ぜんぶおれのせい。

ヤナセ

いや、ほんとうにそれは、おれのせいなのか?

 

「いや、おまえ人の話聞けよ」

 クソ暑い街路から避難してきたコーヒーショップで、おれはガシャガシャと甘いアイスオレをかき混ぜる。

「いやそもそもボクの話聞いてなかったのアンタでしょ、徹サン」

 この暑いのにホットコーヒーを頼んだ目の前の男が使われていないスプーンをつまんでこっちを指す。それを指でちょいと避けて、おれはストローを咥えた。

「したか?その話ほんとにおれにしたか?」

「したよ多分…」

「多分かよ!!」

 いやこいつ、要とつるんでいるとこういうやりとりは日常茶飯なのだが。

「おれ巻き込むときは早めに知らせろつってんよな?」

「だから言ったじゃん…多分」

「たぶんて」

 

 社畜やってて心身壊したおれは現在、やや長い夏休みを満喫中だ。ニートいうな、自分の金だからな。元職場からむしった残業手当がまあまああったのと、使う暇もなかった給料と、傷病手当損害賠償の精算の残りに、あとはついでに浮気発覚した元嫁からの慰謝料がわりのマンションの部屋と家具…やめよっかこの話。あとはたまたま持ってた株の運用益がちょびっと、とりあえず無趣味のおれと猫1匹くらいならもうしばらくなんとかなるかなという。

 そのもろもろの手続きをしてくれた知り合いの弁護士んとこに出入りしてたのがこの要で、以来妙に面倒見がよくて昼間は暇してるこいつとつるんでいる。まあ、おれの方が圧倒的に暇なんだが。

 で、この要が「手が要る」と言っておれにときどき声をかけてくるのだ。

 要は所謂夜職のゲイってやつで、『必要な用がある』ときにおれに声をかけてくるわけ。

 で、交渉ごとに黙って着いて行って、要がまくし立てるのを黙って聞いてるとか、団体でテーマパークにでかけてって要の知り合いの誰だかと一緒に写真におさまるとか、ダークスーツ着て葬式に知らない団体名の香典持参するとか、なんかその『おおむね黙ってそこにいると相手がいい感じに誤解してくれる、まともそうな社会人の役割』をこなして薄謝とかタダ飯とかたかってるのが、おれの最近の暇つぶし。いずれくる社会復帰に備えたリハビリ、みたいな。

 まあ、それはいい。問題は今回の案件だ。

 ちょっと前にストーカー対策で一般男客の顔して店に居てくれないかという話があって、暫くノートパソコンやらなんか片手に通ってたことがあるのだが、その店が今度はネットに悪評とか不穏なコメントつきで晒されているのだという。で、相談された要は二つ返事でじゃあこないだのアイツ、つまりおれを連れて行くね、とこうだ。まあおれはいいけど。ひまだし。

「いいじゃん、ボクと違って徹サンひまでしょ」

 おう暇だとも。おれは目下エブリデイホリデーだ。

 しかし他人に言われると否定したくなる。


 要の車で連れてこられたのは、住宅街の片隅、いかにも女性オーナーの趣味を押し出しましたという感じのカフェだった。前通っていた頃よりほどよく庭の草木が伸びて、新店舗ぽさが和らいでいる。

「佐々木さんからもいつでも呼んでって言われてるんだけど、あの人呼ぶのはまあ最後の手段になるからさ。忙しそうだし」

 共通の知人である弁護士の名前を挙げられて、おれは頷いた。めちゃくちゃ頭の回る有能な男で、スペックだけみたらなんでおれや要と知り合いなのかわからんような人だ。あの人が事情把握してるなら諸々大丈夫だろう。

「なんで、徹サンはとにかく黙って居てくれればいいから」

「おう」

 要が先に立ってドアを押すと、コロロンコロロンと店に相応しく優しく洒落たベルが鳴る。前にも顔を合わせた優しそうな女性、確かオーナーさん。ユウさんとか言った、要の顔を見て親しげに微笑み、つぎにおれにも気づいた。やや硬い声で、「おひとりさま2組ですね」と言う。なるほど。要は入り口近い席に案内され、おれは奥のカウンターに座らされた。前もここだったから半分定位置だ。店の入り口を含む全体がよく見える、逆に言うと店の中のどこからでもよくみられる席。前と同じようにコーヒーと焼き菓子のセットを頼んで、時間潰しのために持ってきたノートパソコンを開いた。客の入りはボチボチで、聞いていたより平和なものだ。

