第4話 見ていれば分かる

 「千さん、お招きありがとう!」

 「ごきげんよう、千さん。」


 千のお茶会が始まる。

 咲奈が恋焦がれてきた日の光が降り注ぐ時間のお茶会だ。


 窓からは木漏れ日。ティーカップのふちが光を反射して輝く。その輝きは、咲奈が求めてやまなかった千の輝きそのものだ。

 千は笑顔で招待状をチェックしていくのだが、その笑顔は眩しく、夜の月の光など比べようにもならない。

 彼女の声は優しく、夜の調べなど比べようにもならない。


 「ようこそ、私のお茶会へ! 三島さん!!」


 咲奈がよそごとを考えていると、千は彼女に声をかけた。

 

 「あ……お招き、ありがとう。谷崎さん。」


 何度となく真夜中に交わした言葉も昼間に交わせば、咲奈は太陽の眩しさに目が眩んでしまう。


 ただただ咲奈が呆然していると、千は咲奈の手の甲を撫でた。

 だが、咲奈を見る目線は明らかに蔑んだものである。さしずめ、私に恥をかかせるなといったところだ。


 蔑んだ目で見られたところで、咲奈にとってそんなことどうでも良かった。

 

 これが私の知る谷崎千の全て。

 私を見てくれる谷崎千の全て。


 「お招きありがとう! 千さん!!」


 咲奈を突き飛ばすように現れたのは、芥川そらである。

 千とそら。この二人こそが一緒にいるべき存在であるし、昼間はそういう輝かしい千を咲奈は見ていたい。

 だが、咲奈とて聖人のように心が澄みきっているわけではない。


 仲睦まじい二人を見ては、一人、真夜中の千と自分を思い出して優越感を抱いていた。

 そんな咲奈の気持ちが伝わったかのように、今度はそらに蔑んだ目で見られた。


 別に芥川さんの視線は欲しくない。


 珍しく不貞腐れながら咲奈は自分の席について大人しく待つ。千の隣の席だ。

 おそらく千は出来るだけ自分の目が届くところに咲奈を配置したかっただけなのだろうが、千の咲奈に対する行動は、やはり裏目に出てしまう。


 咲奈と対をなすように反対側の千の隣にはそらが座っていた。

 千がそらに話しかけると、彼女は微笑んではいるものの千が他を向けばその顔は嫉妬に歪んでいた。


 「さぁ、みなさん。お茶をいただきましょう。」


 アールグレイの香り。

 甘いクッキー。

 皆の楽しそうな会話。


 咲奈がずっと求めていたもの。

 甘い香りと会話の調べに咲奈が夢見心地になっていたが、ふと、あることに気づいた。


 千の目線がちらちらと動いている。どうやら何か探しているようだ。

 そんな千の様子に、皆は会話するのに必死で気づいてはいない。


 どうしたのかしら?


 そう思って千の手元を見ると、紅茶には一切触れていない。スプーンも濡れていないのだ。


 もしかして…そう思って咲奈も目線をあちらこちらに動かしてみた。

 するとあるところで目が止まった。

 そらの右手側、そこに砂糖のポットが置いてあった。

 千の座る反対側の方に置いてあるものだから、全く手が届かないのだ。

 とはいえ、そらは千を見ながらにこにこと彼女にずっと話しかけている。千もプライドからか、砂糖を取ってくれとも言い難いようだ。


 谷崎さんの目線に気がついていないのかしら…谷崎さんは砂糖がないと紅茶が飲めないのに…。


 砂糖のポットはもう一つあり、それは咲奈側に置かれていた。

 咲奈は失礼かと思いながらも少し立ち上がってポットを引き寄せるとそのまま千の前へと置いた。


 どうぞと言えば、きっと気分を害するだろうと思い、できるだけポットにも目を合わさずにすっと差し出した。


 それ以上、千の方を見なかったものだから、咲奈は気がつかなかったが、その一連の行為を千はじっと見ていた。

 そして目の前にあるポットにそっと手をかけると角砂糖を紅茶に入れた。

 角砂糖は、一つ一つ小さな音を立てて紅茶の海に沈んでいき、ゆっくりと溶けていく。

 

 「愛を…溶かす…馬鹿らしい。」

 「どうしたの? 千さん?」

 「いいえ、芥川さん。何でもないの。それよりみんなとお話ししましょう。」

 

