第4話

「あなた、まだわきまえていないの!?」

「えーと、なにを?」

 昨日、グレンにこれ以上ないぐらい冷たくあしらわれたはずのロベリア嬢が再び現れて、ジャスミンは唖然とする。高位貴族令嬢はめげないらしい。つよい。

 本日は夕刻から舞踏会が開かれる。王太子が公に婚約者を連れて出席する初めての催しだ。臥せっていた王女が少しだけ顔を出すらしく、多くの貴族が出席するだろうと目されている。さながら婚約者探しの勝負どころといったところか。

 目の前のロベリアも、まだ昼前だというのに華美な装いで非常にキラキラしい。頭の花は赤く染まっており、かなりお怒りのようだった。できればかかわりたくないなあと思うのだが、行き先を遮るように立ちはだかっているので、無視もできない。

「言っておくけれど、グレン様はわたくしをエスコートしてくださることが決まっておりますの。邪魔はなさらないでくださいな。あら、そういえばあなたはそもそも貴族ではないのですから、舞踏会に出るわけないわね」

 言うだけ言って、クスクスと笑っている。時折ちらりとくれる一瞥は過分に蔑みを含んでおり、なんとまあ分かりやすい嫌味だなあと逆に感心してしまう。天晴だ。

「王太子殿下の婚約者探しが公布されるまえ、わたくしの婚約者はグレン様でしたのよ。国内が荒れていたこともあり、お話は進まなかったようですが。ようやくかと思っていた矢先に、王太子殿下のことがありました。侯爵家として立場というものがございますので、わたくしとグレン様のご婚約も諦めざるを得なかったのですわ」

 ふうとため息をつき扇で口元を隠したので、どんな動きをしているのかはわからないが、目はとても得意げだったので、さぞ満足げな笑みを浮かべているのだろうと推測できた。

 ふむとジャスミンも息をつく。カノーヴァ侯爵家との縁談については聞いたことがある。

 ロベリアが言った「国内の荒れ」とは犯罪組織が跋扈していたことで、ジャスミンが怪我を負うことになった事件をさしている。一般の民を巻き込み、親子が被害にあった。幼い子どもだけが残され、大きな怪我を負った痛ましい事件は王宮でも話題となり、騎士隊を率いていたカルスも責任が問われた。王家筋の公爵家といえど非難は免れなかったらしい。

 つまりカノーヴァ侯爵家は、世の不興を買ったガリエ公爵家と縁を持つことを止めたのだ。そして、王太子妃というより大きなものに手を出した。

 それが叶わなかったからといって、以前に一方的に解消した約束にすがってくるとは。高位貴族は本当にめげない。つよい。

 年まわりがちょうどよいから、という程度の理由で決まった縁談だ。王宮の行事で顔を見たことがある程度の相手と婚約、といったところで、十歳にも満たない当時はまるで実感がなかったようで、グレンはロベリアのことなど眼中にない。

 ジャスミンが回想する傍らで、ロベリアはいかに自分がグレンに相応しいかを語っている。彼との思い出とやらを語っているが、グレンからは聞いたことがない。というか、彼女が言っている「別荘地で一緒に過ごした」というのはどう考えても嘘だった。だって該当時期にはジャスミンは公爵家のお世話になっており、別荘にも同行している。なんなら一日中一緒に遊んでいる。ロベリアが入る隙間は存在しないのだ。彼女は幻でも見ているのだろうか。段々と憐れになってきたジャスミンである。

 いいかげん聞くのも疲れてきたころ、反応の薄さにロベリアのほうも飽きたのか、弁を納めた。「庭師の件はいつでも引き受けるわ」と勝ち誇ったような言葉を残してようやく去ってくれたので、ジャスミンは食堂へ向かうことにした。今日の日替わりがまだ残っていることを祈って。



     *



 哀しくも日替わりランチ競争に敗れたジャスミンが、はじめてロベリアに怒りを覚えていたところ、侍女長の女性が救護室にやってきて、ジャスミンを叱責した。

「なにをのんびりしているの、早く来なさい」

「王女さまのところですか?」

 鉢を持とうとしたところ止められ、今日は何も持たずに付いてきなさいと怖い顔で言われてしまったので、唯々諾々と従った。侍女長はおかん気質で怖いのだ。子どもらしい我儘を言って周囲を困らせる王女ですら、彼女の前では縮こまる。じつに最強の女なのである。

 しかしながら落ち着かない。おかしいと思いつつ鉢を持ち続けてきたが、いざ無くなってしまうと妙に手持無沙汰というか、有体に言えば不安になった。

(わたし、じつはすごく病んでいたのでは?)

 心理療法のひとつに、箱庭療法というものがあると書物で読んだ。己の心象が現れるというアレとは少々異なりそうだが、周囲のひとたちから少しずつ花を――こころを分けてもらい、それを己の器に移していく作業は、ジャスミンにとっての箱庭だったのかもしれない。

 だってジャスミンの頭上には何も生えていないから。

 生まれたばかりの赤ちゃん、騎士隊が捕らえた犯罪者、どんなひとの頭にも見える草花は、どれだけ鏡を覗いてみても、ジャスミンには存在しなかった。からっぽだった。雑草ひとつ存在しない。

 他人の花を世話することで、足りない自分のこころを埋めていたのかもしれない。


 連行された部屋は豪華な一室で、今度はガリエ公爵家の侍女長が待ち構えていた。公爵夫人の姿を探すジャスミンの身体から服を容赦なく剥ぎ取ると、手渡した夜会用のドレスに袖を通すよう厳命された。

