百合の花は雨上がりに咲く

宮古桜花

第1話

 君はどうしようもなく項垂れた様子で国道の真ん中、左右を車が行き交い、君を邪魔に思った人達の苛立ちを込めたクラクションが鳴り響く中、傘も差さずに雨に打たれていた。警報が発令され、高校は休みになったというのに、君は制服姿だった。セーラー服が濡れて、君の皮膚にくっついて肌色が露出しているのをここからでも視認できた。傘を差して何分間も横断歩道の点滅を繰り返す中立ち尽くす私の姿は君にも見えたらしい。小さく俯いた顔を上げてこちらに君は顔を向ける。けれどすぐに走り出し、車道を挟んだ向こう側へと姿を消した。俯いた顔から見えた痛々しいくらいの哀切を孕んだ意地っ張りのツリ目が私には助けを求める子猫のように思えて仕方がなかった。

 そんな君の姿はこのまま私が君を追いかけなければ君は何処か遠くの手の届かないところに行ってしまって二度と帰ってこないんじゃないかという焦燥を私の心中に宿らせて、また一つ信号の青が点くと私は小走りで君が入り込んだ路地へ、水溜りを避けながら向かっていった。

 君は路地を曲がってすぐの電柱の裏にしゃがみ込んでいた。おおよそ隠れる気のなさそうな隠れ場所に微笑がこぼれた。

「大丈夫?」

 しゃがみ込んで私が声をかけると、君はゆっくりとした動作で顔を上げた。雨で髪や頬についた水滴が涙と一緒に流れ落ちる。

「・・・・・」

 何も言わず、ただ黙って君はまた顔を伏せてしまった。

「とりあえず立ってよ」

 私がそう言って手を伸ばすと、君はその手を払い除けた。

「いい、これは私の問題だから。」

 君は無理に私を遠ざけようとする。こんな安直な隠れ場所で私が君を見つけ出せないわけがない。本当は君は自分を見つけてほしかったんじゃないか。それなのに、何故・・・

「友達だから私は君の助けになりたいんだよ。辛いかもしれない、言いたくないかもしれない。けれどどうにか少しずつでも言葉を捻り出してほしい。一緒に考えよう。」

 私の声はじきに雨音に移り変わって余韻を残さなかった。君は俯いたままだった。静かに感情をこらえているようだった。君の有様を見兼ねて私は手を伸ばし、触れようとする。

 しかしその手はまた払い除けられた。今度は明確な嫌悪感をもって。手の皮膚がじんじんと後を引いて痛みを加速させた。それは体だけの痛みではなかった。そして君は私を睨む。ツリ目がさらに角度を強めていた。

「私はあなたと違う。あなたと私は本質的には解り合えない。」

 君の声には諦念が強く滲み出ていた。関係を断絶させるような迫真さがあった。私と君は解り合えない、そう君は言った。けれどそんなの嘘だ。欺瞞だ。私には君の言葉が本音でないように感じていた。だって私と君は友達として良くしてきたではないか。それは多少の軋轢を生んでもすり合わせしあえたからではないか。お互いの不満をぶつけ合ってそれでいて笑い合えたじゃないか。

 ・・・だから私はこう言う。

「解り合えるよ。・・・だって私と君は間違いなく友達じゃない。それは今も変わらない。だから・・・」

 続きを口に出そうとしたとき既にキミは立ち上がって私の口と鼻を塞いでいた。空気がなくなっていき呼吸をしようにも強く塞がれていて空気の通り道がない。

「いい加減にしてよ!」

 君の怒号が雨音など突き破るほどの勢いで鳴り響いた。トラックが車道を横切って、水たまりの水が私の背中を濡らした。

 程なくして君は塞いでいた手を除けた。私は何も言葉に出せないままでいた。

「さっきから友達、友達ってそうして私を縛り付けないでよ!私はあなたと違うって言ったでしょ!違うの!私もわからないこんな気持ち!持っていいものなのかもわからない。何故かすらわからない。そして・・・私は私であるのかさえもわからなくなるときがある!この気持ちは本当に私のものなのかって!最近の私の生活は知らないうちにあなたに染まっていた。あなたのことばかり考えてた。こうして想いを吐露してもうあなたには一生関われないことは知っているのに、こんなに心の刃をあなたに向けているのに、それでも私の心のなかは憎悪と憤怒だけじゃない異分子が紛れ込んでる。そして私はその異分子の名前を知ってしまった。私がどれだけ心を病んで、捨てることも吐き出すこともできない気持ちに悩まされたかわかる?そんなパンドラの匣をあなたに『友達』なんて二文字で解決されてたまるか!ありふれた諍いなんてものにされてたまるか!今の私はさぞあなたには気味悪く写ってるでしょう。逃げ出したいと思ってる!ああもうこの際だからあなたにはもっと傷をつけてあげる。私さっきあなたが呼吸できなくて、体から力が抜けていくのを見て欲情したの。このままあなたの息を止め続けて殺してしまえばあなたはどこにも行かない。行けない。一生私のそばにおいておけるって。ねえ、気持ち悪いでしょ?言ってよ!気持ちが悪いって。私はあなたに肯定されちゃいけない人間なの。だから・・・ねえ、おねがい私を否定してよ・・・」

