白い背中を押したのは
高黄森哉
私
めまいがして、気が付いたらマンションの階段にいる。日々の疲れたから、記憶が
長方形に切り抜かれた空は、真っ青で暗い。雲が太陽を覆っているからか。どれだけ晴れていようが、一つでも雲があれば、全ては日陰に落ちるのだ。夏の昼間は、人生の模型。世界は日陰に包まれている。
跳ぼうと思った。階段の踊り場の、腰ほどの壁を乗り越えて、真っ白い鳩のようにお空を飛行しよう。何も書いていない、白紙の紙飛行機のように、宙を散歩しよう。階段の影から、光の方へ逃げ出したら愉快だろう。そうだろう。そうに違いない。
人はどこにも行けない。籠の中の雪のような文鳥のように。私は真夏の雪だるまで消えてしまいそう、なのに、そうはいかない。様々なしがらみが、ブレーキをかける。そして、タイヤは白煙を上げる。
階段を登ると、踊り場になる。踊り場から見えるのは、あの日、入院した病院の景色に似ている。そして、真っ白な校舎のそれみたいだ。平和で退屈な、いつか終わる日々の写し。
忘れられない、黒板に書かれた白い『さよなら』の文字。レーンに、プリントで作った折り鶴を、そっと添えた。『みんなありがとう』、書き終えると、指先が白くなった。また、指先は、血が通っていないように、白かった。
オフホワイトの手摺に近づくと、
手を引かれるように手摺の上に立った。下界を見る姿は、晴れの日のテルテル坊主だ。下には、白い車が二台止まっている。急に怖くなった。その二台の間の白線に沢山の私が死んでいた。彼女の白い服は、真っ赤に汚れていた。
背中を手の平で強く押される。私は白猫のように捻り、誰が押したか確認しようとしたが、その時にはすでに、手摺の奥は、見えない位置であった。もう後戻りできない空中にいる。目の前が真っ白になった。
真っ逆さまに落下する。私を押したのは誰だ、いや、何だ。入道雲が逆さまに立ち上る逆三角。それは、モデルの撮影で使う、白い布のように鮮烈である。強烈なフラッシュが瞬き、襲う。
私は、モデルとして立たされている。白い肌を晒しながら食べる糧を得る。誰からも、白い目で見られながらフラッシュを焚かれる。豚だ。遠くから、そう思った。だんだんと過去が白んでいく。
私を押したのは世の中だ。世の中が白波を立てて襲った。私の後ろには、形にならない世の中がいて、私の背中を押したはずだ。泡立った思考が浮遊した。それは、真っ白に軽薄だった。だって、ありがちで、普通だ。
それで、心を埋めたのは空白だった。毎日の空虚さと同質。どれだけ捲ろうが、ページには何も書かれていない白紙。最初は、これが演出なのかと思った。しかし、ずっとそうなのである。気がふれそうになっていた。
ガン、と痛かった。割れそうな痛み。白磁器が割れると、漏れ出した液体。上に咲く、百合を維持する大切な水。………… を失って急速に花はしぼんでいく。空は青く、まばらに雲がさしている。
直ぐに浮く感覚がした。足元に自分がいる。足元の自分が私の肉体から離れていく。白いワンピースが宙で風になびく。これから、天国を目指すらしい。あはは、他人事だ。だんだんと昇っていく。白い風船のような召天。
踊り場。私が落ちた踊り場。そこには、私がいる。青白く、暗い顔をしている。後ろにも、私がいる。そうか、私が私を押したのだ。その私は、私を押す。私は墜ちていく。私は踊り場にて記憶をまっさらにする。
私が背中を押した。世間に責任を転嫁してしまった。ちゃんと、私と向き合えばよかった。私は、私に恨まれていることに気が付かず、遂に過去の私に殺されたのだ。どうして、私の悩みを無視するの、と。
ぴしゃ、と、私の足元で私が死ぬ。私が肉体から離脱して、今の私を追いかける。頭上を見ると過去の私が、私を見下している。私は私を押し、手摺から私が落ちる。私は、私を押してすぐ、記憶をなくす。私が昇っていくのを見て、私も飛べると信じ、手摺に乗る。その後ろで、過去の私が控えている。その私は、私を押す。ガン、ぴしゃり。音は遠く、積もりに積もった死体の山は点になっていく。私が一列になって空へ向かっていく。
白い背中を押したのは 高黄森哉 @kamikawa2001
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