他者の作品を読み、評価をすることで得るものはあるのか?
暮伊豆
評価とは
エッセイを好んで読まれる皆様。お懐かしゅうございます。タイトル詐欺でお馴染み異世界金融毎日3話更新の
以前よそで書いたエッセイ『なろう批判があるなら、なろう賞賛があってもよくない?』がことのほか好評だったもので二匹目のドジョウを狙ってこのエッセイを書いております。
いや、もう遅いってご指摘はごもっともでさぁ。しかしながらエッセイなんてぇもんは、ネタがなけりゃあ書けねぇもんで。
ならば今回はネタを手に入れたのか?
と言われると困るわけですが、書きたくなったから書きます。たぶん作者さん向けの内容だと思います。
議題は『評価について』
エッセイジャンルにおいて100万回は語られた内容だと思う。それでも敢えて書く内容は、私の心の狭さを露呈するものだ。
『暮伊豆って狭量だぜ!』
『ちいせぇ、ちいせー! 器ちっせー!』
と、笑ってくれたなら幸いである。
さて、私は現時点で評価を4,335作品につけており、感想を約8,000件書いており、レビューを574件書いている。
ここにカクヨムやノベリズムなど、他サイトでの活動を加算すればもっと増えるだろう。だが、今回はなろうだけの話とする。
私はレビューを衝動的に書くことが多い。
読んで面白かったり、ぐっときたり。何か琴線に触れるものがあるとつい書いてしまう。
評価だってガバガバだ。大抵は星5、もしくは星4だ。
過去に3や1だってつけた記憶はある。かなり珍しいケースなのでなぜそうしたのかは覚えていない。
カクヨムの場合はほとんど★★★を付けているように思う。なぜなら面白くないと途中で読むのをやめてしまうからだ。
最後まで読んだ場合は必然的に★★★を付けることが多い。
そのように衝動的に行動する私だが、ここ数ヶ月ほどで知恵がついた。
私の作品に感想を書いてくれた方のマイページに行き、どんな作品を読んでいるのか、どんな評価をしているのか、レビューは書いているのか……などをチェックするようになったのだ。さすがに毎回はやってられないので何回かに一回ぐらいのものだろう。
その流れで、私が読んだ作品の作者についてもチェックをすることを始めた。
特に、記憶に残っている出来事がある。
タイトルは忘れたが、すごく面白かった作品があった。確か異世界恋愛だったような気がする。一気読みして星5を入れ(なろうなので)、感想も書いた。そしてその勢いのままにレビューも書こうとした。
が、その前に作者マイページを見てみた。どんな作者さんなのかと興味が湧いたからだ。
そして私はレビューを書くのをやめた。評価を取り消すことこそしなかったが、一気にレビューを書く気が失せたのだ。
なぜならば……
その作者さんは……
評価0
レビュー0
何もしていない……
他も全てが0だったのだ……
いわゆる『書き専』と呼ばれる方だろう。
もちろんのこと、他者の作品を読もうと読むまいと、評価しようがしまいが本人の勝手だ。
応援するもしないも、応援してもらうもしてもらえないのも。全て本人の勝手なのだ。
その昔『中華一番』という漫画があった。その作中で、ある資格試験の最終審査が『残った三人でお互いの料理に点数をつけろ』というものだった。
三人のうち二人は自分の舌を信じて正しく評価した。しかし、残る一人は自分が合格したいがために他の二人に一点しか入れなかった。たしか五点満点だったはずだ。
そして、その一人は試験官より『他者を正当に評価できぬ者に資格なし』として失格を言い渡された。
そのマイページを見た時の私の心境がそれなのだ。他者を正しく評価できないもの、応援していない者に評価される資格もなければ応援される資格もない。その時の私はそう思ったのだ。
一切他人を応援せずとも、レビューの嵐を貰ったり書籍化まで辿り着く者もいれば。
一生懸命他人を応援しているのに、自分は少しも構ってもらえない者だっている。
その差は何か?
