46本目のカートリッジ

惣山沙樹

46本目のカートリッジ

 そうして人類は永遠の眠りについた。


 こんな終わり方でいいだろう、と、この惑星に取り残された僕は、万年筆を放り投げた。

 わざわざ紙で「人類の終わり方」を記したのは、できるだけ長く手記が残るように。

 もしかすると、他の知性ある生命体が、ここを探索しに来るかもしれない。そんな未来を夢想してのことだった。

 さて、僕は確かに人類の仲間ではあるけれど、脳以外は全てが人工物。手記を書き上げてしまった以上、もう生きている必要も無いのだけれど、どうしても死へのおそれが拭えなかった。


「さて、これからどうしようか?」


 傍らに居た、いかにもコスプレめいたメイド服を着せた「彼女」に、僕は話しかけた。


「お仕事を終えられたのでしたら、わたくし共々、もう機能を停止すべきではないでしょうか」


 彼女の名前はイブという。僕がつけた。宗教のことはよく分からないけど、人類史上初めての女性の名前がそうらしいから、イブと呼ぶことにした。もちろん皮肉だ。


「そうだよねぇ。でも、イブはともかく僕はこわいんだよ、脳みそは人間だからさ」

「それはご自身も予見されておりましたでしょう? 早く安楽死の措置を取られればいいのに。準備は全て整えてらっしゃるんでしょう?」

「もうちょっと優しい言い方できない?」

「教育したのはあなたです」


 僕はカリカリと頬を書いた。人類としての外見は保っているのだ。自由に選べたから、顔はできるだけ美形にしてもらった。カラスの羽のような髪と瞳、長く伸びたまつ毛。生まれたのは日本だったから、そういう容姿にはしてもらっていた。

 対するイブは、白銀の長髪をツインテールにしている。瞳は金色。身体つきは白く、なんとも肉感的。それから安っぽいメイド服を彼女に着せたのは、完全に僕の趣味。

 だって、選べなかったんだもの。こうして最後まで残るかどうかということを。だから、自分や傍に置く機械の見た目くらい、好きにしてもいいだろう?


「こんなんだったら、もっと可愛らしい性格にしとくんだった」

「おあいにく様です」


 イブの性格を今からいじるのも面倒だし、と僕は椅子から立ち上がった。

 今居るのは、地中深くのシェルターの中。内装は、平成頃の日本家屋風にしている。昔の日本人たちが「書斎」と呼んでいたような雰囲気を作ってもらった。

 手記を書くための机は、原稿用紙を広げても十分な大きさだ。万年筆はカートリッジインキだけを使っていたから、インク壺を置く場所なんて要らなかったけど、マグカップを置ける余裕があるのは有り難かった。

 僕はカーペットに投げつけてしまった万年筆を拾い、机に置くと、イブに言った。


「コーヒーのおかわり持ってきて」

「承知いたしました」


 イブが出ていった後、僕はぐるぐると部屋の中を歩き始めた。

 手記を書く机と椅子は、イブの出ていったドアの方を向いていて、僕は「月夜」を背にして執筆をしていたのだった。

 その月夜というのは、もちろんディスプレイだ。それを窓に見立て、深い緑色のカーテンを設え、全開にして、月夜の晩に仕事をしている風に整えていたのだ。

 窓を向いたとき、右になる方向には、壁いっぱいに紙の本が敷き詰められた本棚があった。それらはほとんど読んだことがない。ただの飾りだ。


「結局、人類は月に住めなかった……」


 僕は頭の中もぐるぐると巡らせた。あそこの本棚には、確かアポロ計画に関する伝記か何かもあったはず。到達はできても移住までは叶わなかった、それが月という存在だった。

 当然、この僕も月には思い入れがある。そこへ住もうとして頓挫して、結局人類皆で各々安楽死を選んだ、そんな人類の手記を書いたのだから。


「お持ちしました」


 イブが持ってきたのは、コーヒーではなかった。そういう香りをつけられた色水だ。僕の身体には五感はあるけれど、食事を取る必要はもはや無いし、固形物を通せるようにはできていなかった。


「ありがとう」


 それでも僕とイブは、それをコーヒーと呼んでいた。僕は椅子に座り直し、ゆっくりのんびりと味わった。


「あれ? これ、いつものじゃない……」

「そうです。手記を書き終えられたときに飲む、と仰った特別なコーヒーですもの」


 そういえば、そうだった。仕事が全て終わった後の一杯はこれにしてほしい、そうイブに命じていたのは僕だった。


「これを飲めば潔く死ねると思ったんだけどね」

「あのう、綴じる作業をお願いしますね。わたくし、そこまでは」

「はいはい、分かってる。ったく、なんでこんな面倒なことを決めたんだったか」


 決めたのは僕である。手記が何枚に渡るかまるで分からなかったから、クラシックな原稿用紙を使い、書き終えたら紐で綴じよう、そう判断したのは……うん、やっぱり僕だった。

 こんな「人類の滅亡史」を書かせるくらいだもの。僕の身体はとびきり上等なパーツを与えられており、だからこそこうしてコーヒーを味わえるような機能もついているんだが、脳の方は気持ちの上では二十代のまま。外部メモリに接続しているとはいえ、そちらに繋がないと思い出せないもの、つまりは「物忘れ」も度々起こる。

