怪談~傘もつても濡るる身

オボロツキーヨ

驟雨

 朱夏しゅか彼時かれどき、某会所では山海の珍味や伊丹いたみの銘酒が運び込まれ、宴が催されていた。互いに気心の知れた武士が十人ほど集まっている。ありがたい老僧の法話を聴いた後の無礼講の宴だった。いずれも身分の高そうな武士たちである。


 生暖かい風が会所を吹きぬけて行く。夜もふけた頃、一人の年長の武士が「ちまたで流行っているといふ百物語をしませう」と言い出した。下男たちが二間続きの奥の部屋へ机を運び込む。その上に小坊主たちが燭台しょくだいを所狭しと並べて、蝋燭ろうそくを立て火を灯す。宴の席の行灯あんどんはかたずけられた。槍の穂先のように鋭く尖った蝋燭の炎は、時々奇妙な形にゆらぐ。百本もの蝋燭の火影の饗宴に、ほろ酔いの武士たちは手を打ち喜んだ。


 年長の武士は怪談が得意だと言う。酒も入り上機嫌。くぐもった声で一人語りを続ける。


「闇に浮かぶ怖ろしい幽霊の正体は、なんと、庭木に引っかかった風に揺れる白いふんどし」など、いささか単調。怪談だけでは話の種が足りなくなり、八百屋お七、歌舞伎若衆、遊女の噂話もする。


 やがて、ほとんどの武士は酔いがまわり、怪談話を子守唄に高いびきをかいて眠ってしまった。


 起きている武士たちは通称、明石あかし殿、会津殿、松江殿の三人だけとなった。彼らはあくびを噛みころしながら、半開きの目で睡魔と戦っていた。年長の武士は蠟燭を消し忘れるから、律儀にも彼らは代わる代わる、話しが終わる度に蠟燭を吹き消していく。


 草木も眠る丑三うしみつ時となり、ついに九十九話目が終わる。年長の武士はその場に、ぐったり倒れて寝落ちした。すると突然、頭上から屋根よ砕けよとばかりにばちばちと、けたたましい音がする。冷たい夜風がひゅるるると吹きこむ。百本灯されていた蝋燭も残り一本。一番大きな百匁ひゃくもんめ蝋燭だけとなった。会所には、ぬばたまの闇が広がっていく。

 

驟雨しゅううか」

武士の一人がつぶやいた。


 赤い椿図が描かれたふすまがすーっと開く。襖が生き物のように敷居を滑り、遊んでいる。気ままに開いたり閉じたりをくりかえす。


 身分の高そうな、三人の武士たちは共に四十代。絹の一重の帷子かたびらを着ている。脂がのりきった男盛り。立派な口ひげを生やしていて風格がある。怪異をの当たりにしても動じない様子。眠気からようやく解放され、いよいよこれから起きる怪異を楽しもうと目を輝かせていた。

 

 椿図の襖の怪異がぴたりと止まる。現れるのはどんな恐ろしい幽霊か大入道か物のか。三人は薄暗がりに目をこらして息を飲む。


 襖の向こう側から、幾重にも重なった厚い青雲が立ちこめ、会所内に流れ込んで来る。そして三人の武士の頭上に雨を降らせた。恐るべし怪異のなせる技。冷たい雨が肌を刺す。三人は憮然としてあぐらをかき、濡れねずみとなっていた。


「うう、何やら骨身にしみる冷たい雨だな」

松江殿がその身を震わせる。


「おおお、待ちくたびれた。ようやく幽霊のお出ましか」

会津殿がつぶやいた。


 

 ちろちろと青い炎が燃えて飛び回る。


「ひい、人魂ひとだま

松江殿が隣に座る明石殿の手を握った。


「おお、たくさんの人魂が浮かんでおるわい」

会津殿が手を叩いて喜ぶ。


「ふん、人魂なんぞ、どこにでもおる」

手を握られたまま、明石殿は大あくびをした。


 青い小さな炎が集まり、やがて一つの大きなかたまりとなる。そこに浮かび上がった光景は、静かに襖を開けて部屋へ入って来る、美しく着飾った小姓たちの姿だった。


 小姓たちも雨に濡れている。三十人ほどいる。こちらはたったの三人。あっという間にぐるりと取り囲まれた。会所は小姓で溢れている。皆礼儀正しく、正座して三つ指ついて礼をした後、こちらの様子をじっと伺う。


「おやおや、これはめずらしや。小姓の幽霊とは」

三人は目を見開いた。心なしか鼻の下が伸びて口元に笑みまで浮かべている。


 小姓といえば身だしなみに心を砕く。香を着物に焚き込んでいるものだが、血生臭く不快な匂いが漂ってきた。雨に濡れた色とりどりの刺繍や花模様の入ったの振り袖、小袖、袴、前髪と若衆髷わかしゅうまげからは水が滴り、白玉のように光る。美しくも哀れなその姿に三人は、思わずふところから懐紙かいしを取り出して口と鼻を覆いながらも、陶然と見つめる。


