歌集・究極の敵だった親父へ

尊野怜来

その一・救急搬送の電話から、彼の死まで

 【前書き】


 子供の頃はアルコール依存症でモラ母だった母よりは、酒が一滴も飲めない父の方を慕っていました。特に若い頃は父は声を荒げることもあまりなく、DVなどとも無縁の、理系だからか論理的、理性的な性格の、それも色白で小柄な男性だったからです。

 もっとも「喧嘩は声がでかい方が勝つ」などと常々言っていたので、声は大きく、怒ると言葉も乱暴でした。ただ、暴力だけは決してしませんでした。


 そんな家庭で育ち、私は大人になって家を出てしばらくして、AC(アダルトチルドレン)の本を読みました。

 それから、よくよく考えているうちに、ウチの異様な家族を支配していたのは酔ってはある事ない事、難癖をつけ大暴れする母ではなく、実は父だったと気が付きました。

 父は長年、母が飲んで暴れて行う、凄まじいばかりの言い掛かりによる争いや体罰の中、娘を我儘横暴な母から守っているように見せていました。本人は自覚なくしていたのだと思います。

 

 でも実はアルコール依存症になるまで母を追い詰めたのも父だったのです。

 アルコール依存症であることは明確であったのに、治療を受けさせることもしませんでした。臭いものには蓋をして隠そうとするのが父の常套手段であり、それが私のウチのルールでした。

 その頃、「毒親」という言葉が世に現れました。私は我が両親、それも父がそれにぴったり当てはまっていることに気が付きました。それからは実家とは距離を置き、実家の番号は携帯の着信拒否リストに入れました。



 そんなある日、zoomで授業を行っている最中に電話がかかって来ました。

 見覚えのない番号で、無視しようかとも思ったのですが、何か感じるところがあったのでしょう。私が電話に出ると、電話の向こうは実家の近くの病院の救急外来からでした。

「娘さんですか。お父様が肺炎で救急搬送されました。何日もご自宅で倒れたままになっていたそうで、容態がとても悪いです。ウチの病院では手に余るので違う病院へこれから救急車で搬送します。お母様は認知症のようですので、出来たら搬送先の病院へ行ってただけますか」

 来るべき時が来た。

 最初に思ったのはそんな感じでした。

 看護師さんの話を聞いている間にも、サーッと血が引いて、手が冷たくなり、頭に血が昇って血圧が上がったのが分かりました。

 ちょうど午前の授業はあと5分ほどだったので、zoomで繋がっていた学生の皆さんに、「父親が救急搬送されたので……」と言ったら、皆さん「早く行ってあげてください!」と言ってくれました。

 科の上司へはLINEで知らせ、その日は午後は半休にしてもらいました。


 病院へ着くと、父は毎分200近い、凄まじい脈拍数になっていて、医師からは「コロナには感染していません。細菌性の肺炎だと思われます。肺は真っ白。糖尿病も患っているし、倒れていた間はインシュリンも打てていない。今は心拍の調整がなかなかつかない状態。もしもの覚悟をしてください」とのことでした。 

 久しぶりに会った母はすっかり半分ボケたお婆さんになっており、衣服も薄汚れてだらしなく、汚れた不織布マスクの下に何枚もガーゼを突っ込んでいました。父は数年前に廃業したとはいえ医師であったにも関わらず、認知症の母の介護認定もとっておらず、一見して身の回りの世話もろくにしていなかった様でした。

 その母と一緒に、病室に運ばれる前に救急外来で父の様子を見に行くと、その時は意識がありました。

「おお……」

と言ってこっちを見たので、わかったかと思います。

 それが、生きていた父を見た最後となりました。

 

 そのまま父は入院しました。

 コロナ禍ということもあり、それからはもう見舞いへも行けませんでした。 

 入院から3日目の朝、病院から「御危篤です」の電話があるまで。

 病院の呼吸器内科もコロナでテンパっていたのか、急いで行きましたが、着いた時にはもう父は旅立った後でした。

 それは、彼の誕生日の3日前のことでした。

 年齢のこともあり、また昔から本人が延命措置も葬式もいらない、と言っていたので、入院時に「心停止後に蘇生はしない」という書類にサインしていました。ですから、心肺停止の状態で治療は終了されたそうです。

