あなたの望む記憶、創ります。

夏希纏

あなたの望む記憶、創ります。

 どんな記憶でも、その人が望むものならば捏造する。それが私、夢屋ゆめや響子きょうこの仕事だった。


 とはいっても代々の家業で、トラブルを避けるためにお金は取らないから仕事と言えるのかはわからないが。


 いつものように高校から帰り、私服に着替える。『望む記憶を作る』という仕事の性質上、恨まれることは少ないものの念には念を押し、通っている学校名はバレないようにしているのだ。


「……はぁ」


 仕事専用の和室へ向かう足取りは重い。途方もない広さの日本家屋を歩く。


 客の大抵は金に物を言わせて夢屋にアクセスできただけの成金だ。そういったやつは、自分の暗い過去を消して、人生のすべてを幸せな記憶で満たしてくれと言う。整形したキャバクラ嬢が『元からこの顔だったことにしてくれ』と言うこともあったか。


 何だか自分が薬物の代わりとして存在しているようで、満足そうに帰ってゆく客を見ることすら辛くなる。たまに客の自殺報道が流れることもあるから、副作用も含めて私の存在は薬物じみている。


 コンプレックスがまやかしの記憶で消えることなんて、ほとんど起こらない。もし起こったら、夢屋の仕事内容にアクセスする以上の奇跡である。


 しかし私はやらなければいけない。それが夢屋に生まれた人間の役目なのだから。


「お待たせいたしました。本日記憶の改竄を行わせていただく、夢屋《》きょうと申します。宇納うのうれん様でお間違いありませんでしょうか」


 響は『夢屋の仕事』で用いる偽名だ。シンプルだが、それゆえ本名と間違ってしまうこともないので便利である。

 座布団に座りうなだれたまま頷いた宇納さんに、私は口を開く。


「これから宇納様が望む記憶を創るため、簡単な質問を行います。答えたくなければ言わなくても結構ですが、情報量が不足しすぎた場合には記憶改竄を行うことが不可能となります。その場合は、すぐに席を立っていただいても結構です」


 感情が見えないように、まるですべてを叶えてくれる人形のように淡々と話す。


 人が望む『こうだったらいいのにな』という記憶は計り知れない。何も言わなかったら依頼主のうちなる願望まで具現化してしまうため、改竄する記憶の範囲を設定する必要がある。


 それゆえ、簡単なカウンセリングをしなければならない。人によっては記憶を改変しに来たはずなのに、私に言うのははばかられたのか、何も言わず帰ってしまう人も存在する。


 この人も、そうなのだろうか。


 黙っている宇納さんに、私は猜疑心を抱く。そうならば帰ってもらったほうがいいのに。この仕事が終わればゲームすることができるのだ。


 ご希望には添えませんでしたか? 呼びかけようとしたとき、

「恋人との記憶を、ひどいものにしてほしいのです」

 宇納さんがつぶやいた。


 彼の目はまっすぐに私のほうを見据えており、充血していることからさっきまで泣いていたことがわかる。冗談ではないことがわかったが、今まで聞いたことがない依頼だ。


 興味と情報量の心許なさが合わさって、つい「どうしてそのような願いを?」と問うてしまった。宇納さんはぽつりぽつりと、涙をこぼしながら恋人との記憶を話し始める。


「大学2年の春、僕は高校生のころから片想いしていたひいらぎ美鈴みすずという人に告白しました。すごく綺麗な人で性格もよく、当然人気があったので心配だったのですが、受け入れてもらえたのです」


 宇納さんは穏やかな声で言い、ふっと薄く笑みを浮かべた。そのころの幸せな記憶を思い出しているのだろう。


 そんな、心が凪ぐような記憶なんて珍しい。しかしそれよりも、その名前に聞き覚えがあることに引っかかる。


 以前夢屋に訪れたことがあったっけ? 不思議に思いつつも相槌を打ち、宇納さんの話をうながした。


 宇納さんの口から紡がれるのは、聞いている私の心も温まるような思い出の数々。


 バイトの給料日の前日、公園で散歩をするだけのデートをしたり。夏祭りでひとつの林檎飴をふたりで食べあったり。試験に落ちたときには優しく慰めてくれたり。不意にキスされたり。


