シン・三枚のお札

岩間 孝

第1話

 昨晩は飲み過ぎたな。

 俺はあくびをしながら、坊主にした頭を撫でた。昨晩引っかけた女の子のアパートのドアを閉めると、頭上の太陽に目を細める。白いTシャツの上に革ジャンを羽織った俺は、階段を降りていった。


 俺は隆光りゅうこう。この街に古くからある有名な寺――いわゆる名刹というやつの跡取りだ。

 昔からの檀家も多く、国宝級の寺目当ての客が多いこともあって、生活には困らない。いや、どちらちかというと、かなり金持ちの部類に入るのだと思う。

 毎晩飲み歩いては、女の子を引っかける日々は生臭だなと自分でも思う。だが、止められないものは仕方がない。いつも行くキャバクラの女の子たちから有名な歌舞伎役者に似ているって言われるものだから、調子に乗りまくりなのだ。


 諸行無常しょぎょうむじょう唯我独尊ゆいがどくそんってやつだ。

 俺は心の中で呟くと、アパートの前に駐めていた愛車に乗り込んだ。深いメタリックブルーのGTR。スタートスイッチを押すと、V6、3.8リッターエンジンが咆哮を上げた。

 とりあえず、目覚ましにとばしまくってから寺に帰ろう。俺はアクセルを踏み込み笑った。


      *


 寺に帰り自分の部屋に入ると、机の上に大きめの封筒があることに気づいた。

隆光りゅうこうさん。お手紙が来てますよ。僭越ですが、机の上に置かせていただきました」

 お手伝いの幸恵さんが部屋の外から言った。


 封筒に直接字が印字されている。宛名は俺で、差出人は……親父!?

 俺は驚いてしばらく固まった。なぜなら親父は一年前に亡くなっていたからだった。

 急いで封筒を開けようとしていると、生臭仲間の通玄つうげんから電話が入った。


「何だ? 朝っぱらから」

「今晩一緒に飲みに行かないかなと思ってさ」

「こっちは連日、飲みまくりで胃が荒れてるんだ」

「じゃあ止めとくか?」

 通玄におちょくるように言われ、

「いや、行く」

 俺はむきになって返した。

「そう言うと思ったぜ。じゃあいつもの店に集合だ」

「ああ」


 俺は電話を切った。封筒をしばらく眺めていたが、引き出しにしまう。

 たぶんこりゃ何かのいたずらだ。俺はため息をつき頭を掻いた。

 そろそろ、今日のおつとめの準備をしなくちゃな。じゃないと美味い酒は飲めねえ。

 俺はスキップしながらバスルームに向かった。


      *


 通玄つうげんは十代の頃からの知り合いで、やはり大きな寺の跡取りだった。愛嬌があって憎めないやつで、ずっとつるんでいる。二人ともジーンズに革ジャン、Tシャツといった出で立ちで、とても坊さんには見えなかった。


 最初に集合した居酒屋を切り上げ、外に出たところで俺は通玄の背中に隠れた。昨晩アパートでよろしくやった女の子が向こうから来たのだ。結果的にやり逃げみたいなことになってしまっていたから、ばつが悪かった。

 通玄の後ろに隠れていると、女の子は気づかなかったらしく通り過ぎていった。

 ため息をつくと、

「まあ、人生色々あるわな」と言って通玄が笑った。


 ――キャバクラ。クラブ。ガールズバー。あれから何件も回って、行きつけのスナックにたどり着いた。カウンターで二人で飲んでいると、隣に女の子が座った。店の女の子ではなく、今入ってきた客だった。俺はゆっくりそっちを振り向いた。