 なんだろう、これは。奥様のお供として参加するのだろうか。

 いつか一緒に参加したいわあと言っていたから、可能性はゼロではない。あつらえたようにピッタリのドレスから考えても、前々から計画されていたことが推測された。

 着付けられ、メイクを施され。侍女長の頭頂部では好奇の色に染まった花が跳ねている。じつに楽しそうだった。王宮の侍女長は気風のいいおかんだが、こちらは世話好きのおかんだ。

「よくお似合いですよ。坊ちゃまもなかなかのセンスでございますねえ」

「グレン?」

 このドレスをセレクトしたのがグレンだというのだろうか。

 首元まで覆うタイプで露出は少なく、ジャスミンの身体に残っている傷が隠れるようにデザインされている。仕上げとばかりにつけられたイヤリングを彩る宝石はアメジストで、それはグレンの頭でいつも揺れている花を彷彿とさせて顔が赤くなる。

 タイミングよくノックの音が響き、侍女長が扉へ向かう。二言三言、小さく会話をしたのち、入室してきたのはグレンだった。見慣れた隊服とは違うそれはいかにも貴族然としたもので、ジャスミンは思わず見惚れてしまう。

 対するグレンはといえば唇を引き結び、睨みつけるような眼差しを向けてくる。

 頭上の花は点滅するように色を変えており、いつになく緊張しているようだった。この色変遷は見たことがある。あのときは、その、つまり、はじめてキスをしたときだ。

 いつのまにか侍女長は姿を消しており、部屋にはふたりだけとなっていた。ジャスミンにも緊張が走る。くちの中が渇いて声もままならない。

「ジャスミン」

「なにかな!」

「なぜ怒鳴る」

「ごめん、わたし緊張してるみたい」

「そうか。俺もだ」

「みたいだね」

 顔を見合わせて、ようやく笑みが漏れる。肩のちからも抜けて、誘導されるままにソファーに腰かけた。準備されていた紅茶はすっかり冷めてしまっていたけれど、ふたりしてごくりと飲み干した。乾いた喉にはちょうどよかった。

「これ、グレンが用意したの?」

 ドレスを摘まんで問いかけると、頷きが返る。

「誕生日だろう? 十八歳おめでとう。この日のためにみんなで準備していた」

「あ、忘れてた」

「……おまえ、俺がどれだけ」

「ごめんごめん。でもどうしたの? いつもはこんなかしこまったプレゼントなんてしないのに」

「十八だからな」

 ドレス以外にも、邸にはプレゼントが用意されているらしい。

 貴族令嬢は早ければ十五歳ほどでデビューするが、ジャスミンはそうではない。市井でも十八歳の誕生日は特別な扱いをするのが習わしで、両親を亡くしているジャスミンに、ガリエ公爵家の面々が考えてくれたようだ。

「それからこれは、国王から」

「は? ちょっと規模が大きすぎて理解できない」

「王女を救った礼だと言っていたぞ」

「いやいや、そんな親戚のおじさんが言ってたよ的なノリで言われても」

「親戚だ」

「そうでしたね」

 忘れていたが、グレンは王族の血を引いているのだ。

 冷酷だの残忍だの悪魔だのムッツリスケベだの、騎士隊では愛のあるいじりをされているので忘れていた。ジャスミンの好きなひとは、とんでもなく身分の高いひとだった。

 白い封書を開くと、戸籍の写しが入っていた。ジャスミンの名があり、父母として記されているのは、ガザニア王国の三公爵のひとつ。国王の妹が嫁いでいる、歴史あるグレーメル公爵家。

 疑問符が飛び交うなか、グレンが淡々と告げる。

 ジャスミンの立ち位置を確定させるにあたり、後見人を探した。ガリエ公爵家を除き、しがらみがなくすんなり事が運びそうな家を選択した結果が、そこだったという。

「奥様はよく、ジャスミンはうちの娘になればいいって言ってくれていたけど」

「それは駄目だ。ジャスミン・ガリエにするのは俺の役割だ」

 不機嫌そうにくちを尖らせるグレンの頭上の花は左右に激しく揺れている。焦り方が半端ない。思わず笑ってしまうジャスミンに、グレンはますますくちを尖らせた。

「恰好がつかない。十八歳になった暁には華麗に決めるつもりで父上には事前に話したし、マクニール医師にもジャスミンを貰い受ける許可はいただいた」

 知らないうちに外堀が埋まっている。

「ジャスミン、今日の舞踏会は俺の婚約者、ジャスミン・グレーメルとして出席してくれ。グレーメル夫妻にはあとで紹介するから」

「ねえ、それ順番違うくない?」

「一度に済ませたほうが効率がいいだろう」

 真顔で言ってのけるので、ジャスミンは脱力する。

「グレン、情緒がないよ」

「……そうか、それは悪かったな」

 いつもどおりの不機嫌そうな声。だけど花は重たげに頭を垂れており、花びらを落としそうな萎れ具合。何を考えているかわからないと言われるグレン・ガリエは、こんなにも雄弁で分かりやすくて可愛いひとだということを知っているのはジャスミンだけで、そのことが嬉しい。

 もしかすると、いつかこの花は見えなくなるのかもしれない。

 けれど、そうなったとしてもきっと、グレンのこころを見誤ったりはしないだろうと思えた。

「グレン、大好きよ」

「知ってる。俺も好きだから」

「うん、知ってるよ」

 幾度となく確かめた言葉でも、今日はいつも以上に嬉しく感じる。現金なものだなあと思いながら、ジャスミンはこめかみにキスを受け、続いて唇で受け止める。

 土色とも称される娘の頭頂部に、小さな緑の芽がひょっこりと顔を出していることに気づいているのは、若き恋人たちを見守る鏡だけだった。今はまだ。





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鉢植え娘の恋人 彩瀬あいり @ayase24

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