 僕はイブに言われた通り、書き終えた原稿をしっかりと製本した。これが見つかる未来があろうが無かろうが、それを知る頃にはどのみち僕の意識は無い。だから正直、この本の行方はどうでも良かった。


「仕事中さ、本当に気持ちが沈むことも多くてね。面倒だし孤独だししんどいし。終わったらこれがやりたい、あれがやりたい、と色々考えていたんだけどね?」


 イブに向かって、僕は話しかけ始めたが、それは思考を整理するためわざわざ音声に出しただけと彼女も判断したので、頷くだけだった。それで良かった。


「いざ終わると、全部どうでも良くなっちゃって。どのみち、こんな地下シェルターでできることなんてたかが知れてるだろう? イブ、君は何か思いつく?」


 質問をすると、イブは少し間を置いて、こう切り出した。


「映画はいかがですか?」

「なるほどねぇ……」


 さすが、賢い僕の機械。僕がこんな身体になる前の趣味をよく把握している。


「月が出てこないやつにしよう、もう飽き飽きだ」

「承知しました。では、シアタールームへお連れしますね」


 シアタールーム、だなんて大仰な名前をつけてしまったのだが、その実、50インチほどのテレビとソファが置いてあるだけの部屋だ。音響設備なんかも特に整えていない。

 僕はそれから、イブに勧められた、月が出てこない映画をたくさん観た。それでもまだ、死ぬ気が起こらなかった。

 いわゆる、泣ける映画、というジャンルもいくつか観た。それでも、感情に応じて涙が出てくるような機能は僕についていなかったし、泣きたいような気持ちも起こらなかった。10本目が終わったとき、もう終わりにする、とイブに告げた。


「寝室に行くよ。ああ、生命維持装置を切るという意味じゃないからね?」

「承知したしました」


 僕は一人、寝室のベッドにもぐりこんだ。ここの部屋だけは、妙な感傷ばかりを詰め込んでいる。つまり、僕の子供部屋の再現だ。ベッドシーツは紺色で、白い星の柄が散りばめられており、僕が実際に遊んでいた玩具も並べられている。ここにイブを通すことは滅多にない。

 なぜ僕が、人類の滅亡史を書かされる羽目になったのかというと、一つの理由が、元々の字がキレイだからだったからだ。僕は十代の頃に手首を失い、字を書くという趣味を奪われたが、その後、装具での筆記に関する研究に参加する機会を得て、人工の手でありながら本来の字を書くことが叶うようになった。

 まさか、そのせいでこんな運命になるとは、思いもよらなかったけどね。

 あれから、たくさんの肉親や友人を見送り、人類全てまでそうする羽目になった。彼らにとって、僕は「希望」なのだろう。だからこの計画には「ノゾム・プロジェクト」という名前がつけられた。僕自身は気に入っていない。そんなこと、もはやどうでも良いか……。


 僕は意識を手放していた。人工の身体にはなったが、脳を休めるため、何日かに一度は眠る必要があった。そして、夢を見た。

 夢の中で僕は、煌々と照らされた月明りの下に居た。夜桜がハラハラと舞っており、僕は公園のベンチのようなところで誰かを待っていた。


「遅れてごめんなさい」


 そう言ったイブは、メイド服では無く、白いニットと濃いブルーのデニムを履き、足元は黒いパンプスだった。ツインテールはそのままだ。その髪型でなければ、彼女とは判らなかっただろう。

 夢の中で僕は、それを夢とは認識していなかった。


「遅れたのは僕の方だよね?」

「そうだったね。ほら見て、お月様。こちらに飛び込んできそうなくらい大きい……」


 僕は空を見上げ、焼いている途中のパンケーキのように、ぷつぷつとしたデコボコがあるそれを眺めた。確かに大きい。でも、降って来られても困る。


「地下シェルターに行こうか?」

「いいえ、このまま月に押しつぶされて二人とも死にましょうよ」


 その時の僕は、何とも魅力的な提案だと思ってしまった。だからそのまま、月を見上げ続け……そこで目が覚めた。


「イブ、今すぐ来て」


 僕が呼びかけると、イブは僕のベッドのわきにやってきた。僕は寝転んだまま、さっきの夢の話をした。


「ねえ、夢の中で君が着ていた服って、現実にはあるの?」

「……ありますよ。標準服でしたから」


 イブは元々、量産型の機械人形だ。その外見と中身をいじくり、僕専用にカスタマイズしたのだが、基本となる「接遇用アンドロイド」はひとまずそれを着せられていたようなのだった。


「ねえ、それに着替えてきてよ。そうすれば決心がつくかもしれない」

「承知いたしました」


 僕はベッドに横たわったまま、イブを待った。しばらくして、望み通りの姿で彼女は現れた。


「お待たせいたしました」

「靴、脱いでさ。僕の隣に来てよ。手を繋ごう」


 イブはそうした。そして、そうすることで、僕が今から何をしようとしているのか、正しく理解していた。


「そういえばさ……万年筆のカートリッジ、何本使ったか分かる?」

「46本です」

「ダラダラ書きすぎたね。まだ残りがあったけど、もういいや。イブへのラブレターでも書こうかと思ったけど、やめた。こうして最後まで一緒に居てくれてありがとうね……」

「こちらこそ、ありがとうございました」


 そうして僕たちは永遠の眠りについた。

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46本目のカートリッジ 惣山沙樹 @saki-souyama

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