ウロコの少年

西桜はるう

その扉を開けてはいけない

「えー、今日からこのバンガローで3日間を過ごします。自然はときに牙をむくことがあるので、えー、くれぐれも油断しないように。えー、それから……」

あまりにも長ったらしい校長の挨拶についには生徒から忍び笑いが漏れる。「えー」が多いのと、出発するときの挨拶でも同じようなことを言っていたからだ。


「サリー、抜けない?」


後ろでアミリアがサリーに声をかけた。その後ろでリリスも「行こうよ」とジェスチャーをしている。

「オーケー」と小声で応じ、サリーはそっと前かがみになりながら列を抜けた。

校長が仰々しい挨拶を続ける中、生徒たちの列を離れた3人は森を通り抜けて湖へと向かう。昨年もこの場所へと林間学校へ来ており、ここのキャンプ場は勝手知ったるものだった。

キャンプ場と言ってもテントを張ったり、火を起こしたり、キャンプファイヤーなどはしない。泊まるのはバンガローで、お風呂もトイレも清潔なものが用意されており、学校側はティーンエージャーたちからはほぼ文句を言われずに林間学校の開催にこぎつけていた。


「あー、校長うざいんだけど」

アミリアが背をググっと伸ばし、あくびを1つした。3人の中でもひと際身長の高いアミリアは、いつも窮屈そうに体を丸めて座っている。背が高いことを自身はあまりよく思っていならしく、なるべく小さく見せようとわざと猫背でいるのだ。


「ホント、あいついっつも同じことしか言わないんだもん」

リリスは豊かな金髪を編み上げて、お団子にした頭を楽しそうに振って笑った。そばかすだらけの顔をくしゃりと歪めて笑うのがリリスの特徴だ。


「ねえ、あたしら抜けて大騒ぎになってたりして!」

シルバーに染めたボブとたくさんのピアスのついた耳。サリーは学校でも有名な問題児だった。しかし成績が抜群によく、学校はサリーの素行の悪さを放置していた。学年トップクラスの成績を維持し続けているサリーをだれも止められないのだ。いや、止めたところで満点のテストを振りかざしてサリーは反抗するのだが。

アミリアとリリスはサリーと出会ってからかなり変わった。素行の悪さはもちろんのこと、教師に対する反抗的な態度や親の財布から平気でお金を盗み、メイク用品などを買ったりしているのだ。


「サリーは大騒ぎになってるのが楽しいクセにぃ」

「はははっ、まあね!あたしらが行方不明になって、親にねじこまれるのが想像できるよ。そうなりゃ、いい気味って感じ」

「おもしろそう!ねえ、しばらく本当に行方不明をくらませない?荷物をこっそりバスに取りに行ってさ」

「賛成―!」


アミリアの提案に2人が乗った。持って来ていた林間学校のしおりで点呼の時間を確認し、隙を見て荷物を取りに行くことにした。


「楽勝、楽勝!」

「あんなアッサリいくもん?」

「あいつらバカ面が浮かぶわー」


3人は見事に教師の目を盗んで荷物を奪い、湖のほとりへと戻ってきた。


「で、こっからどうする?歩いてもそんなに距離ないと思うけど、街までヒッチハイクしちゃう?」

「いいねー!イケメン捕まえてご飯おごってもらって、泊めてもらおうよ!」


そんな会話をしながら3人は湖に沿って歩き、道路へと出る道を探し始めた。昨年来たときよりも天候はあまりよくなく、黒い雲が立ち込め始めている。


「雨降るかな?」

「傘持ってる?」

「一応持ってるけど、さしたら荷物になるしやだ」

「わかるぅ」


ぎゃあぎゃあと話しながら歩いていると、湖のほとりに誰か立っているのが見えた。


「あそこ、だれかいるよ?」


リリスがその存在に気づき、2人に声をかけた。湖にはところどころに桟橋が作られており、晴れた日であれば釣り客などがいるのかもしれない。その桟橋の先に、少年と見られる人影が立っていた。


「声かけてみようよ。道路に出る近道とか知ってるかも」

「そうだねー。この辺に住んでる子だったら詳しいだろうし」

「てかさ、ここらへんに住んでるなら泊めてくれないかなー」

「図々しい!ぎゃはははは!」


下品な笑い声をたてて、桟橋の少年と近づいていく。だんだんと少年の姿がはっきりと見えてくると、意外にも年齢は3人よりも少し下ぐらいに見えた。遠くからだと幼く見えたのだが、17歳のサリーより2、3歳ほどしか離れていないようだ。


「ねえ君!」


リリスが愛想よく声をかけると、少年がゆっくり振り返る。

(え?)

