石炭袋暗黒星雲ガナッシュ
広河長綺
第1話
私はよく、宇宙船の展望デッキでスマホをいじっていた。
眺めは最悪だ。
理由はこの宇宙船ヒース号が、石炭袋暗黒星雲の中をずっと通過していることにある。
石炭袋暗黒星雲。
名前からして黒そうだが、本当にその通りで、塵を多く含むため光が遮られ暗く見える星雲なのだ。
はるか昔、人類が地球に居た時にも、星空を見上げるだけで空の一部が妙に暗いことに気づき、石炭袋と名付けたのだという。
ヒース号はそのど真ん中を数千年かけて通過する宇宙船なのだ。
プラネタリウムのように宇宙が見えるのを狙って、半球状の屋根の全てが超量子強化ガラスでできているのが、ここの展望デッキの売りなのだが、ここは暗黒星雲なので宇宙塵が多く、展望デッキから外を見ても、黒い宇宙空間が広がっているだけ。
眺めが最悪だからこそ、逆に、作業するのにちょうどいいとも言えた。
こんな展望デッキに人は来ないから。
だから
こんな所に来る人なんているわけない。
そう自分に言い聞かせて、顔も上げずに、作業を続行したのだ。
そんな私に朱里は笑って「パーティーをサボってるんだ?やるねぇ」と声をかけ続けてきた。
異常な馴れ馴れしさ。
私と朱里は確かにクラスメートだが、そんなに話したことはないのに。
私は、面倒なことになったぞ、と思い、敢えてスマホ画面から顔もあげず「忙しいから帰って」とぶっきらぼうに返した。
しかし朱里はひるまない。
「暗黒星雲ガナッシュパーティーらしいよ。知らないの?」
私の拒絶が聞こえなかったかのように質問を続ける。
「今日が暗黒星雲ガナッシュデーなことくらい知ってるし」
「ふみちゃんは、参加しないの?」
「退屈な宇宙旅行を誤魔化す、しょうもないイベント、行くわけないでしょ」
かつて地球にあったというバレンタインデーと、この宇宙船が進む石炭袋暗黒星雲を組み合わせよう!という安易すぎる発想。
その結果、毎年2月14日には暗黒星雲に見立てたガナッシュ(液体チョコ菓子)を女子が男子に送るというしょうもないイベントが生まれた。
そして、親が宇宙船旅行に参加していたがために生まれた時から宇宙船の中で、宇宙旅行強制参加となった、私のような人間はそのイベントにも強制参加だ。
こういうしょうもないパーティーが毎日ある。
ガガーリン記念日。
ライカ犬記念日。
天宮完成記念日。
毎日を何らかの理由にこじつけてパーティーを開く。
宇宙旅行がヒマすぎるから。
私は唾を吐き捨てるように、本音を口にした。
「本当につまらない」
「だから、この宇宙船から脱走しようとしてるんだ?」
「は?」朱里の指摘に動揺して、私は思わず顔を上げてしまった。
この時私は初めてちゃんと朱里の表情を見た。目を細めニヤニヤ笑いながら、座ってスマホをいじる私を見下ろしている。サラサラの金髪が私の頭に触れそうなくらい、垂れ下がっていた。
「そのスマホでコンピュータウイルス作って、この宇宙船の周囲を飛ぶ小型無人ロケットの操作権限を奪おうとしてるんでしょ」
「どうしてそれを」
「同じだからだよー」朱里は愉快そうに、皮肉そうに、ふっと小さく笑った。「私もこの宇宙船から脱出しようとしているから。その過程でこの宇宙船内の全ての端末をハッキングしたんだよ。当然君のもね」
私を小馬鹿にするような表情で語られたその説明に、私は言葉を失った。
それが本当なら、朱里は、私の目標の先の先まで達成していることになる。
というか、今からでもこの宇宙船から出ていけるじゃないか!
