を求め、そして死んでいった仲間達の面影を感じながら。






三匹が降り立った空間では、奇妙な事が行われていました。


その場所には無生物のような見た目をした生物が至る所に存在し、皆がしゃがしゃと音を立てながら同じ場所を動き回ったりしています。しかもその殆どが何かに躓き、倒れているのですが……それを気にせずじたばたと宙を蹴り続けているのです。これを奇妙と言わずして何と言うのでしょうか。


そして、中央には生物達の下手糞な行進を眺めながら、嬉しそうに手を叩いている小さなヒトがいました。三匹はそのヒトを『無生物の王様』と名付けました。


三匹はひとまず目前の光景から目を離し、過去の記憶を手繰り寄せます。自分達が天空の日陰へと逃げて来た道筋、今回はその逆を行けば良いと考えたのです。


ヒトからの侵略を受けた時……


三匹はとこしえの草原の側にあった『連続する断崖』を駆け上がり、それを越えた先にあった『並列した倒木』を突き当たりまで進みました。


その後、左手にあった空間へと逃げ込みましたが、ヒトの追って来る気配を感じ、頭上にあった隙間へと咄嗟に入り込みました。そして、その隙間というのが天空の日陰への入口だったのです。


とまあ、大まかな説明ではありましたが、以上が事の顛末となります。


そうするとここはあの時に通った何も無い空間のはずですが……恐らく侵略を終えたヒトが無生物の王様へとこの場所をあてがったのでしょう。


回想を済ませた三匹は再びきょろきょろと周囲を見回し、脱出口を探します。


しかし、以前彼等がここへと入り込んだであろう場所は平たい木のような物で閉ざされていました。


となればあの無生物の王様に平たい木を開けさせ、それに乗じて並列した倒木へと脱出するしかなさそうです。


とはいえ、一体どうすれば良いのでしょう。三匹は悩みました。


そうして彼等が暫く頭を抱えていると、無生物の王様が突然咳き込みました。恐らく自らの拍手により舞った埃等が原因でそれは起こったのでしょう。あのヒトは気管支が少々弱いと見えます。


「なら、任せて」


不意にそれを見たヒトリが言い、ヤマトとオオスズメが止めるのも聞かず、王様の頭上へと飛び立ちました。


ヒトリはそこでぱたぱたと飛び続けます。なるほど、彼女は鱗粉によって王様を更に咳き込ませ、それに苦痛を覚えたヒトがこの場所から退避するのを誘っているようです。


彼女の作戦は成功し、ヒトは苦しげに咳を続けます。


「翔太、どうかしたの?」


すると、王様が何度も咳き込むのを耳にしたらしき別のヒトの声がし、こちらへと向かって来る足音も聞こえました。


それを聞いた二匹は急いでヒトリを物陰へと連れ戻します。


数秒後、やはり声の主であるヒトは平たい木を開け、この場所へと入って来ました。


そして、あらかじめその付近に待機していた三匹は急いで外に飛び出し、無事にこの場所を脱出する事に成功したのです。






王様の間を脱出する事に成功した三匹でしたが、彼等は再び悩んでいました。


何故なら連続する断崖の途中には、なんとジュウボクが番人のように佇んでいたのです。これではとこしえの草原に進む事が出来ません。


ですが、もたもたしていればいつヒトが戻って来るかも分かりません。そう思った三匹は連続する断崖の側にあったもう一つの平たい木がほんの少し開かれているのを見て、中へと入り込みました。


そこは先程の場所と似たような大きさの空間でしたが、こちらは少々埃っぽく、沢山の物が乱雑に置かれています。それはまるで、『モノの墓場』のようでした。


「……あれ、使える、かもしれない」


不意に辺りを見回していたオオスズメがそう言いました。彼の指した先には紐の付いた小さな球体のような物があります。


確かにあの時、ジュウボクは虫達の逃げる姿を見て本能的に襲ってきました。ならばあれを上から落として逃げている生き物のように見せれば、ジュウボクの気を逸らし、この場をやり過ごせるかもしれません。


「ヤマト、取って、来る」


オオスズメの案に賭けてみる価値はある。そう判断したヤマトは言い、球体へと歩き出しました。


「待って」


すると、他の二匹がそれを呼び止めます。


「何?」


「クロ、言ってた。ヒトいない所、離れちゃダメ」


ヤマトはそれを聞き、クロの忠告を思い出しました。


ですが、あれは『逸れると困るから』と言うような意味合いだった。そう彼は受け取っており、今のようにちょっとした場面なら大丈夫ではないのか?と考えました。


ヤマトは自分の考えを二匹へと話してみましたが、それでも尚オオスズメとヒトリは三匹で行動しようと主張してきます。まあ、それを断る理由もないので、結局三匹はまとまって球体を取りに行く事にしました。


