第2話

 最新の兵器を作っている工場、というから誤解していたが、そこはどちらかといえば農場のような雰囲気だった。僕が寝かされていた小屋の隣の細長く続く平屋の建物がその工場で、中には中央に一本、廊下が続いている。廊下の両側はガラス張りになっていて、2メートル四方ほどの部屋が並んでおり、それぞれ、色の違う蠍が無数に飼育されていた。


「お父さん。ちょっといいかしら。この前倒れていた人よ」

 ガラスの前面を少し開いて、男は作業を行っていた。おそらく蠍の餌の補充か何かなのだろう。

「やっぱり、スコルピオ・エキスの買い付けの人だったんだって。〈帝国〉のね」

 エリーナがそこまでいって、男は初めて顔を上げた。

 白髪混じりの無精ひげを生やしたその男は、にこりともせずに僕の方を一瞥して、すぐにエリーナに視線を戻す。

「ありがとう、エリーナ。おまえはもう下がっていいぞ。家に帰っているんだ。もうすぐ日も落ちる」

 淡々と、事務作業をこなすような口調で話しながら、男は立ち上がった。

 僕よりは少し背が高く、そしてがっちりとした体躯だ。仮に喧嘩になったとしても、僕に賭ける人はいないだろう。それほどの体格差を感じる。

「オブライエンだ」

 いうと、目の前の男――オブライエンは右手を差し出してきた。反射的に、僕は右手を出して握手に応じる。まるでフットボール選手のふくらはぎを握っているような錯覚を覚えるほど、その手は肉厚だった。

 横を通り抜けて、エリーナが去っていく。なんとなくその後ろ姿を追っていると、視界をふさぐように、オブライエンが割って入ってきた。

「で、何ダース必要なんだ?」

「取り急ぎ、8ダースほど。また後日改めて馬車隊が数百ダースの買い取りに来ますが、緊急でそれだけの量が必要なんです」

 記憶の中にはその理由も刻み込まれているが、ここで話す必要はないだろう。この男はただ、必要に応じて蠍を殺し、エキスを抽出し、そしてそれを〈帝国〉に販売しているだけだ。

「分かった……ちょっと、倉庫の方まで来てくれるか」

 予想通り、男は何も詮索することなく、僕を倉庫へ案内した。


 飼育場から少し離れたところにある倉庫にはすでに、ガラス容器に詰められたスコルピオ・エキスが山のように積まれていた。男はその中から無造作に8ケースを選び出して、僕に手渡してきた。

 それは、青い蠍から抽出されたものだ。わかりやすいように青い色がついている。


 ふ、と僕は言葉を交わした青い蠍のことを思い出した。そこには、人類と何も変わらない知性があった。それと、今手元にある青い液体は、酷く釣り合わない物のように感じられた。

「今回、その青色を付けるための色素は変更したけど、よかったんだよな?」

「構いません。とにかく赤い蠍の方と区別がつけられるようにしてもらえれば」

「いつもの青色蛾が不足しててね。今回は群青蟻の成分を若干薄めて使っているから、いつもと少し色目は違うかもしれないが、肝心の毒成分は同じだからな」

 青色蛾も、青い蠍も、ここでは同じ、ただの原材料なのだ。今までの世界とは異なるこの世界での価値観に、僕は早く慣れなければならない。


 対価となる紙幣を何枚か手渡すと、男は丁寧に枚数を数えたあと、確かに、とつぶやいて、そのまま僕と一緒に倉庫を出る。

「どうする? もう遅い。明日の朝までならあの小屋で泊まって行ってもらっても構わんが」

 その提案に、僕は首をふる。

「いえ、このまま帰路につきたいと思います。〈帝国〉は一刻も早くスコルピオ・エキスを手に入れることを望んでいますので」

 そうか、と小さく頷いた男は、なぜだか少しほっとしているように見えた。

 ふ、と思いついて、あたりを見回してみる。夕日が差し込んできて、工場の建物に長い影を形作っている。他に何もない砂漠の中に、その影だけがのっぺりと伸びている。

「前の世界設定では――」

 頭の中で考えていたことが、つい声に出てしまっていた。

「あなたは何者だったのでしょうか?」

 我に返って口元を覆ったが、もう遅い。僕は少しぼんやりしていたのだろう。まだ毒が抜けきっていないのかもしれない。

「前の世界設定?」

 オブライエンは、不審げに眉を寄せてこちらを凝視している。

「おまえさん、何の話をしているんだい?」

「いや――すいません。忘れてください」

 そそくさと背を向けて、その場を立ち去る。小屋に残していた自分の荷物だけは回収して、すぐに逃げるようにその工場を後にした。背中にひりひりとした視線を感じながら、一度も振り返らず歩き続ける。

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