第9話 ソファ

 退院してすぐは、二人——三人で実家で数日泊まらせてもらった。


 前の借家は大家さんと相談して、1ヶ月だけ延長してもらった。


 ちょうど片付けも終わっていなかったので、最後の確認のために彼女と二人、退去直前の家を訪れる。


「だいたい大きなものは運び終えたし、あとは要らないものを捨てるだけ。基本は僕がやるからさ」


「うん、ありがとう」


「……じゃあ、あと捨てるのはこれと、大きいのはこれだけでいいかな」


 そうして僕が指さしたのは、あのソファだった。


 彼女は頷いてから、ゆっくりとそのソファに座る。いつものポジション、彼女は左側に座る。


 僕は吸い込まれるみたいに、右側に座った。


「ね、晃さん」


「何?」


「本当はもっと二人で居たかった、って思う?」


 僕は思わずどきりとする。いや、と否定しかけて。


「そりゃ、ね」


「へぇ、意外。そうなんだ?」


「だってさ、こういう時間は少なくなるでしょ?」


「そうだと思う」


「……楓との時間がなくなるのは、正直寂しいよ。でも、もちろん……これから先のこと、楽しみしかない」


 少しの沈黙。すると彼女が立ち上がって。


「……ね、粗大ゴミのシール買いに行こう?」


「え? いや、それは僕が後でやるよ。お義母さんに預けたままじゃ、申し訳ないんじゃ」


「今は寝てるし……そりゃ、気にはなるけど」


 そう言ってから、ちょっとだけ彼女が言い淀んで。


「最後のデート、ってことで」


 それを聞いて、僕は敵わなかった。


「……分かった」


 やっぱり、どこまでも彼女のことが好きだって実感する。


 近くのコンビニまで歩いて30秒。レジを通って、家に戻ってマジックで粗大ゴミの受付番号を書く。


 最後のデートはたった5分も掛からず終わった。それはそうだ。実家からは数分で来れるからと、子どもは少しの間だけ、義両親に見てもらうようお願いしていた。僕としても生まれたばかりの我が子の様子を早く見に戻りたいし、余りに時間が掛かれば何をしているんだと怒られてしまう。


「子どもがいても、ずっと二人の時間がないわけじゃないし」


「え?」


 彼女が唐突に、ソファを見つめながら言った。


「私だって、本当はもっと晃さんと一緒に色んなことがしたかったな〜って」


「楓……」


「いくらでもあるよ。旅行だってそう、遊びだって、ご飯だって、行ってみたいラブホテルだってある。あの子も連れて、沢山思い出作りたいって思うけど、晃さんと二人きりなのはまた別」


 彼女の言葉に、静かに耳を傾けて。


「でも、今はあの子が無事に生まれてきてくれて、それ以上のことはないから」


「うん。僕もそれは同じ」


 彼女は向き直って、上目遣いで僕のことを見据えた。


「……これからもずっと、私のことを愛してくれる?」


「もちろん。今もこれからも、楓のことを愛してる」


「それなら、もうこれは要らないよね」


 彼女は先のシールを、見慣れたソファにペタリと貼り付けた。


「うん。そのために、3人掛けなんだから」


「私、嬉しかったよ」


「何が?」


「晃さんがあの子を愛してくれてるのは、十分分かってるから。ただ、私だけがあの子に嫉妬してないか、ちょっぴり気になってた」


「それって、どういう」


「どうせ晃さんのことだもん。私のこと放って、あの子にべったりになるんじゃないか、って」


「……あぁ」


 なんだ。


 僕だけじゃなかったんだ。なんて、それでもまだ自惚れてるかなって思ったけれど。


「あの子が、生まれてきて世界で一番幸せだ、って言えるよう育ててあげたい」


「きっと大丈夫だよ」


 そう言って、彼女の手を取る。いつもみたいに指を絡ませて。


「急いで迎えに行こう」


「晃さん」


「うん?」


「最後のわがまま聞いてくれて、ありがとう」


「ううん、こちらこそ。楓も……元気に産んでくれてありがとう」


 どういたしまして、とわざとらしくお辞儀をする彼女は、眩しいくらいに笑顔だった。




理玖りく、何やってるの?」


「パズル」


 四歳になった息子の理玖はソファで必死にパズルをしていた。隣に座って様子を見ていると、ちょうど彼女も気がついて。


「二人でパズルに挑戦?」


「いいや、理玖がやってる」


 彼は邪魔しないで、と言わんばかりに夢中だ。

 ソファの反対側に彼女が腰掛ける。僕はそれを見て、なんとなく。


「理玖、パパの膝の上乗って」


「やだ」


「なんでよ」


「……」


 彼はその間から離れようとしない。結構彼は膝の上に乗るのが好きだったんだけどなぁ。


「たまにはパパ、ママの隣に座りたいって思ったんだけど」


「理玖もママの隣がいい」


「え」


「ふふ、似ちゃったね?」


「……まあ、いいよ。だから3人用にしたんだしね」


 そう言って僕は笑って、こっそり腕を伸ばして彼女の肩に触れた。未だ必死にパズルを解く息子を眺めながら、彼女のお勧めする3人掛けソファの座り心地に酔いしれていた。



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二人掛けのソファにシールを eLe(エル) @gray_trans

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