ヤマトはかさかさと地を這い進み、オオスズメはチャバネの側をぶんぶんと飛び、ヒトリはひらひらと宙を舞い、二匹に付いて行きます。もうじき、球体に手が届くでしょう。


……その時でした。


三匹と球体の間に一つの影が上空から突然落下してきたのです。


それは、アシダカと呼ばれる生物でした。


アシダカを見た三匹は身構えました。彼等はクロからこの生物の話を聞いていたのでよく知っています。アシダカはヒトが侵略を終えた後にこの場所に住み着いた生物であり、他の虫を襲い、食料とする乱暴者なのです。


これは非常に危険な状況だと言えます。アシダカはヤマトやヒトリにとって天敵です。オオスズメならば勝てたかもしれませんが、体調の万全ではない今の彼ではとても敵わないでしょう。


「エサ、来た……ん?」


ところが、アシダカはオオスズメに目を留めた途端、臨戦態勢を解いたのです。


その状態のまま時が進むにつれ、とうとうアシダカは敵意さえもその身から消し去ってしまったようでした。これは一体どう言う事なのでしょう。


「……英雄!英雄だ!君も、英雄。君も、友も、食べたり、しない」


その答えとなる発言がアシダカから飛び出し……た訳でもなく、さっぱり意味の分からない三匹はただただ首を傾げる事しか出来ませんでした。






アシダカの話によれば以前、とある一匹の蜂がとこしえの草原へと迷い込んできたらしく、その蜂は三体いるうち最も大きなヒトに襲われた際勇敢に戦い、遂には彼自身の持つ毒針の一撃を喰らわせたと言うのです。


ただ、攻撃した事によって蜂は亡くなってしまったようですが、それ以来ヒトは虫を見る度に彼の反撃を思い出してしまうらしく、虫達を無闇矢鱈に殺さなくなったのだそうです。


そうして前よりもほんの少し快適な生活を送る事が可能となった虫達は喜び、彼を英雄と讃え、彼と同種及びその他の蜂全てに敬意を払うようになったと言います。


ちょうど、今のアシダカのように……


以上の話で彼が攻撃の手を止めた事に納得し、すっかり目の前の生物に心を許した三匹は今現在自分達が置かれている状況を説明しました。


すると、それを聞いたアシダカは自ら進んで囮役になってくれると言うのです。


何もそこまで、と三匹は引き留めましたが、張り切る彼の耳には届いていないようで、球体を持ち上げると外に出て行ってしまいました。


仕方なく三匹はそれに続き、連続する断崖の前に立ちました。アシダカは既に準備が出来ているらしく、二本の脚で器用に球体を弄んでいます。


「よし、いくぞ」


そう言うとアシダカは壁を伝い、ジュウボクの頭上にまで移動しました。


そこで彼はおもむろに自らの脚と球体を紐で結わえた後、それをジュウボクへと垂らしました。


「ほら、木偶の坊。遊んでやるぞ」


彼の作戦は見事成功しました。毛むくじゃらの怪物は球体を見た途端、まるで玩具を与えられた幼児のようになり、必死でそれへと手を伸ばします。


「今だ、行け」


アシダカの声を聞き、三匹は連続する断崖を下り始めました。


ゆっくりと、ゆっくりと、慎重に慎重を重ねるような動作で三匹は進みます。彼等の中で最悪の事態を恐れ、節操なく揺れ動いているのは今や背脈だけでした。


それからどれ程の時が流れたのでしょうか。いえ、実際はニ分にも満たない時間だったのかもしれません……とうとう、ジュウボクの背後を通り抜ける時がやってきたのです。


三匹はより一層注意深く、脚先に全神経を集中させて移動します。


しかし、興奮した獣が振り乱していた尾の先、それが何とヤマトの触角を掠めたのです。そのせいで彼の触角は少し傷付いてしまいました。


悲劇はそれだけでは終わらず、尾が何かに触れた事に気付いたジュウボクはぴたりと静止しました。今動けば間違いなく気配を察知され、振り向いた奴によって三匹は引き裂かれてしまうでしょう。


最早絶体絶命……かと思われましたが、アシダカが咄嗟に球体をジュウボクの顔面へと叩き付けた事で、怪物の注意は再びそれに向けられました。


ヤマトは少しふらついていましたが、オオスズメとヒトリの支えもあり、何とか前進を続けました。


そして遂に、三匹は連続する断崖を渡りきる事が出来たのです。


「ありがとう」


とこしえの草原の目前で立ち止まったヤマトは、振り返ってそう言いました。


それはアシダカへの礼でもあり、その向こうにいるはずのクロへの礼でもありました。


何故なら、彼の忠告がなければ今頃三匹はアシダカの協力を得る事も出来ず、連続する断崖の狭間にてその生涯を終えていたのでしょうから。






遂に三匹はとこしえの草原へと踏み入りました。

草原は暖かく、あの頃と変わらぬ姿で彼等を迎え入れてくれましたが、澄んだ森林のような芳香の中にはそれが蹂躙された事をはっきりと証明する、動物の脂の臭いも混じっていました。もうここでは昔のように、穏やかな気持ちで朝を迎える事は出来ないのでしょう。


