今日も俺は俺と喧嘩する

桜鈴

第1話

『自分を大切にしましょう』

 

 高校生にもなってそんな子どもじみたことを言われても、心に響くわけがない。

 綺麗事なんて口では誰だって簡単に言える。


 正直に言おう。俺は〝倉橋ルイ〟という人物、つまり俺が大嫌いだ。もう十七年の付き合いだが、どうにも自分と仲良くできない。

 昔からそうだ。周りと自分を勝手に比べては自分の無力さに腹を立てるばかり。

 両親は俺のことを反抗期だと思っているんだろうが、もしこれが本当に反抗期なのだとしたら、俺は何年反抗期をしてることになるんだ?


「倉橋、お前進路は決まったのか?」

 今日のホームルームも終わり、帰る準備をしているといきなり誰かに肩を叩かれた。担任の高木だ。

「……まだ、です」

「そうか。進路希望の紙、お前白紙で出したろ。せめて何か書いてくれると嬉しいんだけどなぁ」

 高木は冗談っぽくそう言うと、そのまま向かいの席に腰を降ろす。どうやら俺を帰らせないつもりらしい。

「このあと、少し話そうか」

 まだ教室には数人が残っている。『このあと』というのはその人達が帰った後のことだろう。

「はい」

(どうせ俺には拒否権なんて無いんだろうな)


「倉橋、帰らねえのか?」

「ああ。ちょっとな。先帰っててくれ」

「おっけー。じゃあまた明日な」

「おう、また明日」


 別に、反抗したいわけでもグレたいわけでもない。俺は平凡なただの男子高校生だ。それなりに友達もいるし、楽しく過ごしてるつもりだ。だけど、たまにふと思う。『なんで俺はこんなことすらできないんだ』『この程度で潰れるなんて情けない』と。

まるで一人反省会だ。


 なんて、ぼうっと考えている内に数分が経っていたのか、いつの間にか教室には俺と高木だけ。先ほどまでの賑やかさが嘘のように今は静寂で満ちている。

「よし、それじゃあ面談開始だ」

 最初に静寂を破ったのは高木の方だった。

「……よろしくお願いします」

 空気的に何となくそうは言ったものの、俺には話すことなんて無い。自分自身の将来についてなんか正直どうでもいい。

「まずは、さっき言った進路についてだ。将来の夢とか、やりたいこととかは無いのか?」

高木は白紙の進路希望調査と俺の顔を交互に見ながら尋ねてくる。

「やりたいことなんて……俺は何やってもすぐ飽きるし。何より不器用だし。皆みたいに誇れる夢も……持ってないです」

 俺の答えを聞いた高木は何も言わずにこちらを見ている。

(またやってしまった……これは呆れられたな)

 数秒前の自分の発言に後悔しながら、思わずうつむいてしまう。

「はは、不器用の何が悪いんだ?」

「……え?」

 頭上から降ってきた思いがけない言葉に俺は無意識に顔を上げる。

「不器用だからなんだ?誇れる夢?自分の夢なんだからどんなに小さくたって誇ればいいじゃないか。その価値を決めるのは他人じゃない。倉橋、お前自身だ」

「……」

 こんな時、何て言うのが正解なのだろうか。高木は俺の事を肯定してくれている。それは分かってる。何かお礼のひとつでも言いたいが、頭に浮かぶのは自分を否定する言葉ばかり。こんな日常会話ひとつすらできない自分にまた腹が立ってくる。

 けれど、そんな俺の続きの言葉を高木は黙って待ってくれていた。

「でも、俺は……」

 俺だって否定したい訳じゃない。なのに、自分への嫌味が我先にと言わんばかりに溢れ出てくるんだ。自分では止められない。

「俺は……俺が嫌いなんです」

 素直にそう口にした。

「本当にそうか?」

 高木は不思議そうに俺の顔を覗き込む。教師に向かって言うことではないが、まるで純粋な疑問を抱く少年のようだ。

「どういう、ことですか?」

 そして俺もまた疑問で返す。

「そうだな……これは先生から見ての話だから、どう捉えるかはお前次第なんだけど」

 と前置きをし、高木は窓の外に目を向けた。

「お前は自分が嫌いというより、自分に自信が無いだけなんじゃないかと思うんだ。友達関係だって困っているようには見えないし、成績だって上位……とまではいかないにしてもそこそこな方だし」