 平和なはずだった。


「お前かアアアアア!!!!お前がユウさんのおあああああ!!!!!」

 ドアベルののどかな音をかき消す勢いで絶叫。夏のもんわりした外気が遅れてこちらにぶつかった。そのときおれはバッテリーが終わりかけたノーパソを閉じ、おかわりのアイスオレにシロップをしっかり入れたところだったが、声の方を見ると、ふわふわと可愛らしい黒のワンピースを着た女の子がこっちをギッと睨んでいる。

 え、こっち?おれ???

 ユウさん…オーナーさん、も他のスタッフも視界の端で棒立ちになっている。要は…さっきなんか出てったんだっけ。間が悪いな。

「お前だろおおおおおおおお!!!」

 はい?と思う間も無く女の子は肩から提げてたエナメルの黒いバッグを両手で掴んで振りかざし、こっちに突っ込んできた。咄嗟にスツール蹴って退くと、手元を誤ったバッグが派手にアイスオレのグラスを吹き飛ばす。

「いや何」

 妙に落ち着いた声が出てしまった。

「見ればわかるんだよオオオオ!!全部お前のせいなんだアアアアア!!!」

 顔に似合わぬ絶叫とともにカバンがふりまわされ、あ、と思う間も無くおれのノーパソも吹っ飛んだ。なにこれ。

 いや、なんだこれ。

『あなたのせいなんだから!あなたがそんなだから!あなたのせいで私浮気しちゃったんだから!!!』

『お前のせいだぞ!!お前がそうやって実績あげるから俺が!!!!俺の立場がなあ!!!』

 いいかげんにしろよ。

(どいつもこいつも勝手なことを。おれはただここにいるだけなのに)

 スツール挟んで数歩後退り、おれは女の子の振り回すバッグを掴んでそれごと床に引き倒した。人に殴りかかったことなど生涯で何度もないだろう女の子はそれで急に全身の力が抜けたようで、今度はふぎゃあアアアアアとあかんぼみたいに泣き始める。店のスタッフがそれでようやくやってきて,女の子を奥へ引っ張っていく。ユウさんは他のお客さんたちに「すみません、お代はいいですから」などと謝りながら退店を促していた。

「なんだったのあれ…」

 思わず独り言。

 元嫁とか元上司みたいな、よくわからん八つ当たりの仕方する女の子だったな。アレが件のネット嫌がらせの犯人なんだろうか。まだ若いのになあ。壊れたかもしれないノーパソを拾い上げようとした時、優しいドアベルの音がした。

「お前かよ」

 一瞬身構えたが、要だ。

「あれ、もしかしてボク出遅れた?」

「おう。今奥でスタッフが話聞いてる。てか、若い女の子だったぞ」

 実は前日、新しい書き込みがあったらしく、今日くらいやらかし本人が押しかけてくるのではないかとさっきLINEでぽちぽち打ち合わせしていたところだったのだ。しかし佐々木さんからの情報じゃ男なんじゃないかって話だったんだけど…。

「へえ?」

 呑気な様子で、要が元の席に座った。ユウさんは店の外でまだお客さんに頭を下げている。

「佐々木さんカキコミ開示したんじゃなかったのかな。あそこがヘマ踏むの珍しい」

「知らねえよ」

「にしてもえらく暴れたねえ。過剰防衛してない?徹さん何気に空手やってんだっけ」

「合気道だよ。てかそれ学生ん時だわ」

 改めてノーパソを拾おうとした時,またドアベルがやかましく鳴った。入り口にでかい男が仁王立ちになっている。ユウさんが必死に腕を引いて止めようとしてるが。

「貴様がそうかアアアアアアアア!!!!」

「いや何…」

「どうみてもそうだ!お前だな!!!何故だ!!!」

 いやほんと、これはなんだよ。

『あなたをみてたら私は悪くないんだって…浮気だってあなたのせいなんだって思えて…うううう…』

『お前みてたら俺は…腹が立って…落ち着いてみたらお前何一つ関係ないのに…なんでだ…』

 過去の理不尽な言われようが目の前の男とかぶった。

「いや俺が聞きてえよ」

 頭の中は混乱しているのに、やっぱり冷静に突っ込んでしまう。誰か説明してほしい。おれに。

「うわああああああ」

 ユウさん振り切って突っ込んできた大男の進路から逃れようとステップ踏んだら、男も方向転換しようとしておれのノーパソ踏んで勝手にすっ転んでいや待ってノーパソ待って。中古だけどまだ使用になんの不満もないおれのノーパソ待って。