にわかには信じられないが、現に朱里は私の端末の中を言い当てている。
「というわけで、今から私はこの宇宙船から出ていくんだけど、一緒に行かない?ってこと」
疑念が揺らぎ始めた私の心を読んだかのように、朱里は提案してきた。
憧れてきた「外」に行ける?しかも今から?
うんざりな宇宙船から出ようともがいてきた日々。
宇宙船の全てをハッキングしようとする勉強も行き詰まり「宇宙船から出るなんて無理じゃないか」とウジウジしたりして今日に至るというのに、この朱里という少女は…
「今から外に行けるよ」と軽いノリでやってのけた。
妬みすら感じられない程の圧倒的凄さに、鼓動が早くなる。
私は胸の奥の熱を隠すように「まぁ、いいですけど」とだけ言った。
「じゃあ、始めるね♪ついてきて」
朱里はそういうと自分の携帯端末を取り出し、何かをクリックした。
その瞬間宇宙船の全ての区画が停電した。
部屋の電気を消すかのような気軽さ。
朱里がこの宇宙船の管理AIを掌握していたのは本当だった。
本来作動するはずの予備電源システムが動いていない。
監視カメラも、警備ドローンも、すべてが止まっている。
だから私と朱里は、堂々と宇宙船の管理区域に侵入し、非常用脱出宇宙艇へと向かって歩いて行った。
さすがに最奥部には警備のおじさんがいたのだが、彼の支給されているレーザー銃も宇宙船管理AIと紐づいているので、朱里を撃つことができない。
「お前ら、知ってるぞ!問題行動が多すぎて、警備部にマークされているガキだな!こんな滅茶苦茶なことして、ただで済むと思うな・・ヒぐブっ」
説教しようとしたおじさんの顔に、朱里のパンチが炸裂した。
朱里の長い金髪が軽くなびく。
髪が重力によって垂れた時には、警備員はノックアウトされていた。
人を殴っているのに、暴れている感じすらない、洗練された動き。
何て美しく、かっこいいんだろう。
見惚れてボーッとしている私に、
「こっちこっち」と朱里が手招きする。
その手は今さっき成人男性をダウンさせたとは思えないほど細くて白く、私はその白い肌を見たときに「ここを脱出した後も朱里についていきたい」とふと思った。
冷静に考えると、手の美しさで決断する事じゃないだろう。でも、ついていきたいと思ってしまったのだから仕方ない。
決意を胸に朱里の所へ行くと、朱里の隣の壁にスライド式の隠しドアがあり、開いていた。そこが救助艇の隠し通路になっていたらしい。
下調べも完璧だ。
隠しドアの先は本格的に一般人禁止エリアらしく、壁にはパイプや計器で埋め尽くされている。
よくもまぁこんな通路を把握していたな。
私は感心しながら、後ろをついていった。
朱里のハッキングは相当レベルが高いようで、私たちを追いかけてくる警備員やロボットはいない。
だから救命艇宇宙船へ乗り込み母船から分離するまでの間、ゆっくり他愛もない話をした。
学校のウザい教師はだれか。
同級生のどんな行動が嫌いか。
どんな時に「自由になりたい」と思うのか。
お喋りに夢中になっている間に、自動操縦モードの救命艇は母船ヒース号から分離し、宇宙空間を移動しはじめていた。
この数年間待ちに待った、宇宙船からの解放!
