恋心の輪郭

結騎 了

#365日ショートショート 223

 おはよう、と胸元で手を振る穂乃果の顔を、僕はまともに見られなかった。

 靴箱の端と端、ふと見過ごしてしまうような一瞬なのに、僕らは目があった。視線はまるで吸い込まれるように穂乃果に向かっていく。彼女もそうなのだろうか。付き合い始めて一週間。ずっと胸の内に秘めていた想いは、意外にもあっさりと成就した。初めての交際。初めての彼女。全てが薔薇色に見える、なんていう陳腐な言い回しがそれほど嘘ではないと、僕はようやく知った。

 でも。すっと視線を切り、上履きに足を通した。どうしてこんな反応をしてしまうのだろう。きっと今頃、穂乃果は不安な顔で……。僕が挨拶を無視したと思っただろうか。

 授業中にも、穂乃果の顔がずっと頭から離れなかった。先生のつまらない話は、左右の耳を通り過ぎるどころか近寄りもしない。彼女の表情、仕草、笑った顔、上がる口角、揺れる唇、覗く白い歯……。それらが頭の中を何周も駆け巡った。チャイムが鳴っても、隣の列に座る穂乃果に話しかけられないよう、足早に教室を出た。どこに行くわけではない。彼女をまともに見られないだけだ。

 人は心が大切だ。相手の内面を見ろ。道徳の授業だったか、母親の言葉だったか。もっともだ。しかし、今の僕にはもっともすぎる。でも、遅かれ早かれ、いずれ……。そう、いずれこうなることは明白だった。であれば、そもそも僕が先走っていたのだろうか。自分がいかに小さいことに悩んでいるか。こんなことで悩むのがどれほどサイテーなのか。そんなことは分かりきっている。誰にも相談できやしない。

 渡り廊下の手すりに手をやり、その意外とひんやりした質感を撫で回す。まだ、彼女とは手を繋いでもいない。このまま別れるべきだろうか。指は頼りなく手すりを滑っていく。

 窓から見下ろす中庭では、女子の集団がベンチに腰掛けていた。マスクを外し、すぐそばの自販機で買ったジュースを飲んでいる。かわいいな、と思わず漏れた声が、より自分を痛めつけた。ああ、最悪だ。

 昨晩。付き合い始めた彼女との初めてのビデオ通話。すっぴんだなんて気にしない。髪にアイロンがかかっていなくてもいい。ただ、マスクを外したその顔が、僕の想像りそうとあんなにかけ離れているとは思わなかった。

 僕が告白した穂乃果は、不織布に包まれていたから。

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