猫と腕時計

@nekototokei

第一話

 祖母が死んでしまった。90歳での衰弱死で、家族に見送られて病院のベッドで逝ったのだからまあ幸せな生涯だったのだろうと思う。わたしは別に祖母が大好きって訳じゃなかったけど、生まれた時から知っている人が死んでしまうというのは辛かった。当日の内は何度も母と顔を真っ赤にして涙を流し合った。


 それから一週間が経って、わたしは祖母の部屋に来ていた。

「おばあちゃんがねぇ、あんたにあげるんだってずっと言ってたのよ。」

母はまだ祖母の死から完全に立ち直れてはいないようだったけど、それでもここ最近はかなり安定してきたように思う。

「はい、これ。」

手渡された小さい箱はずしりと重く、蓋を開けてみると中には立派な一本の腕時計が入っていた。

「きれい…。」

思わずそう呟いてしまうほど、それは周りとは違う雰囲気を纏っていた。一目で上質なものだと分かるレザーのベルトに、銀のフレームと金の針がとっても良く映えている。ただ…

「これ、もう動かないの?」

時計の針は12時丁度を指したままぴくりとも動かなかった。


 丁度夏休みに入ったばかりで、特にやることもなかったわたしは時計屋さんに行ってみることにした。せっかく祖母がわたしに遺してくれたものだったし、見た目もとっても気に入ったから、出来れば修理して普通に使えるようにしたかった。そういえば、私も小さいころは祖父と祖母の家によく遊びに行ってたっけ。優しい栗色の目で泣いている私をのぞき込む祖父と、その後ろで背筋をしゃんと伸ばしながら微笑む祖母の姿が朧気ながら浮かんでくる。わたしが小学生に上がるころ、病気で祖父が死んでしまって、それ以来祖母とは何となく疎遠になっていた。


「これは直りませんねー。」

無機質な声が響く。家から駅前の時計屋さんまで、30分もかけて歩いて来たのに、時計を預けて5分ほどでそう匙を投げられてしまった。まぁ、仕方ない。せっかくなので他の時計屋さんもあたってみよう。そのためにわざわざ駅前まで来たのだ。

「ちょっと無理っす。」

次のお店に行こう。

「うちでは直せないですね。」

次だ次。

「あはは、お嬢ちゃん。こりゃ直せねえよぉ!」

「なんでよ!!!!」

 世の中そんなに甘くなくて、次に行ったお店もその次に行ったお店もさらにその次に行ったお店も、良い返事はしれくれなかった。夏真っ盛りの快晴で茹だるほど暑かったし、セミの鳴き声も人混みもうるさく感じて、ついイライラしてしまった。

「なんでよ!なんで!時計屋さんが何で直せないの!!」

目の前で時計を分解していたおじさんにそう攻め寄ると、おじさんは目を丸くして、数回瞬きをしてから豪快に笑った。

「がははは!!!なんでって、そりゃそうだよな!気になるよな!!」

「そりゃそうでしょ!ここで4軒目なのに、どこも直してくれないなんて!理由くらい教えなさいよ!!」

なおもガハハと笑い続けるおじさんは、その見た目とは裏腹に繊細な手つきで手元の腕時計を組み立て直しながら言った。

「正確に言うならな、これは直せないんじゃなくて直らないんだ。歯車も、配置も、全く問題ない。それでも動かないんだ。」

「なんで?そんなことあるわけないじゃん。」

意味が分からな過ぎてますますイライラする私に、おじさんは少しだけ優しく、諭すような声で教えてくれた。

「動力がないんだよ、この時計には。普通のやつなら、電池なりソーラーパネルなり、何かしらあるはずなのに。そういうスペースが一切ない。これじゃあ、直してくれって言われても無理な話だぜ。」

それならそうと最初から教えてほしかったが、おじさん曰くそれは時計屋としてのプライドが許さなかったんじゃないかとのことだった。結果直せないなら同じじゃないのかなどと思いながらも、今までの自分が何にムキになっていたのか分からなくなるくらい、すーっと冷静になることができた。

「もしかしたら恋が始まれば時計も動くかもな!」

ガハハと笑うおじさんを無視してお店を後にした。


 元から動かないのなら仕方がない。諦めもつくというものだ。祖母が何を思ってこのガラクタをわたしに譲ろうとしたのかは分からない。もしかしたら観賞用のものなのかもしれない。そう捉えても納得できるくらいに綺麗な腕時計だったから、わたしはそれを腕に巻いて夏の小道を歩いた。さっきまでの余裕のない自分が信じられないくらい、清々しい気分だった。川にきらきら反射する太陽の光も、さっと首元を通っていく乾いた風も、今のわたしには新鮮に感じられた。


 家の近くで缶ジュースを買って飲もうとしたとき、一匹の白猫がこちらをじっと見ていることに気付いた。

「君、凛々しい顔してるねぇ。」

いつもなら絶対にないことだけど、この時は気分が良くて、正直言って浮かれていた。ちょっとだけ寄り道しよっかな、なんて考えて、わたしは白猫の後を追ってみることにした。

けど、追ってみてすぐにわたしはこの選択を後悔した。最初は良かった。狭い路地や塀の上を通り抜けていくのは、いかにも非日常って感じがして楽しかった。横断歩道は青になるのを待って堂々と白線を踏み越えていく姿は、本当に猫なのか疑いたくなるほどだった。それから森に入って、草を掻き分けながら山を登っていくのは、正直しんどかった。わたしが疲れて立ち止まると、白猫も一緒に止まって待っててくれた。もしかして、わたしをどこかに連れて行きたいのかも。もうかなり歩いて、道もどんどん狭くなってきた。木の枝にぶつからないよう屈みながら白猫を追いかけていると、急に下り坂に出た。わたしはバランスを崩してしまって、木の根っこに躓いて思いっきり転んだ。重力に任せて下り坂を転がるように下っていき、土の壁にぶつかって止まった。

「いててて。」


 最終的に私がたどり着いたのは、広く浅い穴だった。周りの土の壁は私の膝くらいまでの高さで、さらにその周りには大きな杉の木が囲んでいた。穴の底は柔らかな草むらになっていて、太陽の光がちらちらと差し込んでいた。

「ここが君の連れて来たかった場所?」

白猫は答えず、しゃんと背筋を伸ばして私たちが来た方の道をじっと眺めていた。

 どのくらいそうしていただろうか。その道から、真黒な猫がぴょいと飛び出てくると、続けてわたしの時と同じように、少年が一人、情けなく転がって来た。その少年は頭に付いた葉をどけて、不思議そうにわたしを見上げていた。長い前髪から覗く栗色の目がきれいだと思った。左腕に付けていた腕時計の針が、カチッと動き出したような気がした。

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