 そうして千は、何もなかったように会話の輪に入ったのだった。


 千も加われば会話に花が咲く。やはり彼女は、人の心を掴むことに長けている。

 笑い声と会話の波に咲奈が少し気後れしていると、皆は自分の好きなお菓子の話題になっていた。

 私も何か言わなければと咲奈は思っているもののタイミングがわからない。目線だけをキョロキョロさせながら黙り込んでいると、千が話しかけてくれた。


 「ねぇ、三島さんはどんなお菓子が好きなの?」


 「あ……私は……その……。」


 急に声をかけられて戸惑う咲奈を見て、千は微笑む。そして机の上で拳を握って震えている咲奈の手を包み込むように自分の手を添えた。


 「三島さん、確か…クッキーが好きなのよね。前に聞いた気がするの。だから今日も用意したのよ。」

 「そ、そうなの。クッキーが好きなの……。」

 「三島さん、クッキーのお店に詳しくてね。私も勉強になるわ。」


 それを聞き、他の学生も “そうなのね!” と興味津々に咲奈を見つめる。

 咲奈が再び気後れしていると、テーブルクロスの下で千に足を軽く蹴り飛ばされた。


 確かに咲奈はクッキーが好きで店にも詳しい。

 だが、それを千に話したこともないし、よくよく見れば今日のクッキーも咲奈の好きな店のものだ。


 そして咲奈は朧げだが、ある日の夜を思い出した。


 たまたま真夜中のお茶会の席に咲奈の好きな店のクッキーが出された。


 私ね、実はクッキーが好きなの。これは私の好きなお店のクッキーよ。


 そんなこと言えるはずもなく、目を輝かせて頬張っていると、いやに千の視線を感じた。


 「谷崎さん…どうしたの…私、何か…。」

 「いいえ、よっぽどクッキーが好きなのねと思っただけ。」

 「え、どうして…そう思ったの?」

 「どうしてと言われても、見ていれば分かる。クッキーを出した日は、三島さん、いつもそう。」

 「見ていれば…分かるの?」

 「多分、今日のクッキーは特に好きなお店のものなのでしょうね。」

 「それも…見ていれば分かるの?」

 「ええ、見ていれば分かる。」


 おそらく千の言葉に裏表はなく、ただ思ったことを言っているだけ。

 だからこそ嬉しかったし、今もそうだ。そんな日のことを千は忘れることなく覚えていてくれているのだ。


 千はずっと手を添えていてくれるし、話の道筋も作ってくれている。


 「そうなの…このクッキーのお店はね、いつも季節限定でね…。」


 大丈夫。

 谷崎さんが招待してくれたお茶会だもの。


 迷いなど無くなった咲奈は、こうして楽しそうに皆の会話に加わったのだった。


 ここまでくれば安心か…。


 千は安堵からか笑みが漏れた。

 それは、今までの作られたものではない微笑みであった。


 「千さん……?」


 それに違和感を覚えたのは、そら一人だけ。


 どうして、三島さんは千さんの隣の席なの?

 なぜ、千さんは三島さんの好きなお菓子を知っているの?


 どうして?

 なぜ?


 どうして、千さんは三島さんの手を握っているの?

 なぜ、千さんは三島さんを見て微笑んでいるの?


 どうして?

 なぜ?


 この二人に何があったの?


 咲奈は楽しそうに会話をしていて、そらを見ていないし、皆もそらの表情には見向きもしないで咲奈を見て楽しそうに会話を弾ませる。

 千は、言うまでもない。

 皆と会話する咲奈だけを見ている。


 そらにとって、これほど屈辱なことはない。


 その時、千はこう思っていた。

 無事に乗り切れそうね…。

 ずっと見ていないと危なっかしい子。


 対して、咲奈はこうだ。

 これが、谷崎さんのお茶会。

 私、谷崎さんをずっと見ていたい。

 

 そらの思いは先ほどと変わらず。

 千さん、どうして私をずっと見てくれないの!?


 …それぞれの想いを乗せた昼間の輝かしいお茶会が、夕暮れと共に終わろうとしていた。

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真夜中の秘密のお茶会、アールグレイに愛を溶かして【第二部】 夏目綾 @bestia_0305

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