自己満
@nyamozi
第1話
私は滅多にポストを開かないのだが、ひょんなこともありついさっき開いてみると、母校からの便りが届いていた。そこには新任講師の自己紹介が、そして退任講師の別れの挨拶が載っていた。どうやらあの忌々しい古文講師が辞めたようである。「和泉式部」を「わいずみしきぶ」と読んでしまったことを馬鹿にされて以降その講師を恨んでいた。今以上のクソガキである自分に羞恥心が込み上げてくる。別れの挨拶は俳句に関するものだった。確かによく俳句の話をしていた気がする。ただ、興味もない授業の話など一切聞く気が起きないため真偽の程は定かでない。そもそも真偽に興味もない。
好き嫌いがはっきり分かれるような講師だったように思う。随分なおばあちゃん先生で勉強をする人は褒め称える反面しない人を見下す態度は酷かった。全く古文の勉強などしていなかった私からすれば天敵であった。「宿題はこなすためだけのものじゃない。身に付かなければ意味がない。」今でもその言葉が頭にこびりついている。言っていることはまともなのであろうが、当時の自分からすればうっせえクソババアのクソ発言である。クソババアへの反抗心も原因であろうが、理系教科が得意だった私は、「古文など勉強して何になるのか、理系科目の方がよっぽど実用的だ」などというクソガキ低脳発言を繰り返していた。随分視野の狭い発言である。
ただこれを書いていて思ったのだが、別に宿題をしてきただけ私はマシな生徒だったのではないか。その内容がひどかったことは否めないが、それ以前に出してない奴を責めるべきではないのだろうか。もしかすると私に期待してくれていたのかもしれない。私ならもっとできると思ってくれていたのかもしれない。そうでなくて、宿題を出しさえしない生徒への興味を失っていただけかもしれない。私が知らないだけで、宿題を出していない生徒にもみっちり指導が入っていたのかもしれない。真偽の程は定かでない。これもまた興味のわかない真偽である。
思い出補正はきっとかかっているであろうが、それを踏まえた上でクソババアには感謝している。別に再会したいとも話したいとも思わないが、元気なクソババアでいてほしい限りである。
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