「皆、可愛らしいが幽霊なのだな。死臭が」

会津殿が苦しげにつぶやいた。


 小鳥のさえずりにも似た透きとおる高い声で、小姓の幽霊たちは口々に不穏な呪文ようなものを唱え始める。よくよく聞くと、己が仕えていた殿の悪口を言っていた。城勤めを始めたばかりの幼くあどけない小姓の幽霊がいる。上は十六歳ぐらいまでか。不平不満の声がだんだんと大きくなってくる。三人の武士たちは耳を塞ぐが、それでも聞こえる。


「殿に牢に閉じ込められた」

「殿に切腹を申しつけられた」

「殿に湯殿で乱暴された」

「殿のせいで痔になった」


小姓の幽霊たちは口々に訴える。


「こ、これは、たまらん」

三人は両手で耳を塞ぐ。

 

 

 薄衣うすごろもを纏った一際ひときわ美しい幽霊が前へ進み出て、震えながら正座している三人の頭上に、唐傘からかさをさしかけた。薄衣が雨に濡れて体に張り付き、か細い裸体が透けて見える。髷はほどけて、乱れ髪が頬にかかり、顔は半分隠れている。首と腕から血を流しているが、目のやり場に困るほどの凄艶さをたたえている。


「何やら、全身血まみれの凄いのが出てきたぞ。小姓の幽霊の総大将だな」

そう言うと、松江殿は怯えて明石殿の背にしがみつく。


「わたしの名は小倫こりん。十五の時に城内で殿の手にかかり殺された。後ろから長刀なぎなたで左右の腕を切り落とされた後、首を落とされました。皆の前でなぶり殺し。つらく苦しかった。殿を心からお慕いしていたのに」

顔が青く浮かび上がり、憎悪に満ちた目が光る。


「酷い、なんという悪い殿だろう」

小姓たちは口々に叫ぶ。

「我らは、この世に恨みを残して死んだ小姓の幽霊だ」


 小倫の横には、手に百匁蝋燭を持った幼い小姓の幽霊がひかえていた。


「殿、冷えたお体を温めて差し上げます」

そう言いながら、三人の青々と剃り上げられた月代さかやきに、ぽとりぽとりと蝋を垂らす。


「あ、熱い。無礼者、何をする」

三人は思わず声をあげて、着物のたもとではたく。


「わたしは毎夜、殿から蝋燭責めにあいました」


小姓の霊があどけない笑みを浮かべるので、三人はぞくりとして、亀のように首を縮める。


「小倫殿も仕置をしてはいかがか」

小姓たちがはやし立てる。


 

 小輪は目を伏せうなずく。赤い唇を歪めて唐傘を閉じた。頭を抱えて丸くうずくまる三人の背や腰を唐傘で、びしばしと打ち始める。


「ひいいい、たすけてくれ」

会津殿と松江殿が悲鳴をあげる。


最も激しく唐傘で打たれながら耐えていた明石殿が、低い声でぼそりと言う。

二股ふたまたかけたであろう」


その刹那せつな、冷たく響く呪文の声と血なま臭い匂いがふっと消えた。


 三人が恐る恐る顔を上げると、東の空が白みはじめていた。会所の畳に小さな水たまりが一つ、平たくなった百匁蝋燭が一本。あちらこちらで酔いつぶれた、身分の高そうな武士たちが転がっているだけであった。


 

 じめじめとした畳の上に、三人の武士たちは胡座をかいて座りなおす。


「小姓を殺めたことがある」

明石殿が重い口を開く。


「あの、小倫という小姓を殺めてしまったのですな。わしも二股かけられたことがあります。一国一城のあるじというのは孤独なものだ。小姓はどんなに可愛がってもわしらを恋いの相手と認めてくれぬ。まことにに心が通じ合うことはない。兄分を持ちたがり、若い武士になびく」

そう言い、会津殿がため息をつく。


「あの夜、小倫は若い武士と何やら、いかがわしい事をいたしておったのだ。腹が痛むからと言って、わしとの共寝を断ったくせに。夜中に、よりによってこれ見よがしに、わしの寝室の隣の部屋ぞ。声を殺していても、気配で何をしているかぐらい、わかるわい。馬鹿にしおって」

明石殿が声を荒げる。


「そうでしたか。それは大胆な小姓じゃ。しかし案外、いたずらに明石殿の気を引きたかっただけかもしれませんよ。やきもちを妬かせたかったのではないか。

 小姓たちは皆可愛らしい。無垢な目をした純粋で汚れを知らぬ少年たち。わしらを慕い敬い忠義を尽くしてくれる。けなげにもとこの相手をしてくれる者もいる。だが、それは決してわしらのことが好きなわけではない。わしらの権力が好きなだけ。取り入って一族のために出世しようと必死なのだ。そして、小姓たちは兄分を持っていて、それはわしらよりも若い男。悔しいことに、いつも二股かけられている」

会津殿が嘆く。


「嫁は所詮、政略で婚姻した者。子をつくるための道具にすぎぬ。せめて一時だけでいい。相思相愛、心から恋しく思ってくれる小姓が欲しいものですな。だが、奴らは人の気も知らないで、二股かけてきますからね。これまで、何度だまされたことか」

肩を震わせ松江殿が悔しげに言う。


殿たちの百物語は蝋燭が消えて明鳥あけがらすが鳴いても、まだまだつづく。

                                 (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪談~傘もつても濡るる身 オボロツキーヨ @riwa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