第2話
「あっちい……」
校門のフェンスを乗り越え、誰もいない教室の自分の席に座った。
「暑いな」
二人でTシャツをパタパタさせながら体を休ませていた。
「悪かったなレオ。まさか叔母さんが裏切るなんて」
「マコトが謝ることじゃねえよ。誰も悪くない。仕方ないさ」
「……ああ」
それからしばらくの間、俺たちは何も喋らなかった。
ただ黙ってこの現状をどうするべきか考えていた。
「もう、無理なのかな……」
マコトがぼそっと口にした。
俺だってわかってる。
もう俺たちにどうすることも出来ないのはわかってるんだ。
だからといってこのままチップを埋め込まれ、人間じゃなくなるなんて耐えられない。
そんなの生きてるとは言えないだろ?
死ぬのと同じだ。
洗脳され、行動も考えもコントロールされるくらいなら死んだ方がマシかもしれない。
「なんでこんな世界になったんだろうな」
一人言のようにマコトが言う。
「そうだな……」
「誰がこんなこと考えたんだ?」
「さあ。コンピューターに詳しいヤツじゃ?」
「人間をゲームみたいにコントロールしてやろうって?」
「最初はそうじゃなかったんじゃないの? ただ便利な世の中にしようってだけで」
「結果これかよ」
「誰かが気付いた。チップで洗脳出来るって」
「ちょっと待てよ。チップって、要はスマホとかパソコンと同じようなもんだよな?」
「簡単に言えばな」
「チップは全てサーバーを経由するんだよな」
俺はマコトの考えがわかった気がした。
「チップをショートでもさせる?」
「ネットワークの回線を切れば」
「もしくはリセットするか」
俺たちは顔を見合った。
「ステーションに乗り込むか」
「ああ、最後にやれるだけやってみよう」
マコトと笑ってハイタッチをしようと手を伸ばした時だった。
『そこにいる人間たち、おとなしく出てきなさい。出てこないならこちらから突入するぞ』
「はっ?」
「やべえ」
二階の教室の窓から外を見るとパトカーが二台、校庭に停まっていた。
「嘘だろ?」
「そっか、監視カメラはどこにでもある」
「とにかく逃げるぞ」
「でも……」
「なんとかして逃げるんだマコト」
「わかった」
「ふた手に別れよう。ステーションで待ち合わせだ。いいな?」
「おう。気をつけろよレオ」
「マコトもな」
俺たちは校舎の裏門を出てからふた手に別れた。
パトカーや警察から身を隠しながら走り続け、ようやくステーションの裏口にたどり着いた頃には、すでに辺りは暗くなっていた。
かつて東京タワーと呼ばれていた鉄塔の横にある細長いステーション。
その裏口の茂みの中に身を潜めていると、こちらに向かってくるマコトの姿が目に入った。
「マコト! こっちだ」
俺に気付いたマコトがほっとした顔で側に来た。
「よかったレオ。お互い無事だったな」
「ああ、何とかな」
二人で息を整えた。
一日中走って、足は石のように重く喉もカラカラだった。
「で? どうやって入る?」
マコトが茂みからステーションを見上げながら言った。
「さっき見てたんだけどさ。出入りは自由みたいだ。セキュリティはほぼゼロだな」
「なんでだ?」
「みんな洗脳されてるからセキュリティは必要ないんだと思う」
「なるほど」
「で、メインサーバーはどこにあると思う?」
「そうだな……一番上かな。じゃないとこんなに高い建物を造る意味がない」
「だよな。行ってみっか」
「ここまで来たんだ。行くしかねえだろ」
「よし。最後のあがきだ」
「おう」
マコトと固く手を握りあった。
俺たちはすんなりとステーションの中に入っていった。
エントランスにはエレベーターがあるだけだった。
「なんか気味悪いな」
「うん」
誰にも会わずにエレベーターに乗った。
「ヤバイぞマコト。ボタンがない」
「本当だ」
エレベーターには階を押すボタンが付いていなかった。
ドアが閉まると同時に体がスッと浮くような感覚がしていた。
「どうなってんだ?」
「ステーション自体がコントロールされてる」
「じゃあ俺たちがここにいるのは」
「バレバレだろうな」
少しの沈黙のあとにエレベーターは止まりドアが開いた。
俺たちは一歩ずつ前に出た。
広いフロアで全面ガラス張りの窓。
月明かりでかすかに見えるくらいの明るさの部屋。
「なんだ? これは……」
部屋の中央にある大きな筒状の水槽に近付いた。
そこには見たこともない肌色の、蜘蛛のようなクラゲのような、足がいくつも生えている小指の爪ほどの小さな生物がたくさん泳いでいた。
「それがチップですよ」
「わっ」
「わあ」
背後からの声に驚いた俺たちは身を寄せあって振り向いた。
「ようこそステーションへ」
声の主は見た限り人間ではなかった。
細長く銀色に輝く体はゆらゆらと揺れ、全身に水が入っているかのように波打っていた。
吸い込まれるような真っ黒の大きな瞳がパチパチとまばたきをしている。
「わっ」
「くそっ」
目の前の生物に気を取られていると俺たちは後ろから羽交い締めにされた。
