ある殉教者の告解
譚月遊生季
Aufsteigende Priester.
霞む視界をどれほど
切り裂かれた腹は絶えず血を流し、指先ひとつでさえ、まともに動かすことができない。
震える指先で、どうにかロザリオを
……ああ、主よ。
私にもいよいよ、最期の
未練を残さぬよう、今、ここで
私の罪を──
***
私が神父を志したのは、異端である私の血筋を世に認めさせるためでした。
家族の名誉を取り戻し、きょうだい達がより安心して暮らせるよう……悲壮な決意を持って、神学の道に
その最中、どれほどの苦難があったのか……それは、ここで語り尽くせるものではありません。
私がどれほど同業者からの嫌がらせや陰口に耐え、修練に励んだか……全知全能たる我らが父こそが、もっとも存じ上げておられるでしょう。
聖職に就き、日夜励んでいた頃。私は一人の盗賊に出会いました。
……いいえ、元盗賊、と言った方が正しいのかもしれません。
彼は、先の隣国との戦争で両親を失ったと話しました。戦災孤児として生き抜くために、多くのものを奪った、とも。食糧も、衣類も、……人の、命も。
彼は罪を悔いておりました。……けれど、ものを盗む以外の生き方を知らずにいました。
私は彼に、まず文字を教え、金銭の使い方や計算といった生活の基礎を教えました。
輝かしい日々でした。
彼は気持ちが良いほど積極的に物事を学び、私に感謝を伝えました。
神父として人を教え導くことの歓びを、私は彼から教えてもらったのです。
明るい笑顔を浮かべる青年でした。
苦難の道程を歩みながらも、その瞳には、
……やがて、彼は都市警察に出頭し、牢に繋がれました。
過去の罪を洗いざらい自供し、血濡れた過去を処刑によって
処刑の直前。
私は、
私が顔を見せた途端、彼の表情が花開くように明るくなったのを覚えています。
そしていつものように、さほど年齢の変わらないであろう私を「神父様」と慕い、無邪気に語りかけるのです。
あまりにも普段通りの光景でした。とても、じきに断頭台に登るとは思えない姿でした。
役人に呼び出された際も、彼は明るい表情を崩しませんでした。
そして、最期に一つだけ、伝えたいことがあると……。
懺悔ではないと、彼は
悔い改める気はないと。その想いだけは、死ぬまで……いや、死してもなお、絶対に手放しはしないと。
「愛してます」
放たれたのは、あまりにも真っ直ぐな愛の告白でした。
言葉を失う私に向け、満足げな……それでいて少しだけ寂しそうな笑みを浮かべ、彼は死出の旅へと赴きました。
「じゃ、行ってきます」
……そう、また翌日にでも出会えそうな挨拶を遺して。
その背中に縋り付き、行かないでくれと叫びたくなる気持ちを懸命に抑え、私は彼を見送りました。
私の罪は、度々向けられた熱い視線に気付かないふりをしていたことです。神父としての立場を保つため、彼が抱えていたであろう苦悩に……薄々勘づいていた予感に、目をつぶったことです。
そして……
……いいえ。この罪に関しては、最後に告白いたしましょう。
その後、私は師である司教様に問いました。
彼は本当に処刑されるべきだったのか。
盗賊としてしか生きられなかったのは、彼だけの
神は、なぜそのような生を彼に与えたもうたのか。
未熟にも取り乱し、涙を流す私を、司教様は静かに
命によって罪を贖うと決めたのは彼であると。
彼の咎も、彼を罪人にした者達の咎も、神はお赦しになるだろうと。
……そうやって涙を流し、考える者がいる以上、彼の生には間違いなく意味があったのだと。
真に抗うべき相手は、彼の両親を奪い、盗賊の立場に貶めた「戦争」そのものなのだと……
現在、帝国は領土拡大を
私を静かに諭していた語調は次第に熱を帯び始め、司教様も「彼」を心から憐れみ、その生に寄り添っておられたのだと感じさせました。
司教様は、救貧院にて、
救貧院には、先の戦争で癒えぬ傷を抱えた者が数多くおりました。家族や友人を失った者も、決して少なくありませんでした。
司教様の瞳に宿った意志は固く……なぜ、この方が多くの人の心を動かせるのか、否が応にも理解できる感覚がありました。
毎日を必死に生きていた私には、まだ、完全には把握しきれぬ大義が
……その大義が、この血塗られた惨劇を引き起こしたのだとしても。
司教様が世の理不尽を憂い、変革を成し遂げようとしたのは事実です。
暴力によりねじ伏せられたとしても、その意志を継ぐ者はどこかに現れるでしょう。
あの日、私が見た志は、そういった類のものでした。
……ああ、意識が遠のいていくのを感じます。
この蛮行も時代の流れだというのであれば、
変革のための痛みだというのであれば、
……涙を飲み、仕方のないことと受け入れましょう。
小言の多い、それでも仕事熱心な修道女。
皮膚病で職を失い、それでも苦悩の果てに新たな道を探していた信徒。
燃えるような志を持った、正しい心を持つ司教様……
教会内に倒れた屍達は、決して、このような惨死を迎えるべき人々ではありませんでした。
……ですが……神は絶対でも、人間は過ちを犯すもの。
そして、過ちを悔い改め、先に進んでいくのもまた人間なのです。……そのことを、司教様が教えてくださいました。
我々の流した血の先に……ここで失われた命を
まだ世の中を知らぬ幼子が、奪われた末に、奪うことのない未来が待っているのであれば──
私は、この身を捧げることも
罪の懺悔を終えた後、私も、先に逝った者達の後に続きましょう。
主よ、ここに告白します。
あの青年が、私を愛したように……
私もきっと、彼を愛していました。
***
薄れゆく意識の中、「誰か」が目の前に立つ。
男は落ちたナイフを拾い上げると、私の首に押し当て、そのまま真横に引き裂いた。
鮮血が床に散る。続いて、彼は血にまみれたナイフを、既にぱっくりと割れた脇腹に押し込むようずぶりと突き刺し、ぐるりと
痛みはすぐに感じなくなった。
何者かの慈悲が、苦痛の少ない死を与えてくれたのだろう。
浅黒い、生傷だらけの指先が私の頬を撫でる。
闇に閉ざされていく視界が、最期に、その姿を捉えた。
……ああ。迎えに──
***
18××年、8月某日。
エルザス=ロートリンゲン中部のとある教会にて、カール・ハインリッヒ司教を狙った襲撃事件が発生。
襲撃された司教を含む教会関係者および、居合わせた信徒は
司教の反帝国主義的な思想は以前より問題視されており、「政府による弾圧だ」との噂は絶えることがない。
その後、惨劇の舞台となった教会には、毎年、多くの人が殉教者の鎮魂に訪れるようになったという。
やがて、不思議な話も囁かれるようになった。
参列者達に紛れ、寄り添う影が二つ──
ある殉教者の告解 譚月遊生季 @under_moon
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