簡単な話だ。
残酷なほどに作品のレベルが違うからだ。
なろう内、カクヨム内において面白い作品を書く者は何をしても許されるし、応援してもらえるのだろう。
クラスタだ政治力だ、ツイッターだ工作だ。そんな弱者の遠吠えなど鼻で笑い飛ばせる実力者がなろうにもカクヨムにもいくらでも存在する。
そして、そうでない者は地べたを這いつくばるしかない。何百万字書こうと、何年続けていようと……一日で一万ポイント稼ぐような絶対強者の前には風前の塵も同然だ。
しかし、瀬川雅峰氏などは稀有な例だろう。
ブクマは500以下、ポイントも2000以下。(カクヨムに換算すると★600ぐらいだろうか)
『ぽっと出の短編にメイン作のポイントが抜かれている組合』にも所属しておられたはずだ。
しかし、この世に生きた証を残さんと命を削って執筆を続けた結果『辰巳センセイの文学教室』は2021年5月11日に書籍が上下巻で発売される。デビュー作が二冊同時である。本当に楽しみだ。
瀬川氏は、実力さえあればポイントの壁すら壊せることを証明してみせたのだ。今からが本当の勝負ではあるのだが、現時点でもすでに偉大な功績と言える。
逆の例が私だ。
もうすぐ毎日連載して丸四年を超えた異世界金融だが、ポイントは二万。絶対強者にたった二日で抜かれる程度の存在なのだ。もっとも書きたくて書いてるわけだから文句の言いようもない。
(現実カクヨムに於いては★750)
しかし私は本当に面白い作品を目の前にすれば、どんな作者だろうが評価してしまうし、時にはレビューだって書いてしまう。みんなもそうではないだろうか? 本当に素晴らしい作品の前には作者の人間性や言動など吹き飛んでしまわないだろうか?
感想欄が閉じている作品ならレビューで応援したこともあるし、逆に評価を取り消した事もある。評価も感想もレビューも受け付けてない作品なら活動報告やツイッターで宣伝してしまうかも知れない。全ては作品の質次第だと思う。
ポイントでもブックマークでもあっさりと抜き去っていく作品を、妬みつつも面白ければ私は読むし感想もレビューも書く。嫉妬が止まらなくても面白いものは面白いのだからしょうがない。
ちなみに先述の私がレビューを書くのをやめた作品だが、瞬く間にランキングを駆け上がりポイントもすごいようだ。そう、これが実力だ。私がレビューを書こうと書くまいと強者には関係がない。他者を応援する、しないなどと言っている小物とは住む世界が違うのだ。
よって、他者を応援するなどと言ってる暇があるなら自分を磨くために時間を使う方が成功は早いと言える。書籍化作家であるにもかかわらず、しゅばっと他者を応援することに余念がない高潔で偉大な方だっておられるのだ。
現代において宣伝やマーケティングの重要性はもはや言うまでもないだろう。しかし結局ものを言うのは実力、作品の質ではないだろうか。
確かに、時には『このどこが面白いんだ?』『これがランキング上位って正気か?』そう思ってしまう作品だってあるだろう。そのような作品はいずれ消えるのだろうか? それとも消えずに生き残り書籍化、アニメ化するのだろうか? 私には分からない。
いくら自分が面白くないと思っていても他者までそうであるとは限らないからだ。
『この世に自分ほど信じられないものはない』という言葉がある。私もそう思う。人の感覚なんて曖昧なものだ。
さて、まとめに入ろう。
『評価する』ことで学べることはある。他者の長所に触れ、短所を目の当たりにすることができるのだから。
評価する事とは、自分の心と向き合うことなのかも知れない。
圧倒的な実力で駆け上がることができない者は、自分なりのやり方で地道に一歩ずつ前に進んでみてはどうだろうか?
例えば……
・毎日何か書く。
・お気に入りユーザーを登録する。
・好きな作品を見つけて評価する。
・時には感想やレビューも書く。
・書かれた感想には返信する。
・何かいい事があれば活動報告、近況ノートも書く。
四年間かけて四百万字近く書いて、それでも二万ポイントと少々。これを多いと見るか少ないと見るかは各自の自由だ。たぶん私はこれからも書き続けていくだろう。書くのが面白くなり、もうやめられなくなってしまったから。時には酷い感想を貰うこともある。それはもう創作あるあるだから仕方ないし、私の力不足に他ならない。誰にも文句を言われない名作を書けない私が悪いのだ。
それはともかく、これを読んで一人でも『評価する』読者が増えたら私は幸せだ。
最後にこの言葉を紹介しておこう。
『学びて思わざれば則ち罔し
思いて学ばざれば則ち殆し』
意味を説明する気はない。私はこの言葉を少しだけ大事にしている。それだけの話だ。
他者の作品を読み、評価をすることで得るものはあるのか? 暮伊豆 @die-in-craze
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