第3話
「あなたよね、グレン様に付きまとっている卑しい育ちの女って」
(あー、うん、そういうことですか)
ロベリア嬢の次の狙いはグレンだという噂は聞いていた。口数が多くない彼は何も言わないけれど、騎士隊の面々があれこれ報告をくれるのだ。完全におもしろがっている。
騎士隊の鍛錬を見学に来て
身分で壁を作らない実力主義の騎士隊は平民も多く、口調もざっくばらんだ。同じく平民のジャスミンはグレンとの仲を応援されており、王宮における二人の噂の大半は、彼らがわざと流しているのではないかと疑っている。
とはいえ彼らに悪意はない。頭頂部の花はいつだって親愛の色に染まっており、重い過去を背負っているジャスミンの幸福を願っていることは伝わる。期待に応えられるかどうかはともかくとして、無下にはできないのだ。
「いい加減になさい、グレン様は迷惑しているわ」
「彼がそう言ったのですか?」
「まあふてぶてしい。恥ずかしげもなくあの方の隣になど立つから、見えていらっしゃらないのね、あの眼差しを。わたくしは見ていましてよ、あなたに向けた冷酷で鋭い目」
グレンは釣り目気味で、本人も気にしている点である。深い菫色の瞳は重く見えがちで、そこもひそかに悩んでいるのだが、ジャスミンとしては落ち着いた色合いの瞳が素敵だと折に触れて伝えているところだ。
「あなたのことは伺いました。気の毒な身の上だとは思いますが、過去のことでいつまでもガリエ公爵家に頼るなんて、おこがましい。頼る伝手が欲しいのであれば、わたくしのお父様が紹介すると言っています。別荘地の庭師が弟子を欲しがっているそうだから、ちょうどいいじゃない」
「庭師の弟子ですか?」
「彼は独身よ。上のお兄さまと同じ年だと言っていたから、三十五歳でしたかしら。調べたところ、あなたはもうすぐ十八歳になるのでしょう? 親のいないあなたでも自由に結婚できるわ」
両親の承諾なしに婚姻が可能となるのが十八歳だ。ガザニアにおける成人である。
「あなたのような傷物を娶ってくれる相手がいるのだから、感謝なさい。わざとらしく晒して同情を買おうとなさっているのかもしれないけれど、貴族社会において女性の身体に傷があるなんて、忌避されるものよ。グレン様だって汚らわしいと思っているわ」
不愉快そうに眉を顰めるロベリア嬢は、ジャスミンの身体を検分するように眺める。
幼少時の事故で、たしかにジャスミンの身体には傷が残っている。服に隠れている部分が大半だが、ひとつだけ顔にもある。
右のこめかみにある縫い痕は、馬車の木材が刺さったときの傷だ。少しでもずれていたら血管を傷つけ、失血死していた可能性もあるということで、マクニールは自分のほうが死にそうな思いをしたらしい。祖父が丁寧に縫ってくれたとはいえ、傷は深く、数針も縫えば痕は残る。
ジャスミンは基本的には気にしていないが、こんなふうに侮蔑されると対処に困る。これに関しては、同情されたほうがマシだった。
なによりも怒るのだ、彼が。言われたジャスミンではなく、彼がものすごく怒るから困ってしまう。
「ロベリア・カノーヴァ嬢、なんとおっしゃいましたか」
「グレン様!」
いつにもまして冷ややかで硬質な声色でグレンが現れて、ジャスミンの背には冷や汗が流れた。その声色をものともせずロベリアは喜色に満ちた声をあげてグレンに歩み寄り、甘えるように腕を引く。
「お待ちしておりましたの。明日の舞踏会でのエスコートの件ですわ。時間ギリギリというわけにはまいりませんし、会場へ向かうまえにお父様に会って挨拶を。わたくしとの婚約について、きちんと書面で約束をし――」
「ジャスミンに何を言ったのかと聞いているんだが」
「え、なにって、つまりこの娘がグレン様に付きまとっているから、礼儀としてきちんと教えを」
「付きまとっているのはそちらだろう。俺は何度も言ったはずだ、寄るな、と」
そう言って腕を振り、ロベリアの手を払いのけた。ついでに彼女曰くの「冷酷で鋭い目」を向けて、淡々と告げる。
「聞こえていないのか。俺はジャスミンに何を言ったのかと訊いたんだが」
「……だ、だって、女の身で傷を作って平然と」
「傷なら俺にだってある。王宮で働いている者たちもそうだろう。生きていれば、そういうこともある。生きているからこそ傷が残るんだ」
気にすることない。この傷は、ジャスミンが生きている証。生きて、ここにいる証だから、がんばって生きのこった証なんだから、誇っていいと思う。
幼いころ、まだ生々しく隆起していた傷を見て、鏡の前で何も言えなくなったジャスミンに、グレンがたどたどしく告げた言葉は今も憶えている。
彼自身、騎士職に就いていた祖父に言い聞かされたものだったらしいが、年下の女の子が、己が受けたこともない大きな傷を負っていることに衝撃を受け、ようやく祖父の言葉の意味を心から理解した出来事だったという。
だからジャスミンも、この傷は勲章だと思うことにしたのだ。生き残ったからこそ、グレンと会えた。
傷があるこめかみにくちづけられるのはくすぐったい気持ちになったけれど、それがいつしかもどかしくなり。唇の落ち着き先が移動したのは、グレンも同じ気持ちになったからだと思っている。
彼のくちから漏れる言葉は時として辛辣だが、その唇は以下略。
(こんなときに何を考えてるのわたし、痴女だ)
ロベリア嬢が青白い顔で硬直しているのに対し、グレンとのあれこれを脳裏に浮かび上がらせていたジャスミンの顔は赤い。
ちらりと視線を向けると、グレンの頭上の花は青白い。憤怒ではなく、静かな怒りだ。冷気が漂ってきそうで思わず腕をさすってしまう。
「ジャスミン、どうした」
ひとによっては、睨んでいると評するかもしれない眼差しは、ジャスミンから見れば心配に満ちたもの。寒々しかった花の色はやや黄色まじり。
だからジャスミンは安心させるように笑みを浮かべた。
「だいじょうぶだよ、グレン。来てくれてありがとう。今から戻るところだったの」
「そうか。マクニール医師に許可は貰ったから、町のほうに出よう」
「カルス様への用事は?」
「終わったから言っている」
父親に話をしておくことがあると言っていたことを思い出して問うと、眉を顰めて低い声が返ってくる。
これもまた怒っていると思われがちで、現にロベリアは完全に震えあがっているようだ。ところが彼の頭上の花はさわさわと落ち着きなく揺れており、早く話題を変えたいと焦っていることがわかる。ジャスミンは「動揺してる、わたしには知られたくない話題かな」と判断して、グレンの腕を取った。
「お腹すいたね。なに食べようか」
「なんでもいい」
「わたしの食べたいものばっかり優先させちゃうのはよくない癖だよグレン。今日はグレンが決めてよ」
「……わかった」
まるで続けて舌打ちでもしそうな声色ながら、頭の花が薄紅色に染まって揺れたので、ジャスミンの心も温かくなった。まったくグレンは、照れを隠そうとするほど声が低くなるのだから困ったものだ。
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