 ひょっとすると、すれちがったアパートの女の子じゃないかと思ったのだが、知らない顔だった。


「や、やあ」

「やっと見つけたわ……」

 俺が挨拶すると、女の子は唇に笑みを貼り付け、呟くように言った。

 通玄は俺の横でカウンターに突っ伏している。

 酔っ払った頭で、会ったことないよな? と考えていると、

「ウイスキー水割りで」

 女の子がオーダーするのが聞こえた。


「俺たち会ったことある?」

「覚えてないの?」

 そう言った女の子の目は底光っていて、尋常じゃ無い迫力だった。酔いが醒め、背筋に悪寒が奔る。

「いや、あの……もちろん覚えてるさ」

 俺は口から出まかせを言って、頭の中の女の子ファイルをめくった。だが、一向に心当たりの女の子は出てこない。


「ご注文のお飲み物です」

 ちょうどいいタイミングでママが、ウイスキーの水割りを出し、俺はホッと息を吐いた。


 ――次の瞬間。

 女の子はそれを一気に煽って飲み干すと、激しい音を立ててカウンターに置き、立ち上がった。

 俺が呆気にとられていると、女の子が耳元に口を寄せた。

「今日はしるしだけ付けて帰るわ。これで、もう逃げられない」

 バンッ

 と、音がして、目の前に星がチカチカと光った。同時に鼻の奥で鉄のような匂いがする。そして、俺の意識は途切れ、暗い闇の中へと落ちていった。


     *


 次の日。

 どうやって家まで帰ってきたのか全然覚えていないが、自分の部屋で俺は目覚めた。鼻が腫れ、酷く痛む。

 ――やっぱり、あいつパンチを食らわせやがったんだな。俺はブツブツ言いながら、起き上がった。


 ふと、視線のようなものを感じたような気がして辺りを見回す。もちろん誰もいないのだが、何だか変な感じだ。


 昨晩のあの女の子の不気味な迫力と笑顔が脳裏をよぎり、俺は机の引き出しを開けた。あの死んだ親父からの手紙に何かがあるような気がしたのだ。直感だった。

 急いで封筒を開けると、そこには手紙と三枚のお札が入っていた。


『前略 隆光よ。今頃、毎晩飲み歩き、女遊びを重ねていることだろう。なぜ、わしがそのことを見抜いておるか分かるか。それも死してなお、今そのことを見ているかのように言い当てておるか、分からぬだろう』

 俺は手紙から目を離し、周りをキョロキョロと見回した。まるで死んだ親父がそこにいて、俺のことを見ているような気がしたからだった。


 また、手紙に目を戻す。

『お前の行っている一連の行為は、我が一族にかけられた呪いなのだ。お前も三枚のお札の昔話は知っているだろう。あれは我が祖先の話だ。

 山姥の呪いにより一族の子孫は酒を飲み、女遊びをせずにはおられん。子孫を修行から遠ざけるためとも、酒を飲んで女遊びをしている際の気を感じ取って会いに来るためとも言われている。やって来る女は山姥の子孫らしいが、それは定かではない。とにかく悪霊が女に乗り移って来るはずだ。

 このまま、なにもしなければ女の行いはエスカレートし、やがてお前は死ぬだろう。だが、助かる手段はある。実は私も、お前の祖父も、その前の代も同じようにして助かってきたのだ。一緒に入っている三枚のお札を肌身離さず持って悪霊に対して使うのだ。それは私が修行の果てに生み出した最強の呪符だ。使い方は、昔話にあるとおり。健闘を祈る』


 手紙はそこで終わっていた。

 俺は顔を片手で覆うと、天を仰いだ。

 おい、親父殿よ。もう少し具体的に教えてくれよ。親父もじいさんも女遊びが酷かったなんて話も、俺は聞いてなかったぜ。


 もちろん、誰も返事はしてくれない。俺は気味が悪かったが、素直にお札を三枚財布に入れた。

 それから、仕事で読経をしているときも、知り合いに会っているときも、また昼飯を食いに外に出ているときも、何か落ち着かなかった

 常に誰かの視線を感じるのだ。気配のようなものが気になり、俺は常に周りをキョロキョロとうかがった。


 ――やはり、あのスナックで俺を殴った女なのか? いや。もしかしたらあのアパートの女の子かもしれない。

 俺は落ち着かない日々を過ごしたが、その視線の主が誰なのか一回も見極めることはできなかった。

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