痩せた。その先に待つ真実。

 長い月日が流れた。

 ダンジョンに挑み、痩せる。痩せて余裕が出たぶんだけ戦利品を持ち帰る。戦利品を換金する。金を得たら、たとえ高価でも0calの薬草を買う。拠点街は巧妙に隠していたが、遠方からの取り寄せで低カロリー高タンパクの転移魔術料理配達ワーパーイーツを頼むことも可能だとわかった。もちろんこれも高い。

 それでもやるしかない。邪悪なる拠点街の誘惑を振り切り、デブリスはダイエットを続ける。そして。


(これが……俺……)


 姿見の鏡も買った。毎朝これを眺め自身の姿を確認することでダイエットのモチベーションが上昇する。その日は特に格別だった。


(ついに、ここまで……)


 体重計に乗る。70kg。すなわち、本来の適正体重である。

 顔の輪郭もかつての鋭さを取り戻し、すっかりイケメンだ。


(これで挑めるな、最深層に……! かなりギリだが)


 迷宮ダンジョンで見つかった石板から、構造は全十一階層であることが判明している。第十一層の重量制限は70kgだ。

 適正体重以下はかなり下がりづらい。つまり最深層に挑むにはほぼ全裸になる必要がある。それでも、迷宮ダンジョンの最奥になにがあるかを確かめるまではやめられない。それが冒険屋の本能である。

 そして今日が、ついに最終攻略ラストダイブだ。


「ん?」


 一階に降りる。そこではあいかわらず無数の冒険屋デブたちがカレーを貪っていた。そのうちには知った顔もあった。


「よお。しばらくぶりだな」

「……あ? な、てめえは……」


 モヒカンの先輩だ。見たところ、体重は変わらず80kgか。あるいは少し太っているようだった。


「嘘だろ……いつの間にそんな……」

「おやおや、まだそんなところにいるのかね? 俺はこれから最深層に挑む。あんたが足を踏み入れようなら床が抜けちまう最深層だ」

「く、くぅぅ……! てめえ……!」

「せいぜい頑張りたまえ。俺はこのダンジョンに来てから数か月で50kgも痩せた。まさにダイエットにはうってつけなのさ」


 と、肩をポンと叩いて過ぎ去る。冒険屋デブたちの嫉妬と羨望に満ちた視線と、店主の敵意に満ちた睥睨を背に受けながら。


「……頑張れよ」


 そんなデブリスの背に向かって、ボソリと小さな声が聞こえた。別に今まで一度だって嫌みをいわれたわけでもないのに痩せたからといって調子に乗って煽り倒してさすがに大人げなさ過ぎたとデブリスは反省した。あとで謝ろう。いやでも煽ったことで発破になったかもしれないし……。


 ***


(第十一層、この先か……)


 ダイエットダンジョンはその名の通り、ダイエットにはうってつけだ。ただ痩せやすいというだけではない。冒険屋の本能をくすぐり、より深層へ潜りたいという好奇心を刺激する。深層へ潜るには痩せなければならない。ダイエットにおいてなにより重要なのはモチベーションの維持だ。これがよくできている。まるで本当に、ダイエットのために設計されたかのようだった。


拠点街にんげんの妨害さえなければ、な……!)


 だが、ここまで来た。冒険屋の本能がデブの本能に打ち勝ったのだ。


(体重は少し痩せて69.8kg……装備と所持品は……)


 合計で少しばかり70kgを超える。だが問題ない。度重なる試行を経て、デブリスは各階層に2~3kgの安全係数マージンがあるという裏仕様ルールを把握していた。2~3kgというのは日や層によって幅があるからだ。ゆえに、2kg以上は「賭け」になる。逆にいえば、2kg以下であれば問題ない。


「よし、行くか」


 念のため不要なものをいくらか捨てて、デブリスは階段を下った。


(なんだ、この香ばしいにおいは……!)


 重量制限迷宮ダイエットダンジョン・最深層。

 歴戦の冒険屋であるデブリスはこれまでいくつかの迷宮ダンジョンを攻略してきた。そしてどの迷宮ダンジョンも、最深層というのは空気が異なるものだと知っている。

 だが、これほどまで明確に――「におい」という形で「違い」が表れるのは、初めての経験だった。


(どういうことだ……? 魔物の気配もない……?)