それに気付いて心を痛めた三匹でしたが、いつまでも感傷に浸るような事はしませんでした。


自由は、すぐそこなのですから。


しかも幸いな事に、目の前にいる大きなヒトはぐうぐうと鼾をかいて眠っています。これならば悠々と側を通り抜けられるでしょう。


三匹はいざとなるとやや緊張したものの、互いに励まし合って前進し、難なくヒトの脇を通過する事が出来ました。少々呆気なくも感じられましたが、これで全ては終わったのです。


後はこのまま外に出るだけ。彼等ははやる気持ちを抑えながら、外へと続く平たい木の前に足を運びます。


しかし、三匹は大切な事をすっかり忘れていました。


そう、平たい木は王様の間と同じく、硬く閉ざされていたのです。皮肉にもあの頃天敵から虫達を守ってくれていたこの木は、今では虫達を幽閉する牢獄の扉となり果てていたのでした。


この木は外敵を阻む城壁と言っても過言ではないのです。王様でさえ使っていたそれをこの大きなヒトが利用しない訳がないではありませんか。何故こんな簡単な事にも気付けなかったのでしょう。


絶望した三匹は床にへたり込みました。


「う、うぅ。」


悪夢は続きます。とうとうヒトが目を覚ましたのです。


ヒトは透明な壁を開き、おもむろに小さな筒のような物を懐から取り出すと、それに火を付けました。


そして、三匹の存在に気付いたようです。


「……虫か?気持ち悪」


ヒトは筒を咥えたままきょろきょろと周囲を見回し、連続する断崖にいたジュウボクに目を止めると、それを抱えて三匹の前へと連れてきました。


ジュウボクは新たな玩具を見つけ目を輝かせています。ですが、すっかり心の折れてしまったオオスズメとヒトリは動く事が出来ませんでした。


最早これまで……と誰しもがそう思った時、ジュウボクの前へとヤマトが進み出ました。


「ヒト、透明な壁、開けた。オオスズメとヒトリ、あそこから、逃げられる。だから、逃げて。ヤマト、何とかする」


どうやらヤマトはまだ諦めていなかったようです。自分自身の命以外、全ての事を。


「……ダメだ。ヤマトも、一緒」


「……ヤマト、逃げよう。一緒に」


するとオオスズメとヒトリがそう言い、同時に飛び立ちました。


オオスズメはヒトに毒針を向けながら接近し、ヒトリはジュウボクの頭上を飛び回り、気を逸らそうとしています。先程まで絶望に囚われていた二匹でしたが、彼等もまたヤマトと同じように、『仲間のためなら自分が死んでも構わない』という勇気をその身に持ち合わせていたのです。


「わっ!は、蜂だ!」


オオスズメを見たヒトは恐怖し、尻餅をつきました。続いてその音に驚いたらしきジュウボクもあたふたと草原を駆け回ります。


「ヤマト」

「ヤマト」


今が好機と判断したオオスズメとヒトリはすかさずヤマトを抱えます。しかし、今の彼等では虫一匹を持ち上げたまま飛び立つ事は難しいようでした。


「もう、いい、逃げて」


ヤマトは言い、二匹の腕を振り解こうともがきました。ですがそれでもなお、彼等はヤマトを見捨てて逃げ出そうとはしませんでした。


「ヤマト、ヤマト」


その時、頭上遥か高くから聞き慣れた声がしました。


クロです。クロが天井の隙間からこちらへと話しかけているのです。


「クロ」


「ヤマト。今ならヤマト、飛べる。自分、信じて」


クロはそう言いました。


ですがヤマトは生まれてこの方飛んだ事がなく、そう言われた所で飛び方を知らないのです。


そうこうしているうちに、ジュウボクは落ち着きを取り戻してしまいました。その視線はこちらへとまっすぐに注がれています。


そして、ジュウボクは身を低くした後、三匹へと飛びかかってきました。


すると、それを見たヤマトの体に異変が起こりました。


それは体中が『生きたい』という思いで満たされるような、奇妙な感覚でした。まるで、全身が意思を持ち、生を渇望する思念体へと変わったような……



そんな事を考えていると、いつしかヤマトは飛んでいました。



しかし、ジュウボクはすぐそこへと迫っています。これでは、もう……


その時突然、ばちんという音が。


それは三匹を逃がすため、クロがジュウボクへと体当たりを喰らわせた時の音でした。


「クロ……」


「ヤマト。オオスズメ。ヒトリ。さよなら」


「……ありがとう」


三匹は彼の思いを噛み締めながら、高く、高く、飛んでゆくのでした。






無人となったとこしえの草原では、何かの催物が開かれていました。


皆好物やきらきらと光る物を持ち寄り、それを祭壇とその脇にある三匹の虫の像へと運んでいます。


なるほど、今日は記念日なんですね。


四匹の英雄を讃え、一匹の勇敢なる者の死を追悼するための、ここにいる全ての虫達にとって大切な日……


そんな大切な日を、野次馬根性で見物するのは野暮というものでしょう。


それではこれにて、語り手は退散させていただくとします。

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