第2話

 数日後。

 仕事が終わった後、俺は愛車に乗り込んだ。飲みに行く気にはならないが、自動車の運転くらいならいいだろうという気持ちだった。GTRに乗り込むと、それまで感じていた視線も感じなくなる。

 三十分ほど行ったところにある峠道に向かった。お気に入りのコースだった。

 T字路の信号で、赤信号が変わるのを待っていると、後に真っ黒なピックアップトラックが停まった。ミラーで確認するが、運転席が高い位置にあるため、どんな奴が運転席にいるかは分からない。


 すると、

 ガチャリ

 と、音を立て助手席に女の子が滑り込んできた。あのアパートの女の子だった。


「やっと、見つけたわ!」

 女の子は笑顔でそう言うと、シートベルトを装着した。

「お、おい!」

 俺が狼狽していると

「青よ」

 女の子に言われ、反射的にアクセルを踏み込む。

「何で、逃げるの? この前も、あの連れのお坊さんの後に隠れてたし」

「み、見えてたのか?」

「うん。あの時は声をかけそびれたけど、それから全然飲み屋街でも見かけないしさ。やっとこの車を見かけて、乗り込んだってわけ」


 俺は女の子から、不吉な視線を感じていないことに気づいた。それどころか、とても居心地がよろしい。

「なあ、なんでお前、俺のことを探してたんだ?」

「隆光さん。私の名前、覚えてないでしょう?」

「いや。あの……」

 俺がもごもご言っていると、

「私の名前は陽菜ひなよ。佐藤陽菜。もう忘れないでよ」

 陽菜が笑いながら言う。

 運転しながら、改めて見るとくりっとした目が可愛らしい。俺はここ数日の緊張を忘れて笑った。


 すると――

 ゴン

 と言う音が後から響き、車が蛇行した。

 慌てて逆ハンドルをあてて、車の姿勢を戻す。

 真っ黒なトラックが、ミラー一杯に迫っている。

「隆光さん……鼻が腫れてるわ!」

 陽菜に言われて鼻を触ると、熱を持って大きく腫れ上がっていることに気づいた。ズキズキと痛み始め、同時に「これは私のしるしね!」と言った女の声が脳裏に蘇る。


 やはり、あの女なのか? これは近づいてきたせいなのか!?

 俺はアクセルを踏み込み、トラックを引き離しにかかった。

 五百七十馬力を超えるV6エンジンが咆哮を上げる。暴力的な加速が俺たちをシートに押さえつけた。

「ど、どうしたの!?」

 陽菜が悲鳴を上げるが、無視してアクセルを踏み、ハンドルとブレーキをめまぐるしく操作する。


 みるみるうちに、離されていくトラックの運転席に、あの女が見えた。目の周りが真っ黒に隈取られ、牙のような犬歯を向きだした顔は、まさに悪霊のようだった。


 しばらく行くと、速度の出るストレートからテクニカルなカーブが続くセクションに移行する。トラックの足回りでここを攻略することは出来ないはずだ。俺はこれまで培った全技術をつぎ込んで、GTRを走らせた。


 だが、信じられないことが起こった。ジリジリとトラックが近づいてくるのだ。高速セクションよりも、このカーブの続くセクションの方が近づけるということは、つまり、ドライバーの技術で車の性能差を埋めているということに他ならない。

 俺は顔を真っ赤にして、車を操作した。

 急なカーブでぶつかりそうなくらいにトラックが迫ってくるのが見えた。こちらもギリギリまでブレーキを遅らせ、ぶつかるのを回避する。


「胸が光ってる!」

  陽菜が叫び、俺は胸ポケットに入っている財布のことを思い出した。

「あ、あのお札だ!」

 俺は急いで財布を陽菜に渡した。財布の内側から光が漏れてくる。

「そこから、三枚のお札を出してくれ!」

「これ!?」

 陽菜が出したお札の三枚のうち、一枚が激しく光っている。

「それだ! それを投げるんだ!」

 陽菜は頷いて、ぶつかりそうなくらい迫ってきたトラックに光っているお札を投げつけた。


 すると、お札が俺の姿に変化して、トラックのフロントガラスに貼り付いた。トラックは急ブレーキを踏んだ。ミラー越しにみるみる離れていくのが見える。ふざけた成果だったが、いきなり現れた俺の偽物にはさぞかし驚いたことだろう。

