怪談~傘もつても濡るる身
オボロツキーヨ
驟雨
生暖かい風が会所を吹きぬけて行く。夜もふけた頃、一人の年長の武士が「
年長の武士は怪談が得意だと言う。酒も入り上機嫌。くぐもった声で一人語りを続ける。
「闇に浮かぶ怖ろしい幽霊の正体は、なんと、庭木に引っかかった風に揺れる白い
やがて、ほとんどの武士は酔いがまわり、怪談話を子守唄に高いびきをかいて眠ってしまった。
起きている武士たちは通称、
草木も眠る
「
武士の一人がつぶやいた。
赤い椿図が描かれた
身分の高そうな、三人の武士たちは共に四十代。絹の一重の
椿図の襖の怪異がぴたりと止まる。現れるのはどんな恐ろしい幽霊か大入道か物の
襖の向こう側から、幾重にも重なった厚い青雲が立ちこめ、会所内に流れ込んで来る。そして三人の武士の頭上に雨を降らせた。恐るべし怪異のなせる技。冷たい雨が肌を刺す。三人は憮然としてあぐらをかき、濡れ
「うう、何やら骨身にしみる冷たい雨だな」
松江殿がその身を震わせる。
「おおお、待ちくたびれた。ようやく幽霊のお出ましか」
会津殿がつぶやいた。
ちろちろと青い炎が燃えて飛び回る。
「ひい、
松江殿が隣に座る明石殿の手を握った。
「おお、たくさんの人魂が浮かんでおるわい」
会津殿が手を叩いて喜ぶ。
「ふん、人魂なんぞ、どこにでもおる」
手を握られたまま、明石殿は大あくびをした。
青い小さな炎が集まり、やがて一つの大きな
小姓たちも雨に濡れている。三十人ほどいる。こちらはたったの三人。あっという間にぐるりと取り囲まれた。会所は小姓で溢れている。皆礼儀正しく、正座して三つ指ついて礼をした後、こちらの様子をじっと伺う。
「おやおや、これはめずらしや。小姓の幽霊とは」
三人は目を見開いた。心なしか鼻の下が伸びて口元に笑みまで浮かべている。
小姓といえば身だしなみに心を砕く。香を着物に焚き込んでいるものだが、血生臭く不快な匂いが漂ってきた。雨に濡れた色とりどりの刺繍や花模様の入ったの振り袖、小袖、袴、前髪と
「皆、可愛らしいが幽霊なのだな。死臭が」
会津殿が苦しげにつぶやいた。
小鳥のさえずりにも似た透きとおる高い声で、小姓の幽霊たちは口々に不穏な呪文ようなものを唱え始める。よくよく聞くと、己が仕えていた殿の悪口を言っていた。城勤めを始めたばかりの幼くあどけない小姓の幽霊がいる。上は十六歳ぐらいまでか。不平不満の声がだんだんと大きくなってくる。三人の武士たちは耳を塞ぐが、それでも聞こえる。
「殿に牢に閉じ込められた」
「殿に切腹を申しつけられた」
「殿に湯殿で乱暴された」
「殿のせいで痔になった」
小姓の幽霊たちは口々に訴える。
「こ、これは、たまらん」
三人は両手で耳を塞ぐ。
「何やら、全身血まみれの凄いのが出てきたぞ。小姓の幽霊の総大将だな」
そう言うと、松江殿は怯えて明石殿の背にしがみつく。
「わたしの名は
顔が青く浮かび上がり、憎悪に満ちた目が光る。
「酷い、なんという悪い殿だろう」
小姓たちは口々に叫ぶ。
「我らは、この世に恨みを残して死んだ小姓の幽霊だ」
小倫の横には、手に百匁蝋燭を持った幼い小姓の幽霊がひかえていた。
「殿、冷えたお体を温めて差し上げます」
そう言いながら、三人の青々と剃り上げられた
「あ、熱い。無礼者、何をする」
三人は思わず声をあげて、着物の
「わたしは毎夜、殿から蝋燭責めにあいました」
小姓の霊があどけない笑みを浮かべるので、三人はぞくりとして、亀のように首を縮める。
「小倫殿も仕置をしてはいかがか」
小姓たちがはやし立てる。
小輪は目を伏せうなずく。赤い唇を歪めて唐傘を閉じた。頭を抱えて丸くうずくまる三人の背や腰を唐傘で、びしばしと打ち始める。
「ひいいい、たすけてくれ」
会津殿と松江殿が悲鳴をあげる。
最も激しく唐傘で打たれながら耐えていた明石殿が、低い声でぼそりと言う。
「
その
三人が恐る恐る顔を上げると、東の空が白みはじめていた。会所の畳に小さな水たまりが一つ、平たくなった百匁蝋燭が一本。あちらこちらで酔いつぶれた、身分の高そうな武士たちが転がっているだけであった。
じめじめとした畳の上に、三人の武士たちは胡座をかいて座りなおす。
「小姓を殺めたことがある」
明石殿が重い口を開く。
「あの、小倫という小姓を殺めてしまったのですな。わしも二股かけられたことがあります。一国一城の
そう言い、会津殿がため息をつく。
「あの夜、小倫は若い武士と何やら、いかがわしい事をいたしておったのだ。腹が痛むからと言って、わしとの共寝を断ったくせに。夜中に、よりによってこれ見よがしに、わしの寝室の隣の部屋ぞ。声を殺していても、気配で何をしているかぐらい、わかるわい。馬鹿にしおって」
明石殿が声を荒げる。
「そうでしたか。それは大胆な小姓じゃ。しかし案外、いたずらに明石殿の気を引きたかっただけかもしれませんよ。やきもちを妬かせたかったのではないか。
小姓たちは皆可愛らしい。無垢な目をした純粋で汚れを知らぬ少年たち。わしらを慕い敬い忠義を尽くしてくれる。けなげにも
会津殿が嘆く。
「嫁は所詮、政略で婚姻した者。子をつくるための道具にすぎぬ。せめて一時だけでいい。相思相愛、心から恋しく思ってくれる小姓が欲しいものですな。だが、奴らは人の気も知らないで、二股かけてきますからね。これまで、何度だまされたことか」
肩を震わせ松江殿が悔しげに言う。
殿たちの百物語は蝋燭が消えて
(了)
怪談~傘もつても濡るる身 オボロツキーヨ @riwa
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