一瞬だが、振り返った少年の顔にウロコのようなものを見たサリー。しかしそれはすぐに消え、まだあどけなさの残るかわいらしい少年の顔に戻った。


「なんでしょう?」


少し警戒心を感じる話し方で、少年は応じた。


「君さ、この辺の子?」

「はい、ここの近くのバンガローに家族と住んでいます」

「マジで!じゃあ、この辺りのことも詳しいよね?」

「一応は……」


自信なさげな態度になぜかサリーはイラつきを覚えた。この少年の態度が学校にいる気弱な男子の態度に似ていたからだ。サリーが話しかけるとおどおど、ぼそぼそとしか返してこず何を言っても「たぶん」と自信のない発言ばかりの男子に。


「大きな道路に出たいの。道、知ってる?」

「正確に伝える自信がないので、家に来てもらえれば……。地図があるので説明できます」

「どうする?迷ったらやだよね?湖の周辺は前に来たことが分かるけど」

「そーしよ。君、家は近い?あ、あたしリリスっていうんだけど」

「あたしはアミリア」

「サリー。君は?」

「ベンと言います」

「じゃあベン、家まで案内してくれる?」

「はい。こっちです」


ベンに案内されて、3人はベンの住むバンガローへと向かった。


ベンのバンガローは思いのほか近く、サリーが振り向くと木の間から湖を見ることができた。


「ここです。どうぞ」


花が飾られた玄関ポーチと重厚な扉。かなり立派なバンガローだった。


「お父さんとお母さんとここに?」

「はい。父と母と3人暮らしです。こっちに地図があります」


中は広く、案内されたリビングは高級そうな家具がしつられてあった。


「すごーい。いいなー。こんなところに住んでみたい」


アミリアは光沢のある布張りのソファーを愛おしそうに触りながら、ベンに『座ってもいい?』と訊いた。


「どうぞ。今、地図を出すので待ってください」


そう言うとベンはキッチンの方へと消えた。引き出しを開ける音や、棚を開ける音だけが聞こえてくる。


「ねー、ベン。トイレ借りていいー?」


サリーは急に尿意を覚えて、キッチンへとベンを探しに行く。すると、何故だかダイニングとキッチンを見て違和感を覚えた。

(なんかおかしくない?)

ただ、その違和感がなんなのか。それが分からない。


「どうかしました?」


食器棚の影に隠れていたベンが姿を現した。手には地図のような、折りたたまれた紙の束を持っている。


「トイレ、借りていい?」

「あぁ、はい。リビングを出て真っすぐ行った、右の扉です。左の扉は両親の寝室なので、覗かないでくださいね」

「はい、はーい。分かった」


サリーはヒラヒラと手を振って、リビングを出て行く。アミリアとリリスに『どこ行くのー?』と訊かれ『ト・イ・レ・!』と叫んだ。

(えーっと、右ね。右の扉ね)

廊下の突き当りは大きな窓になっており、青々とした緑の木々が見える。森がすぐそこまで迫っているような感じを受け、サリーは少し息苦しく感じた。


「ここか」


かわいらしいドア飾りにトイレという感じを受けなかったが、少し開けて確かめてみるときちんとそこはトイレだった。


「こっちは……両親の寝室って言ってたよね?」


ここでサリーのいたずら心が疼き始める。『ダメ』と言われるとしたくなるのが人の常だが、サリーのは度が過ぎていた。教師が『髪の色をもっと落ち着いた色にしろ』と言えば逆に派手なものにし、『ピアスの数を減らせ』と言えば翌日には口や鼻にピアスを開けてきた。

禁止はサリーにとってのゴーサインなのだ。


「覗いちゃお」


(どうせただのジジイとババアの寝るところでしょ?)

なんのためらいもなくノブを回すと、扉を一気に開ける。


「な、なにこれ……」


中は寝室と言っていたのにベッドなどなく、床には火のついたロウソクが無造作に並べてあった。それだけでも異様な光景だというのに、大きな案山子(かかし)が2つ、人間のような服を着て椅子に腰かけさせてあるのだ。

サリーは瞬時に何かの黒魔術的なものだと思った。同時にさっきまで親切にしてくれたベンに対して恐怖を覚える。

(逃げなきゃ……!)