 雨と涙が入り混じって君はぼろぼろになっていた。もちろんそれは内面、外面、もっと奥の君を構成するものにさえ到達していた。私は何も言えなかった。いや、言う暇もなかったから。それは私の、そして、他の誰も知らなかった君の切迫した声音や喜怒哀楽をぎゅうぎゅうに詰め込んだ表情をもっと知りたくなったからだ。君が偶像なんかじゃない等身大の一人なんだってことを今、君の紛糾を聴いてわかってしまったからだ。君の一言一言に込められた悍ましいほどの心の声が、君を君たらしめる本音の応酬がたまらなく愛しかったからだ。だから気持ち悪いなんてとんでもない。君のこんなにも美しい言葉の旋律をそんな言葉で穢して言い訳がない。君が君自身をどれだけ叱咤しても私はいつだってそんなことないよって言い続ける。

「気持ち悪くなんか、ない。絶対に否定なんてしない!」

 言い聞かせるように君に告ぐ。私の拙い語彙力じゃどれだけ言葉を尽くしても私が君に抱く心を伝えることなんかできない。だから言葉でなく、行動で、ありのままの心を身体全体で伝えるのだ。

「どれだけ君が私を蔑もうが、傷つけようが私は君を肯定する。こんな素敵な友達がいるんだって全世界に見せつけてやる。」

 君の手が私の肩を鷲掴みにする。君の少し伸ばした爪が食い込んでチクっと痛む。けれどその細い指先を通じて君の体温と震えが伝わってくる。

「なんで・・・なんで、あなたはやっぱり私を否定しないの・・・どうして、私に失望しないの、許すの。そうしてあなたが許してくれた分私はきっとあなたを苦しめる。壊してしまう。体のいい詭弁と欺瞞だけじゃあなたは不幸になるの。だから・・・」

 そこまで君が言うと息を吸ってまた吐いてその先を紡ごうとする。肩にも力がかかる。けれど君が先を紡ごうとしてそれで苦しんでいるのなら・・・私はそれを許さない。

 肩の手に私の手を重ねる。雨の日でも下がらない体温同士が温めあって、ぬくもりが手のひらで感じられる。そのまま指一本ずつ君の手と私の手が交互になるように絡めていく。君の手も呼応するように力が抜けていく。

「詭弁でも欺瞞でもない。私はいつだって私の本心で君を肯定するの。それにどれだけ苦しめたっていいの。君が望むのなら思う存分私に当たればいい。鬱憤だって悲しみだって情欲だって、何だっていい。思いっきり詰って叩いて蹴ってそれでも私は君を許すから。私は私の全てをあげるけど君はくれなくていい。それでいいから君自身も君を肯定して。私は君が悲しむところはあんまり見たくないかな。」

 そこまで言って君は泣き顔を隠すように私の胸元へ倒れてくる。泣くのを我慢しようとしてでも出来なくて背中が跳ね上がって私はその背中を撫でる。私の背中を濡らすのは、今度は水溜りの水なんかじゃなくて君の涙で、それが嬉しかった。そうしていると傘の守る直径60㎝の範囲がやけに広く感じる。きっとそれは錯覚なんかじゃない。だって傘の外側は雲から顔を出した陽光に明るく照らされて、空の向こう側には虹が薄く見えたのだから。

 しばらくそうしていると君はまた問うてくる。

「あなたは何故私をそんなに許してくれるの?私はいつも迷惑をかけてばかりで、今日だって・・・優しすぎるんじゃない?」

 そんなの決まってる。

「だって友達だもん。」

「やっぱりあなたは私を友達だって縛り付けるのね。そのせいで私今振られちゃった。」

 君は目に涙を貯めながら笑う。

「ごめんね。でも恋人なんてなってもいいものじゃないんじゃない?お互いに秘密が増えて、なんでも言い合えなくなっちゃうかも。それなら友達って肩書でいいんじゃない?」

「うん、そうかも。・・・でも私は普通の友達じゃ嫌だからあなたに執拗に構うし好きだって言い続けるし、友達同士じゃやらないようなこともする。それでもいいんだよね?」

「いいよ。なーんでも受け止めるから。」

「私多分重いよ。あなたに無理を強いるかも。友達関係とかSNSとか。」

「大丈夫。覚悟してるし、君と一緒なら何でもいい。私は全部君にあげるから。」

「あなたが今言ってることもなかなか重いけどね。私達友達というか共依存じゃない?」

 常に微笑を湛える君の口元が言葉を優しく紡ぎ出す。

「まあ共依存もいいんじゃないかな。君と私は多分一人じゃ上手く生きられないから。」

 君は頷く。

「雨やんだね。」

 君は空を見上げて流れる雲と垣間見せる青空に向かい呟く。

「うん。私達の心の雨も。」

「てことでこれからもよろしくね副会長さん。迷惑かけると思うけどその時は助けてね。」

「敏腕生徒会長さんが何を言うんだか。」

「その愛称もあなたのおかげだし、私一人じゃ無理にだから。・・・うん、やっぱり私も全部あなたにあげる。だからこれからも依存させて。」

「別にいいのに。」

「こうしないと釣り合いが取れてない感じがするでしょ?」

 君はそう言って笑った。

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百合の花は雨上がりに咲く 宮古桜花 @miyako_ouka

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