第2話

 お笑い小説を執筆している作家がTwitterで愚痴っていたが、どうやらお笑い小説というものを他の小説より劣ったものだと考えている作家が一定数いるようで、「活字で人を笑わせるのは難しい」とのことだった。別にどちらが正しいとかと論じる気はさらさらないが、自分自身クスッと笑えるような小説が好きだった。小学生の頃は夢をかなえるゾウが非常に大好きで、何度も読み直した記憶がある。いわゆる読書の時間に学校で読んでいたが、くすくす笑っていたために周りからは気味悪がられていた。ここで「小説が好きだった」と過去形にしているのは今は全く本を読まなくなってしまったからだ。小学生のうちは集中して本を読めていたが、中学生以降はどうも本というものへの興味が失せ、一冊読み切ることが苦痛に感じるようになってきた。まあ実際、活字で人を笑わせることはとても難しいのだろうと思う。これは別に活字に限った話ではなく、とある漫画家が絵で人を笑わせるのは難しいと語っていたように、音声や動きというものなしで人を笑わせるということが難しいのだろう。

 ただ、件のツイートを見た際、確かに活字で笑わせるのは難しいが、それ以上に性的興奮を覚えさせる方が難しいのではないかと感じた。まあいわゆる官能小説である。私自身読んだことはないが、友人の中には好き好んで読んでいるものもいる。ここでの友人は本当に友人のことを指しており、別に恥ずかしいからといって自身のことを友人のことだと嘘をついているわけではない。ただ、友人本人に聞いてみたいのだがなぜ性描写込みの漫画やアダルトビデオなどではなく官能小説を選ぶのだろうか、実際の性的行為において視覚情報が性的興奮の重要な位置を占めていると考えられる以上、活字よりは絵や動画で興奮する方が一般的だと思ってしまう。活字の方が、自身に理想像を頭の中で構築できるためだろうか。つまり、絵や動画では性行為中の人の顔がはっきりと定まっている一方、官能小説は顔の特徴を述べた表現はあるかもしれないもののどのような顔かが明確に定まっていないため、自身の理想像との性的行為を想像することができるためであろうか。なお、「性行為」ではなく「性的行為」としているのはより幅広い性的興奮解消行為をさせるようにするためである。まあこの文章が私の持つもやを吐き出すだけの場所である以上このような配慮になんの意味もないのだが。

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自己満 @nyamozi

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