「はなせよっ」
マコトが必死に抵抗している。
「マコト、無駄だ」
俺は両腕を二人の人間から掴まれたままマコトに言った。
「何なんだよコイツは。人間じゃないのか? これがチップってどういうことだよ!」
マコトが宇宙人らしき男を見上げながら叫んだ。
「人間を操るのは本当に簡単でした。こんなに強欲な生物はこの地球という星の人間くらいのものでしょう。いかに楽をして生きるか。それしか考えていない。苦労をせずに生きるためならなんでもする。我々からすれば実に恐ろしい生物でしたよ」
細長い宇宙人は水槽から虫のような生物を一匹捕まえた。
「人間の額に入っているのはこの子たちです。我々の星の子どもたち。この子たちはとてもいい子ですよ。ただ、成長するのには他の生物の脳が必要でしてね。今回は地球に侵略した。という訳です」
「じゃあ、オートライフ政策って言うのも全部」
「ええ。まず各国の代表の方々にこの子たちを与えました。彼らはいとも簡単に我々の意思を受け継ぎ、そういった政策を作ってましたね」
「ちょっと待て。じゃあもしかしてサーバーも何もないのか」
「ええ。そんなモノは必要ありません」
「そんな……」
「さあ、あなたも我々の仲間になるのです」
細長い宇宙人は手に持っていた小さな生物をマコトの額の上に乗せた。
「やめろ!」
マコトは必死で首を左右に振っていたが、抵抗もむなしく頭を押さえつけられた。
「マコト!」
俺はマコトの名前を呼んだ。
「レオ、逃げろ……お前は逃げるんだ……」
宇宙人が人差し指で小さな生物をマコトの額に押し込んだ。
「マコト!」
静かになったマコトを二人の人間が部屋の床に寝かせた。
「さあ、次はあなたの番ですね」
宇宙人は水槽からまた生物を取り出した。
「お前たちはこうやって、他の星も侵略してきたのか?」
「ええ、そうです」
俺は宇宙人を見上げて睨み付けた。
「人間が強欲だって? 苦労をしないだって? わかったような口きいてんじゃねえよ! こっちから見ればな、お前らの方がよっぽど強欲でなんの苦労もしてないただの虫ケラじゃねえか」
「ほう。あなたは何もわかっていないようですね。我々が地球に侵略したのはなにも最近のことではありませんよ」
「は?」
「我々は各国の代表の脳に潜入しました。そして各分野の研究者や有識者らにも潜入しました。そうですよ。あなた方が使ってきた便利な物、パソコンやスマホ、ネットワークなど、それら全ては我々が人間に教えて作らせた物なのですよ」
「そんな……」
「まだわかりませんか? もうずいぶんと昔から、あなた方人間は我々宇宙人の力を頼りにして生きていたのですよ。大変なことは全て我々に任せて、ね」
「嘘だ」
「我々が決めたことや作った物に、あなた方は文句を言うくらいしかしてこなかった。誰も自分が努力して何かを変えようとする者はいなかった。または見て見ぬふりをしていた。自分さえ良ければそれでいい。自分に関係のないことには知らんぷりをする。そのくせ人の真似をするし人と同じことをやろうとする。そしてそんなちっぽけな輪の中で一番になろうとする。我々はそんな人間を哀れに思う他はありませんでしたよ」
「くっ……」
俺は何も言い返すことが出来なかった。
この宇宙人の言う通りかもしれない。
そもそも、この宇宙人らが地球に来ていなかったら、この星はどうなっていたのだろうか。
俺はそんなことを考えていた。
「あなたももう、楽になった方がいい」
宇宙人は俺の額の上にあの小さな生物を乗せた。
「俺の……俺の心はどうなる?」
「あなたはあなたのままですよ。ただ考え方が我々と同じようになるだけです。常に学び続け、常に未来を見つめる。そしてみんなでよりよい星にしていくのです。人間のように戦争をしたり現実から目を背けたり無関心ではなく、ね」
「あっ」
宇宙人の指が、俺の額をギュッと押さえた。
本当にそんな理想的な世界になるのだろうか。
「どうですか? 気分は」
目の前の男に聞かれて俺は考えていた。
この星を、地球を良くするために出来ること。
俺はもっといろんなことを勉強しないといけない。
「早く帰って勉強しないと。この美しい地球を守れなくなってしまう」
「ええ、そうですね。しっかり勉強してみんなで地球を守りましょう」
「それじゃあこれで。おい、おいマコト、帰るぞ」
俺は床で寝ているマコトを揺らして起こした。
「ん……レオ?」
「帰るぞ」
「うん……」
まだ眠そうにしているマコトと俺はエレベーターに乗った。
「さて、まずは温暖化の勉強でもするかな」
「そうだな。勉強しないと何も出来ないからな」
俺とマコトは目の前の透明なタブレットを見ながらステーション、いや、宇宙船の外へ出た。
完
守りたいもの クロノヒョウ @kurono-hyo
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