 ただ、静かで、厳かで――香ばしいにおいだけが充満している。

 においのもとはすぐにわかった。大広間の中央、薄手のカーテンに仕切られた空間。デブリスはおそるおそるカーテンを開いた。


「こ、これは……!!」


 ローストビーフ。生ハム。あんかけチャーハン。サーモンムニエル。からあげ。天ぷら。オムライス。すき焼き。青椒肉絲。棒餃子。チーズタッカルビ。炊き込みご飯。タコ焼き。焼きそば。ラーメン。ざるそば。ミートボールスパゲッティ。焼きたてロールパン。ティラミス。ミルクレープ。ワッフル。アップルパイ。バナナパフェ。ドリンクバー。

 待っていたのは、食楽園ビュッフェである。


「よくぞここまで辿り着きました。自制あるものよ」


 そこに、神々しい光に包まれた女が現れる。純白の衣装に身を包んだ、まるで女神のような――料理人である。


「ここまで辿り着いた方はあなたで78人目です」

「なっ」


 ダイエットダンジョンは発見以来20年間攻略されていない。だが、最奥までたどり着いたものはいた。その意味することとは。


「この、料理の山は、いったい……ごくり」


 よだれが止まらない。

 最下層ここに辿り着くためにどれほど節制ある食生活で過ごしてきたことか。ゆえに、飢えも大きい。


「すべて、あなたのために用意した料理です。ここまで辿り着いたのです。ご褒美ですよ」


 痺れるような、甘い言葉だった。


「ど、どういうことだ……! 俺は、ここまで……! 身を削るような思いでダイエットに励んできた……! なのに、こんな、こんな料理ものを食べてしまったら……!」

「人はなぜ痩せたがるのですか? なぜ太ってしまうのですか? それは美食のためです」

「……なんだって?」

「野生の動物が肥満に悩むことはありません。肥満で悩むことは人間の特権であり、幸福なのです。人間が一生のうちに食べられる回数は決まっています。であれば、美食を貪りつくさなければ。ですが、ただ食べるだけでは健康に被害が及ぶほどに太ってしまう。だからこそのなのです。食べて太ったら健康的に痩せ、また食べる。無限の幸福がにはあるのです」


 反論できない。溢れるよだれのために口を開くことすらままならなかったからだ。


「どうぞ好きなだけ召し上がってください。この場においては重量制限もありません。床が抜けることもありませんのでご心配なく。好きなだけ食べてもいいんですよ。帰りたくなりましたら、そこの帰還魔法陣をご利用ください」


 あまりにも都合がよすぎる。女神の輝くような笑みの裏に、デブリスは底知れぬ悪意を感じた。


「……なぜだ」

「はい?」

「なぜ、こんなことをする」

「なにを疑っているのですか? ここまで頑張ったのです。報われるのは当然のことですよ。それに、太ってしまったとしても……また痩せればいいのです」

「あんたに、なんの得がある」

「私は料理人ですから。お客様が満腹で笑顔になっていただくことが、なによりもの幸福なのです」

最奥ここまで来たのはこれまで78人といったな。20年も挑まれ続けてきた迷宮ダンジョンにしては、それでも少なすぎる。この迷宮ダンジョンがこれまでに吸ってきたカロリーを考えれば、収支はまあプラスだろうな」

「……なんの話です?」

牢獄ダンジョンに閉じ込めておくための対価としては、の話だよ」


 ダイエットダンジョンでは妙にカロリー消費の効率が高い。余計に消費したカロリーはどこに消えたのか。

 迷宮ダンジョンそのものが吸い取っていると考えるのが妥当だ。ゆえに、デブでない健全な冒険屋はこの迷宮ダンジョンに挑めない。健康に悪いからだ。

 すなわち、重量制限迷宮ダイエットダンジョンとはデブからカロリーを収奪し続ける装置なのである。これは皮肉にも拠点街の悪意と連動することでシステムとして完成しているのだ。


「え、違いますけど」

「……違うの?」

「私が迷宮ここを設計したいのは、ただ見たいからです」

「見たい?」

「最下層に辿り着くほどに節制と努力を重ねて適正体重までダイエットに成功したものが、美食の誘惑に負けてリバウンドしてしまうその姿を……!」

「え、……」

「誘惑に屈して信念を打ち砕かれ身を滅ぼす人間とは、かくも美しい……!」

「最悪趣味の上位存在かよ」


 こんなやつに負けるわけにはいかない。

 デブリス・フットテイル――第二の冒険、最後の戦い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ダイエットダンジョン 饗庭淵 @aebafuti

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