 こういった恋愛ができたならば、さぞ幸せだろうと口角が上がる。しかし宇納さんは突然、ぐしゃりと顔を歪ませた。


「そうやって日々を過ごしながら付き合って半年が過ぎたとき、ちょうど僕の誕生日がありました。……それなのに」


 幸せの前振りのような言葉なのに、表情と『夢屋ここに来ている』という状況がそれを不穏なものに変える。


「美鈴は僕のプレゼントを買った直後、無差別殺人事件に巻き込まれ亡くなりました」


 ひゅっと、息を飲み込んだ。その事件ならば私も知っている。何しろ10人以上の犠牲者を出した事件だ、連日全国ニュースで報道されていた。


 最近は報道もおさまりつつあるが、裁判などが進めばまた全国で報道がされる。日本に住んでいる人ならば必ず知っているような事件だ。


 事件を聞いて、やっと名前に聞き覚えがある原因に思い至る。ひときわ容姿と評判がよく、かつ名門大学生という頭脳を持つ、いわば才色兼備な柊美鈴さんが被害者代表のように語られていたのだ。


 こんな将来有望な人があんなひどい人に殺されるなんて、とインタビューに答える目撃者の様子を思い出す。


「美鈴の手には俺へのプレゼント……時計が握られていました。美鈴からもらったそれを見るのは嬉しいのですが、彼女の優しさを思い出すたびに辛くなるんです。俺と一緒にいればこんなことにはならなかったんじゃないか、俺さえいなければ、美鈴はあんな場所にいなかったんじゃないか、俺がプレゼントはいらないと言っていたら、こんなことには──っ!」


 感情を吐き出すように宇納さんは言い、前のめりになる。涙を流しながら語気を荒げる様子に驚き、私は動くことすらもできなかった。


「こんなことばかり考えて、もう何も手につかないのです。……だから美鈴との楽しかった思い出をすべて消して、ひどいものにしてほしいです。美鈴が死んでくれてよかったと思えるような記憶を、どうか作ってください……」


 切実な声に、胸が締め付けられる。宇納さんはうなだれて、記憶と現実の差に押し潰されようとしていた。


 捏造した記憶をまた変えるできるものの、本人の希望している記憶になるので、基本元通りになることはない。


「美鈴さんの笑顔を覚えている人が、ひとり減ってしまいますよ?」

「……そう、ですよね」


 私の仕事は客が望む記憶を創ること。しかしこの仕事内容は、あまりにも残酷な気がした。

 口をついて出た問いに、宇納さんは逡巡しているようだった。変えようか、変えまいか。


 10秒ほど沈黙が続いたとき、宇納さんは結論を出し、

「やってください」

 と答えた。ここまで確認したのだ、私はもうやるしかない。


 手を伸ばし宇納さんの頭に当て、目を閉じる。そうすると宇納さんの記憶が眼前に溢れ出る。そのなかから美鈴さんとの記憶に触れ──られない。


 目を開けて、混乱している様子の宇納さんへ話しかけた。恋人との記憶が失われていないのに、私が目を開けたからだろう。


「宇納さん。夢屋の仕事は『その人の望む記憶へ書き換える』というものです。それはご理解いただいていますよね?」

「え、ええ」


 宇納さんは私の言葉に何か気がついた様子で、ハッと目を見開いていた。私は続けて言う。


「宇納さんは美鈴さんの記憶を書き換えることを、本心では望んでいなかったようです。よって、記憶を書き換えることはできませんでした」

「そう、ですか。すみません、お時間いただいてしまって」


 宇納さんは情けなさそうに笑いながら、席を立とうとする。違う、私は追い返したかったわけではない。夢屋に来たからには、何でもいいから幸せになって帰ってほしかった。


 恋人を喪い途方に暮れているこの人には、特に。


「待ってください」


 呼び止めると、宇納さんはきょとんとした顔で振り返った。その表情には深い影が落ちている。


「宇納さんが思い描く、恋人とのいちばん楽しかった記憶を思い出してください」


 夢屋の能力で記憶を書き換えることができない。ならば人間としてできることをやるまでだ。


 美鈴さんとの楽しかった思い出を鮮やかにする。きっとその中に、宇納さんを立ち直らせる言葉だってあるはずだ。


「……ああ」


 宇納さんの表情から暗い部分が消えてゆき、目に光が灯る。


「すみません。こんなあたたかい記憶、捨てることなんてできません。……もう一度、頑張ってみます」


 記憶のあたたかさを纏った笑顔を浮かべ、宇納さんは部屋から出てゆく。私はそれを見守りながら、小さく手を振り続ける。


 空には美鈴さんが喜んでいるかのように、柔らかく光る満月が浮かび上がっていた。

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あなたの望む記憶、創ります。 夏希纏 @Dreams_punish_me

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