第3話

 オブライエンは今回の〈設定変更〉にあたって〈天上人〉が作成した人物なのかもしれない。こんな工場は、当然ながら前回にも前々回の設定にもなかったものだ。

 工場が見えなくなったことを確認して、僕はほっと息を付き、近くの岩場の陰に腰をおろした。持ってきていたランプに火をともす。と、青い蠍と話をしていたことが、つい昨日のことのように思い出された。どうしても、今手元にある青い液体のことと結びついてしまう。

 そもそも、その二つには、根源的に違いがあるのだ、と僕は自分に言い聞かせる。僕が前々回の世界設定で話をしていた青い蠍は、確かに知性の光が感じられた。しかし、この世界で見る青い蠍達は言葉も持たず、我々人類とはかけ離れているのだ。そういう意味では、麦を育てて刈り取って、パンにして食べるのと何も違いはない。

 ぐるぐると、思考が回る。納得している自分と、本当にそうなのか、と懐疑的な自分。


 と、夜の静寂を破って、背後から岩が崩れるような音が聞こえてきた。とっさに起き上った僕は、いつでも動ける準備を整える。獣の類かもしれないのだ。しばらく動きがなく、ひょっとすると勘違いだったか、と息を付こうとした瞬間、その岩陰から女性が顔を出した。エリーナだった。

「こんばんは、サラン」

 彼女は、場違いにもそんなことをいいながら、悪びれることなくこちらに歩いてきた。

 僕は警戒を解いて、いった。

「エリーナさん。こんな夜に出歩いたら危ないよ。それに――」

 僕の言葉を制止して、エリーナがいった。

「〈帝国〉の兵器輸送隊員の妻」

 事務的な、それでいて断言的な声音だった。僕は、話の先をうながした。

「それが、前回の世界設定での、私の立場よ」

 あ、と僕は吐息のような言葉しか、口から出てこなかった。〈設定変更〉が起こって世界がどんどん変わっていくことに、エリーナは気づいているのだ。そして、先刻のオブライエンとの会話を、彼女はどこかで聞いていたのだろう。

「あの世界設定はそれなりに気に入っていたから、残念だったわ」

 いままで、僕以外にそのことに気づいていると告白してきた人間は3人目で、女性では初めてだった。

「しかし、特定の世界に思い入れを持つのはよくない。特定の人間にも、ですけど……」

 内心の動揺とは裏腹に、僕はいつも以上に冷静に言葉を発していた。

 正直なところ、僕はエリーナを女性として好きになりかけていた。だからこそ、一刻も早く彼女から離れなければならない。〈設定変更〉が起こってしまえば何もかもがキャンセルされてしまうのだ。物事にも人にも、深入りしてもただ喪失感が深くなるだけだ。

「何しに来たのか……と、あなたはそう思っているのね?」

 僕は答えなかった。それには構わずに、エリーナは話を続ける。

「世界に振り回されるだけなのは、もう嫌なの。起きたとき、あなたは『設定変更が』と口にした。普通の人なら聞き流すところなんでしょうけど、私にとっては天地がひっくり返るほどの衝撃だった。この人なら、わかってくれる。そう思ったわ」

「この世界は、何者かによってひっきりなしに〈設定変更〉されている。そして、その中で生きる人間達の設定も、変更されている――その話を共有できる人に、あなたは初めて会ったんですね?」

 エリーナは頷いた。その目には強い光が宿っている。


〈天上人〉に出会ったら、思うさま石を投げつけてやる――。


 僕は常々そう思ってきた。彼女もそうなのだろうか? 

 ほかに話題を見つけられない僕が、そう口に出そうとした刹那、体に衝撃が走り、視界が反転する。一瞬遅れて、悲鳴が耳に届いた。エリーナの声だ。

「父さん!」

 ぐらぐらと揺らぐ視界の中に、仁王立ちする男が入ってくる。――オブライエンだった。自分が立っているのか座っているのも判然としないが、彼に殴られたことだけはなんとなくわかった。

「てめえ! わけのわからんことばっかりいって、エリーナをたぶらかしやがって!」

「違う、お父さん!」

 エリーナが押しとどめようとしているが、それを難なく片手であしらった男は、ずんずんとこちらへと近寄ってくる。

「二度と日の目を見られねぇようにしてやる」

 その言葉を聞き終えたときと、僕の意識がブラックアウトしたのが、同時だった。


 僕は跳ね起きた。

 どこからか湧き上がってくる焦燥感とは裏腹に、意識が立ち上がってくる速度は遅い。僕は携帯端末を立ち上げ、時間を確認する。十一時五十分――。

 十二時には原料蠍の入荷が始まる。僕は交代勤務でそこへ行かなければならない。回らない頭を必死で動かしながら、とにかく体を動かし、電子ロックを解除して作業服を取り出し装着する。そして、身にしみついている動作にしたがってベッド脇のボタンを押すと、上のボックスが開いて、固形食糧が飛び出してきた。半日分のカロリーと栄養素が凝縮されたものだ。

 それを口に含んで、すぐに部屋を飛び出してフロートエレベータへと乗り込み、目的の地下十二階のボタンを押す。一瞬だけ浮遊感があり、すぐに目的の場所へたどり着いた。


 扉が開くとすぐに、各原材料ブースから、悲鳴や怒号が響いてくる。蠍達の声だ。うらんでやる、人類など滅んでしまえ、痛いよ――。

 僕はあわてて耳あてをつけて声をシャットアウトする。副交感神経を刺激する軽いクラシック音楽を流すように携帯端末で設定した。

 原材料の新鮮さを確保するため、ここでは生きたままの蠍が処理される。僕の仕事は、この蠍達を適量だけブースの中に押し込んで、合成釜へと投入するボタンを押すことだ。やることは単純なのだが、生きて動いて話しかけてくる蠍を生で見なければならない。そのことから敬遠され、慢性的に人手不足に陥っている仕事だ。


 いつものように蠍達を集めて強引にプラスチックケースに詰め込んでブースの上に設置する作業をこなしながら、はっと我に返った。

 急速に記憶が蘇ってくる。あまりにも急激な〈設定変更〉に、僕は自分を見失いそうになっていたのだ。

 改めて、目の前で悲鳴を上げているであろう蠍達を見て、僕は全身に寒気が立つ。蠍を殺せるかどうか、僕は前設定では、知性の有無を基準にしていたのではなかったか。

 しかし、今目の前にいる蠍達は、明らかに人類と同じように喋っている。僕は容赦なく、釜へと投入している。それも大量の蠍達を――


 考えながらも、僕は手を休めない。

 どうして僕は今、何の抵抗もなく蠍を『処理』することができているのだろう――。

 耳から流れてくるクラシック音楽のおかげなのではないか、と一度仮定して、さらに考えを進めてみる。

 この抽出液を使う人間にとっては、どうなのだろう?

 ――いうまでもない。彼らにとってはすでに、ボトルに詰められた、ただの青い液体に過ぎないのだ。

 そこまで思考が行きつくと、すっと心の底に何かが落ちた気がした。

 怒りや恨み言を叫び続けているであろう蠍達を、ごりごりばきばきと『処理』しながら、イヤホンから流れてくる心地よいクラシック音楽に、僕はただ身をゆだねることにした。

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午睡の果て 高丘真介 @s_takaoka

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