(自信……)

「さっき言ってた『不器用』とか『誇れる夢』だって、無意識に目標を高く設定してるんじゃない?だから、なかなか手が届かなくて自信が無くなって……その繰り返しで嫌になる。違うか?」

「……」

 図星だ。言われてみればその通りかもしれない。

 勝手に誰かと比べては羨んだり、落ち込んだり。改めて考えると実に馬鹿らしい。

「そう、かもしれません……俺はいつも他人と自分を比べて『なんでこの程度もできないんだ』って思うんです。羨ましいというか……はは……勝手すぎますよね」

 やっぱりダメだ。口から出てくるのは自己否定ばかり。本当に俺は……

「勝手なもんか」

 また自己嫌悪に浸りそうなところを、まるで『させるか』という風に高木が割って入る。

「自分と他人を比べられるっていうのは素晴らしいことなんだぞ?ただ……ひとつだけアドバイスするとすれば、考え方を少しだけ変えてみることだ」

「考え方?」

「そうだ。他人を羨むのもまた人間の性質。それは仕方ないことなんだ、先生だってそうだし。だからこそ、そこを上手く利用してやる。例えば、『こんな程度もできない』じゃなくて『こうしたら近づけるかも』とか。同じことでも後者の方がポジティブに聞こえるだろう?もっと視野を広げてみなさい」

(ポジティブ……)

「そんな考え方、したことなかったです」

「はは、そうだろう。なら、それがお前の宿題だな。自信を持つこと、それからポジティブに考えること。いくら時間がかかってもいいからこの二つを必ず提出しに来い」


今まで自分では否定ばかりしてきた。誰かに褒められたとしても素直になれなかった。だけど、今は違う。誰かの言葉がこんなに自然と心に入ってくるのは初めてだ。

正直とても嬉しい。


「はい……!」

 俺は勢いよく首を縦に振った。

「おっ、早速一つクリアできたじゃないか!」

「え?」

(どういうことだ?)

「お前今、迷わず頷いただろう。それこそが自信を持てた証拠だ」

「え、こんなことでいいんですか?」

 高木に言われてハッと気づいた。あまりにも簡単に達成できてしまったことに少しの不安さえ感じる。

 そんな俺の気持ちが伝わったのか、高木は柔らかく笑顔を作り、

「目標は高過ぎても意味が無いからな。それに、最初は低めに設定して少しずつ上げていく方がモチベーションも上がるぞ」

 と、まるで子どもにいたずらを教えるような口調で話す。

 

 そうか。俺は今まで『羨ましい』とか『どうせ俺なんか』とか、客観的にしか物事が見えていなかった。だけど、それだとただの感想だ。

 まだ完全に理解できたわけではないが、ひとつだけ、はっきりと分かったことがある。それは〝行動〟することの大切さだ。心で思っているだけでは何の進歩にもならない。その場で足踏みをしているだけの状態。大事なのはそこからどうやって進む……つまり行動に移すかということなんだ。


「ありがとうございます」

「うん。さっきよりも随分いい顔になったな」

 

 自分ですら気付けなかったことに気付かせてくれ、さらに気遣いまでしてくれる。教師ってこんなに人のことをよく見ているものなのか。いや、これが〝高木先生〟自身の優しさなのだろう。


(いいなぁ……いや、そうじゃないな)

「先生、俺……」

「ん?」

 今、やりたい事がひとつ思い浮かんだ。でも、今言うのは違うか。

「やっぱり何でもないです」

 思いついたばかりの今はまだ言えない。

「あはは、なんだよそれ」

「へへ、いつか言いますよ」

 いつの間にか窓の外が茜色に染まりつつある中、俺たちは友達同士のように笑い合った。


 いつか、この思いつきが本当の〝夢〟になったら……いつか、胸を張って言えるその日が来たら……そうしたらまた改めて『高木先生のような教師になりたい』と報告しに来よう。

 そう心に誓いながら、俺は今目の前にいる〝憧れの人〟との会話を楽しむのであった。

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