守りたいもの
クロノヒョウ
第1話
世の中が進化すると共に不要な物がどんどん無くなっていった。
この世から紙が消え現金が無くなり全てがコンピューター化されたと思えば、パソコンやタブレット、スマホなどの機器さえももっと便利にと小型化されていった。
今や全ての人類の額にチップを埋め込まなければならないという「オートライフ政策」が進行中であった。
各国の都心部には八百メートルほどの高さの細長い建物が建てられた。
それは「ステーション」と呼ばれる人類のチップを管理する施設だった。
人類はそのチップによって全ての行動を監視されるのだ。
「レオ、そろそろ期限だぞ。いい加減諦めろよ」
夕食時に父親が俺に言った。
「……うん」
「何がそんなに不満なんだ? チップなんて痛くも痒くもないし、めちゃくちゃ便利だぞ?」
大学生の兄が口添えする。
「わかってるけどさ……」
人類の九十九パーセントの額にはすでにチップが埋め込まれていた。
目の前の父親も兄も、学校の皆も、街行く人も皆、額のチップから出る透明のタブレットのような画面を顔の前に投影しているのだ。
(気味が悪いよな……)
俺はどうしてもチップを埋め込むことに抵抗を感じていた。
明日から夏休みに入る。
八月中にチップの埋め込みを百パーセントにし、九月から「オートライフ政策」が本格的に始動するらしい。
「オートライフ政策」が始まると学校という物は無くなってしまう。
学校に行かなくても、自宅でもどこででもチップで勉強できるからだ。
「とにかく、嫌がってても仕方がないだろ。明日にでも行ってこい」
父親は目の前の透明な画面で仕事の書類を映しだしながらそう言った。
「早く入れて早く慣れた方がいいぞ。レオも大学の勉強したいんだろ?」
兄は透明の画面に向かって必死に指を動かしている。
大学のレポートでも書いているのだろうか。
その仕草が滑稽に見えた。
俺から見ると全員異常だ。
人間ではなくまるでロボットだ、いや、機械人間とでも言おうか。
便利なのかもしれないが、本当にこれでいいのだろうか。
「ごちそうさま」
必要な栄養素が入ったビスケットとエナジードリンクを流し込んで俺は部屋に戻った。
小さい頃に食べたハンバーガーやピザが食べたい。
揚げたてのから揚げと温かいご飯と味噌汁もいいな。
普通の食事が廃止されてからもう何年も経っていた。
(俺は人間でいたい……)
ベッドに横になってから、このやり場のない想いをもてあましていた。
お盆も終わり、期限まであと十日ほどといった頃、テレビやネットではチップを拒否する人間を強制収用するという恐ろしい警告が常に流れていた。
まだ煮え切らない気持ちのまま、俺はふらふらと街を歩いていた。
オフィス街を通った時だった。
顔の前に透明タブレットを付けた機械人間たちが俺のことをまるで犯罪者を見るかのような目でにらんでくる。
(チッ……)
舌打ちしながらキャップを深く被り直した。
「レオ、レオ……」
小さな声に呼ばれて俺は足を止め、キョロキョロと首を動かした。
「こっちこっち」
よく見ると、ビルとビルのすき間からよく知っている顔が手招きしていた。
「マコト?」
俺はマコトに駆け寄った。
「何やってんだ? こんなところで」
マコトは俺の親友で、唯一俺と同じくチップを埋め込むのを嫌がっている人間だ。
「ついてこいよ」
俺はマコトについて歩き出した。
「俺の叔母さんがかくまってくれるって。話し付けてきた。レオもくるだろ?」
「マジか。いいのか?」
「もちろんさ。俺は絶対にチップなんかごめんだ。知ってるか? チップを入れてしばらくすると人間は少しずつ洗脳されていくんだ。政府のお偉いさんのいいなりさ。俺たちは人間じゃなくなる」
「やっぱりか……」
俺には心当たりがあった。
最近、父親と兄の様子が明らかにおかしかった。
会話が無くなり笑顔が消えた。
一日中透明タブレットを眺めている。
「ヤバイな。警察がうようよいる。急ぐぞ」
「おう」
マコトと隠れながら走った。
オフィス街を抜け、人もまばらな住宅地にある高層マンションに入ってエレベーターに乗った。
「しばらくここで身を潜めることになるけど、いいだろ?」
マコトがひとまず安心した様子で俺に笑いかけた。
「ああ。助かるよ、ありがとな」
五階で降り、一番奥のドアのチャイムを鳴らした。
「はい」
中からマコトの叔母さんらしき人が顔を出した。
叔母さんの額からタブレットが出ていないことに俺はホッとしていた。
「ごめん叔母ちゃん。友達のレオもお世話になる」
「ええ、いいわよ。ほら、早く入って」
叔母さんは優しそうで、笑顔で俺たちを招き入れてくれた。
「すみません、お世話になります」
俺は頭を下げてからマコトに続いて部屋の中に入った。
「奥の部屋を使って。今お茶を持ってくるわね」
「はい、ありがとうございます」
「ありがと叔母ちゃん」
俺たちは奥の畳の部屋に入ると同時に座り込んだ。
「ふう。これでとりあえずひと安心だな」
「うん。もう外には出ない方がよさそうだな」
「強制収用なんてどうかしてるよ、ったく」
「人間はどうなっちまうんだろうな」
「本当だよな」
マコトと話していると叔母さんがエナジードリンクを持って入ってきた。
「さあ、これを飲んで」
「ありがとうございます」
「いただきます」
俺は叔母さんの手からドリンクを受け取った。
(ん?)
その時、叔母さんの手がかすかに震えているのがわかった。
「待て! マコト!」
俺は今にもドリンクを飲もうとしているマコトの手を思いきり引っ張った。
「わっ」
マコトが持っていたグラスは手から離れ、床に転がった。
「な、なんだよレオ」
俺は叔母さんの顔を見た。
叔母さんは真っ赤な顔をしてうつ向いていた。
「どういうことですか?」
俺は叔母さんに聞いた。
「なんだよ、どうしたんだよ二人とも」
マコトが不思議そうに俺と叔母さんを見ている。
「叔母さん?」
「……ごめんなさい」
俺はがく然となった。
「マコト、逃げるぞ」
「え? は?」
まだ何も気付いてないマコトの手を引いて立ち上がらせた。
外からはパトカーのサイレンの音がどんどん近付いてきていた。
「ごめんなさい」
叔母さんは涙を流しながら座り込んでしまった。
「そんな……叔母ちゃん、なんで……」
「いいから逃げるぞマコト」
俺はマコトの手を掴んだまま玄関を飛び出した。
非常階段を一気に駆け下りて外に出た。
「どうする?」
「ここからだと……学校に行ってみよう」
「わかった」
俺たちはまた走った。
警察に見つからないように回りに気を配りながら学校へと走り続けた。
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