トイレなど行っている場合じゃない。ここから早く出なくては。

サリーは急いでリビングに戻り、それとなくベンの様子を伺った。ベンはアミリアとリリスに地図を広げて道の説明しているところだった。


「へぇーここ通ると近道なんだー。なんか目印とかある?」

「大きな岩があるんです。それを見つければ道路はすぐですよ」

「ありがとぉ、ベン。助かった!」

「あ、サリーさん。トイレは分かりましたか?」

「う、うん。大丈夫」

「どしたの?顔色悪いよ?」

「え?え?そう?それより道が分かったなら早く行こうよ。暗くなる前に道路に出て、ヒッチハイクしなきゃ」

「もうちょっとゆっくりしていこうよ~。ベンが冷たい飲み物ごちそうしてくれるって」


のんびりとしたリリスの口調に苛立ちが募るサリー。しかし、さっき見た光景をここで話すわけにいかない。


「あたしは早く車を捕まえて街に行きたいの!2人もそうでしょ?」

「まあそうだけど~。ジュース飲むぐらいよくない?」

「そうだよ、サリー。なに急いでるの?」

「べ、別に急いでないけど……。わかった。ジュースは飲んでいく。でも、飲んだらすぐ出発するよ。日が暮れる前に車捕まえて、街に出なきゃ」

サリーは渋々ソファに座り、ベンが用意してくれた不思議な色のジュースに手を伸ばした。

「おいしい!これなんのジュース?」


ジュースを一気に飲み干したリリスが、おかわりをもらいつつベンに訊いた。ベンはそこで初めてにっこりと笑い、『特別なレシピで作った母の特製ジュースなんです』と答えた。


「うーん、なんか眠くなってきちゃった……」

「ちょっと、もう出発するって言ってるじゃん!」

「だってなんか気持ちいいんだもん……」


アミリアとリリスは大あくびをしてソファに寝そべり始めてしまう始末。サリーは2人を起こそうとするが、ついには寝息をたてて眠ってしまった。


「無駄ですよ。アミリアさんもリリスさんも起きません」


不敵に笑うベンがサリーにゆっくりと近づいて来る。顔はウロコに覆われて、少年だった面影がほとんどない。


「2人なにしたの!?」

「なにも?ただ眠ってもらっただけですよ。邪魔なので」

「じゃ……ま……?」

「サリーさん、ダメと言ったのに寝室を覗きましたね?」

「え……」


冷や汗が一気に噴き出す。確かに覗きはしたが、あのとき廊下にはだれもいないことをサリーは確認した。した上で覗いたのだ。


「の、覗いてない!覗いてないから!知らないから!」

「いいえ。あなたは覗きました。わかるんですよ……。中にいた父と母が教えてくれたんです。『かわいい顔の女の子が部屋を覗いたよ』ってね……」


(コイツ狂ってる!)


「ここにはあんた以外住んでないわってわけ!?だからあんなに食器棚の食器が少なかったんだ!」


叫ぶように吐き捨てたサリーは、部屋を見まわしてなんとか逃げ道を探そうとしたが、扉も窓もベン側にしかない。

口でしか抵抗しようがないため、悪あがきのように感じた違和感をベンにぶつけたが無駄だった。


「いいえ、父と母とちゃんと生活しています。寝室で見たのでしょう?仲良く座っている僕の両親を……」

「ぐっ……。だ、だれにも言わないから……。ね?部屋で見たこととか、あんたのこととか、だれにも言わないからさ……。み、見逃して?お願い?」


反抗が効かないと感じたサリーは次に懇願へと言動を移すが、ベンはにやりと笑っただけだった。


「それは無理なお話です。あの部屋を見られた以上、あなたを生きて帰すことはできません」

「『あなたを』って、アミリアとリリスは帰れるってこと?あたしだけダメなわけ!?」

「そうですよ。この2人は森にほっぽり出します。なにも知りませんしね。さぁ、サリーさん。おしゃべりはここまでです。アミリアさんとリリスさんに『さよなら』をどうぞ……」

「いやだ……。いやよ……!だれか!だれか……!!」


「あの、すみません……」

「はい」


桟橋で釣り糸を垂らしていたベンは、ふいに声をかけられて笑顔で振り向いた。立っていたのは、困ったように微笑む背の高い青年だった。


「近くのバンガローの泊っている者なんですが、ちょっと散歩で出たら道に迷ってしまいまして……。地図か何か持ってないでしょうか?」

「あぁ、それなら僕の家に地図がありますので、一緒に家に行っていただければ案内できると思います」


ベンはにっこりと笑って、立ち上がる。


「このあたりに住んでいるんですか?」

「はい、父と母と姉とこの近くのバンガローに住んでいます」

「そうですか。助かります」


2人はベンのバンガローに向かって歩き始めた。途中、行方不明者を探す看板が青年の目に留まった。


「この森、行方不明が出るほど深いんですか?」

「全然!ちょっと歩けば大きな道路に出るんですけ、慣れてないとお兄さんのように迷う人がいるかもしれないですね。生まれた時からいる僕にとっては庭ですよ」

「なるほど。この行方不明の……サリーって子も、早く見つかるといいですね」

「そうですね。僕も早く見つかるように祈ってます……」


ベンは忍び笑いをしながら、青年と家まで向かった。

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