 痰を吸入する装置に、血の混じった痰がいっぱいに詰まっていたのが彼の最後の闘争を物語っていました。

 窓の外は快晴の真っ青な11月終わりの高い空で、私は、

「いい日を選んで、さっさと呆気なくあっちへ逝きやがったな。最後まで『優等生』だわ」

と思っていました。

 そして、「これで家族のことでの苦しみがやっと終わった」という安堵感もあったのです。

 学習障害で成績が凸凹だった私と違い、父は学生時代は本当に優等生だったそうで、某大医学部に入学した時は「首席入学」で新入生代表で挨拶をしたと聞いていました。

 これは遺品を整理している時に、大学から依頼された「新入生代表の挨拶」の紙が出て来たので、本当でした。

 他にも父は合格した大学の合格通知を全て保管していました。(私は自分の合格通知などは全く無頓着で捨ててしまいました)

 60年以上前のこんな書類をずっと保管していた父。彼が自己顕示欲の塊だったことがよく分かりました。


 父とは仲違いしたままでしたが、その事についての後悔はあの日も、今もありません。

 それでも、祖父や私によく似た顔で、最後の呼吸をした姿のままに死んでいるのを見ると、自然と涙が流れました。

 この短歌集はそんなことがあった後の、私の感慨を集めたものです。



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あなたには騙されていた三十年言葉は通じず私は逃げた


似ていたね顔の皮から足の裏なのに心は光年の彼方


辛い家親父が支配していたと分かった今も流れる涙





実家いえからの電話は着信拒否でした鳴った電話は救急外来


昼過ぎのオンラインでの授業中、指まで冷たく震えが来ました


一体なんで?スマホの向こうで看護師が細菌性の肺炎だという


風呂嫌い服も滅多に洗わずにそのままジジイをやってたんだね


肺炎で倒れた場所は洗面所そのまま三日放置されたと


判断のつかない母が三日目になんでか駆け込む近所の内科


認知症母はあなたを放置した三日の間になにがあったの


肺炎で三日も床で放置されあなたは後悔したのだろうか


認知症母は語らぬ秘密かよ何を話して三日過ぎたか


半世紀過ぎた襤褸家の洗面所三日悶えた日々は復讐


死んだんだ父は襤褸家で倒れ伏し母は三日をだた待っていた


無意識に母はあなたを殺したか独裁者なんざもういらねえと


救急で一瞬目と目が合ったなあ、あれが最期とは思わなかったよ


馬鹿だなあ数年ぶりの母見ればきたないマスクを重ねて着けて


医師は訊くもしもの時の延命を母も娘も一致しないで(そのまま逝かせて)


実家へと数年ぶりに這入り知る匂い腐れた我がいえの死を


ガラクタに覆い尽くされ残される母は幾月、服も着替えず


洗面所三日倒れていた人の残臭こもる部屋を掃除す


持ち帰る汚れた下着三日分着替えさせたのと得意げな母






朝に鳴るスマホの向こう医師は言う「すぐ来てください」ああそうですか


急がずに呆けた婆と病院へ掴む手首にもう脈はなく


医師が言う訣別告げる後ろには血痰詰まる吸入器あり


その年はコロナで終わった年だった父は独りで逝くほかはなく


一月の伯母の死を聞き父もまた終わりは近いと悟りたるかな


いいんです葬式はなし火葬場へせめてと思い選ぶ青壺


いらねえよ葬式なんざ馬鹿馬鹿しいそうだね骨は散骨だったね


真っ青な青磁の壺を選んだよあんたを空と海へ還そう


きれいだとおのれ正しと信じても末期はまるで野垂れ死にだね


二つある猫の骨壺横並び青い新入り窮屈そうに


青と銀覆いの色が冷たくて金の鎖で十字架を掛け


馬鹿だねえもうあのおんなは忘れたよあんたの支配も末期の声も


ああそうだあんたとはもう遭いたくないこの後幾度生まれてきても


憎めない姿が似ているそれだけでなんであんたを殺せなかった?


いい天気空が高くて青空で晩秋の朝日が屍照らす


母も去り誰も棲まない死んだ家そこで掘り出す過去はいらない


儚いねあんたの親も兄姉も入院してすぐあっけなく去り


若き日の微笑み見ても許せないおまえは私の疫病神だ


捨ててやるおまえと母のいた過去を写真破って火にべてやる


優しさはもう要らないよ見せかけの拾い集める時は愉快だ


きたないね新しい歌詠み上げるこころ真っ黒もう荼毘にふせ


細菌に殺されるなんてみっともない反省しろよ医者だったのに





野辺送り済んだと思えば母入院腰椎骨折全治二ヶ月


尻もちをついたんでしょうねご主人を起き上がらせよとしたんでしょ


情けない抱えて起こす暇あれば救急車だろバカ夫婦めが


あはれ父、母を見舞いに行った日はあの地この地を行ったり来たり


家はどう?見に行かなきゃと言う婆よ家の敷居はもう跨げない




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