 だがそれも一瞬で、すぐにフロントガラスに貼り付いた俺の偽物はお札に変化した。


「おのれええっ!!」

 女の地獄の底から轟くような声が響き、エンジンが一際大きく吠えるのが聞こえた。

 尋常じゃない。二台の大排気量エンジンに負けないような大声なんてあるはずがないのだ。体中に冷や汗をかきながら、俺はアクセルを踏み続けた。


 トラックは見る見るうちに近づいてきた。また、ぶつかりそうなくらい接近してきたとき、陽菜が二枚目のお札を投げつけた。お札は眩く光りながら向かっていく。そして、逆巻く濁流のように水が溢れた。

「やったぜっ!」

 物凄い量の水がトラックを飲み込む。俺たちは歓声を上げたが一瞬のことだった。すぐに水を乗り越え追いかけてきたのだ。


 三枚目は火の海だった。だが、当然のようにトラックはそれさえも乗り越えて追いかけてきた。

「これって、昔話そのまんまじゃん!! て、ことはあれは山姥やまんばなの!?」

 陽菜が横で叫ぶ。

 これでお札は品切れだった。まさか、昔話のように女を口車に乗せて豆に化けさせるわけにもいかないだろう。


 俺はアクセルを踏み込みアドバンテージを死守しようとしたが、トラックはぐいぐいと近づいてきた。トラックの鼻面がめり込む瞬間、俺はハンドルを思いきり左に切っていた。路肩に乗り上げ、片輪走行のように横向きに立って進む。


 勢いのついたトラックが追い抜き前に出る。俺はそこで道に戻った。

 もうすぐこの峠最大の難所であるヘアピンカーブが来る。

 俺はアクセルを踏み、トラックの後部をGTRで押した。勢いのついたトラックはカーブを曲がりきれずにコースアウトしていった。


 手が汗でぐっしょりと濡れていた。俺はGTRを停めると、崖の下に落ちた真っ黒なピックアップトラックを見た。トラックはぐしゃぐしゃになっていた。しばらくすると、爆発しオレンジ色の炎が上がる。

「警察には何て言うの?」

 陽菜が震える声で訊いた。

「どうしたもんかな……」

 俺はため息をついて、警察に電話をかけた。


      *


 警察によるとピックアップトラックを運転していたのは身元不明の女性で、亡くなったとのことだった。トラックは盗まれたものだったらしい。


 俺も取り調べを受けたが、しつこい煽り運転を受けたことを説明し、事故は相手が勝手に起こしたことだと話した。一緒に乗っていた陽菜の証言と、峠道にあるカメラにGTRにぶつかりそうなトラックが映っていたことが決め手になった。当面、これ以上の取り調べを受けることはなさそうだった。


「隆光さん!」

 ちょうど最後の取り調べが終わり、警察から出たところで、陽菜が走ってきた。

「取り調べはおしまい?」

「ああ」

 笑顔で頷いて、陽菜を抱き寄せる。一緒に危機を乗り越えて二人の仲は急速に近づいていた。


 ――これからは心を入れ替えて生きていかなくては。

 当面の危機は去ったはずだが、俺の一族が絶えていないことに悪霊が気づけば、また襲われるかもしれない。今回は運良く退けられたが、もっと強力なお札が必要だ。そのためにも俺はこれからは心を入れ替えて修行に励むつもりだった。


「幸せになろうね」

 陽菜がもう一度抱きついてきた。俺は彼女の頭を撫で、幸せを噛み締めた。



 その時、警察の玄関から出てきた女性警察官は見た。坊主頭の男に抱きしめられた老女の邪悪な笑顔を。

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シン・三枚のお札 岩間 孝 @iwama-taka

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