だったのだが、終わってみると結構あっさりしていた。
右の窓からはヒース号の姿が、左の窓からは近くにある小惑星が見える。
そのあっけなさが、心細さに変わってしまう前に私は
「この後、どうするの?」と訊いた。
「この後、母船の近くにある小型地球型惑星に着陸するよ。窓から見えてるでしょ?その惑星には、宇宙遭難者用に1人乗りの脱出カプセルが置いてあるから、それに乗り換えるつもり」
「え?1人乗り?」
朱里の説明に感じた違和感に、私が質問した途端。
ずっとお喋りだった朱里が黙った。
宇宙船が小型惑星へと進行するプーンというイオンジェットロケットの音だけが聞こえる。
何で黙るのよ、と質問を継ごうとした私の体が、ゆっくりと下に吸い寄せられていく。
そのまま私の体は見えない手に押し付けられ続けるように、救命艇の床に頬ずりする格好になってしまった。
何が起こっているのか。
半ばパニック状態で声も上げられない私に、
「ゴメンね」朱里がペコリと頭を下げた。
「これは一体…」
「重力だよ。宇宙船の中には微弱な人工重力しかないから、宇宙船の中にいた人がいきなりどこかの星に行くと体を支えられなくなるの」
「朱里は知ってて?」
「当たり前じゃん。私はプロテイン剤を飲んで筋トレしてたよ。逆にふみちゃんは、宇宙船から逃げようと思ってたのに、重力のことも考えてなかったんだね」
驚きと敗北感と屈辱で、言葉が出ない。
「でもこれで良かったんだよ」
私の方をちらりと見て、救助艇から降りて行こうとする朱里の顔には、自己満足的な笑顔があった。
「ふみちゃんは自由になりたいんだよね?じゃあ、私についてきたら自由じゃないよね?だからこれでいいってこと。それに私にはね、ここから先のプランってないんだよ。星空が見たいってだけの理由でこんなことしてる狂人だからね、私」
朱里は1人頷きながら、救助艇のドアを開けて、小惑星の岩石まみれの地面に降り立つ。
いつのまにか、この救命艇は目的の小惑星に着いていたらしい。
私から離れていく朱里の背中を見ているうちに、私は徐々に状況を理解していく。
本当に彼女は私を置いていくつもりなのだ。
恐らく私は追手の注意をひくための囮にするつもりなのだろう。
初めから私を捨て石にするつもりだったなんて。
許せない。
遅れて怒りが湧いてきた。
小惑星の重力で身動きが取れない状態で、私は芋虫のように這いずって、自分のポケットから端末を取り出した。
これだけの動作でも呼吸が荒くなる。
だが、これは必要な足掻きだ。
朱里はちゃんと見ていなかったのだろう。
私だって宇宙船ヒース号のかなりの部分をハッキングできていたということを。
私が端末のボタンを押し、プログラムをスタートさせると、小惑星の上空からゴーッという轟音が響いてきた。
救命艇から降りて、先の方を歩いていた朱里が立ち止まり、上を見る。
暗い空には巨大な火球が何個もあり、雨のように降ってきていた。
これらが轟音の主であり、その正体は無人機の宇宙船だ。
前に私がハッキングしていた宇宙船ヒース号の周囲に飛んでいた小型無人ロケットを、遠隔操作して、この星に突っ込ませたのだ。
このままだと、救命艇の中にいる私は死なないが、外にいる朱里は死ぬしかない。だから朱里はここに戻ってくるだろう。
そのタイミングで「重力で動けない私も、引きずってでも、連れいけ!!」と朱里を恫喝するつもりだった。
なんとしても朱里について行きたい私の、苦肉の策。
だが、その見込みは外れた。
朱里は逃げようともしなかったのだ。
ぼーっと空を見上げたまま、落下してくる無人機に押しつぶされ、そのまま死体が燃えていった。
朱里の死体が完全に灰になった後、私はようやく思い出した。
朱里は「星空を見てから、死にたかった」だけだったことを。
きっと朱里の目には、炎をあげて落下してくる無人ロケットの破片が、美しい流れ星に見えていたのだろう。
重力に体を押さえつけられた私は体勢を変えることができず、焼けていく朱里の死体から顔を背けることすらできない。
火球に押しつぶされて灰になるその瞬間まで、朱里の死体の顔はニコニコ笑っていた。
石炭袋暗黒星雲ガナッシュ 広河長綺 @hirokawanagaki
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