「ありゃー」

 要が呑気な声をあげた。男は派手にどこか打ったみたいでうんうん唸ってる。

「なんだこれ…」

 おれが思わずぼやいた次の瞬間、

「貴方なんてねえ!貴方なんてねえ!ユウさんが貴方なんか頼りにするからアアアアア!!!」

 奥のドアからさっきと違う女の子が飛び出してきた、え、あっスタッフさんじゃん、ってなんで???

「いやだから何」

『あなたのせいよ』

『お前のせいだ』

『わかってくれると思ってた』

「貴方がなんとかしなさいよオオオオ!!!」

 いいかげんにしろ。

 突っ込んでくる女の子の手元に銀色の何かを見て、俺は慌てて椅子を盾にする。立ち上がる要、戸口で棒立ちのユウさん、突っ込んでくるスタッフさん、そこによろよろと立ち上がりかける大男が足をもつれさせて再びおれのノーパソ踏んでぶっ倒れ、はずみでスタッフさんに横からぶつかりその手から銀色の何かがふっとんだ。………フォーク???

 外からパトカーのサイレンが近づいてきた。誰かが呼んだんだろうがナイスタイミング。スタッフさんもそれ聞いて急に我に帰ったみたいで、大男と共にへなへなと床に座り込んだ。


「一件落着、なのかこれ」

 要がどこからか掃除道具を持ち出してきたので割れたグラスやなんかを二人で片付ける。さっき佐々木さんと事務所の人たちも来て、ユウさんも警察やら病院やら回ると言ってスタッフ帰らせたからしばらくおれたちがここで留守番だ。

「たぶんね。ネットの書き込みは1人のやらかしってのは調べついてたし…の割にはまたたくさん出てきたなって感じだけど」

「どういう書き込みだったんだ」

「オーナーが最近冷たい、おかしい、なにかあったにちがいない、みたいな。俺がみたのはそれだけだけど、口コミサイトの方には悪い奴に騙されてるだのなんだの…」

「悪い奴、って俺?」

「それが書き込み時期は徹さんに頼んでた来店期間とぜんぜんまったく合わないんだよねえ。さっきのスタッフさんも最近雇ったってことだからまあ根拠のない思い込みなんじゃないかなあ」

「わけがわからんな」

「まあそんなもんだよ」

 どいつもこいつも、なんでも他人のせいにするもんだなあ。そうぼやくと、要が変な顔をした。

「でもまた徹サンのお手柄だよね」

「おれは何もしてないが」

「…そうだよ」

 要は何やら意味深に笑うと、「あ、そこまだガラス」と床を指した。片付けるためにテーブルをずらしたせいでぽっかり空いた空間をもう一度モップでぬぐう。

「徹サンはなんにもしなくていいんだから」

「わけわからん」

「つまりは適材適所だよ。また、頼まれてよね」

「まあいいけど」

 ノーパソはまあまあ使い古しの安物だけど、修理代くらいは貰えるだろうか?べこべこになった命の恩人のようなものを拾い上げると、「そっちは佐々木さんと相談だね」要がなんでもないことのように言う。

 とりあえずノーパソはそのままビニル袋に入れ、グラスの割れ物は片付け終わった。掃除のためにテーブルに上げていた椅子をひとつ下ろして座る。

「おれじゃなくても頼む相手くらい、いくらでもいるだろ、要。おまえなら」

「それはそうだけどさ」

 同じく椅子にかけた要が、モップをエアギターみたいに構えながら笑った。そっち界隈のことはよくわからんが、こういうのが似合う要はモテるんだろうな、とふと思う。

「徹サンはただそうやって黙ってそこにいるだけでいいから、ボクにはそれで良いんだよ。ね」

 …要がいつものようにそう言うものだから、おれもいつものように、それ以上追求するのをやめた。

 だって、とにかく要はおれのせいとかおれになにかしろみたいなことを言わないからな。それが今のおれには大事なことなんだ。いまは。

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ぜんぶおれのせい。 ヤナセ @Mofkichi

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