第2話

 王宮の救護室に戻ると、そこには客人がいた。祖父と話をしているのは、さっきまで頭の中で回想していたグレンである。

「怪我でもしたの?」

「いや、べつに」

 表情が動かないため「何を考えているかわからなくて怖い」と言われるグレンだが、ジャスミンにとっては関係がない。彼の頭でさわりと揺れる小さな花は慎ましやかで、瞳の色をもっと薄くしたような淡く綺麗な色だ。

 人間のオーラを表したような花たちは、感情や体調に合わせて色を変化させる。病気になれば萎れてしまうし、哀しいときは青く染まる。怒気が強ければ赤くなるし、焦っていると黄になる。

 その特徴から考えると、今のグレンは穏やかそのもの。非常に安定している。ただちょっとだけ雑草らしき芽が出てきているのが心配なので、ジャスミンは彼に歩み寄ってそれをちょいと手で摘んだ。そして自身が持っている鉢に移植する。

「なにかまずいものが生えていたのか」

「ううん。たいしたものじゃないと思うけど、心配事ある? あったらそれかも」

「……あるにはある」

「早めに摘んだから大丈夫だとは思うけど、しばらくは様子見かなあ」

 顎に手を当てて考えこむジャスミンの頭を、グレンの大きな手が撫でる。栗色の髪は土色とも揶揄されるが、グレンを始めガリエ公爵家のひとびとは良いと言ってくれるので、あまり気にしてはいない。だって人間、どうせいつかは白髪になるのだ。

 そんな白髪頭の祖父は、鉢を抱えたジャスミンに問いかけた。

「王女の具合はどうだった?」

「移植は成功したと言っていいと思う」

「そうか」

「ちゃんと根付いたのか茎もしっかりしてきたし、今はまだ蕾だけど膨らんできたよ。薬はおじいちゃんから出してね」

「わかっとる」

 花壇の話でもしているかのようだが、その対象は王女だ。

 十歳を迎える王女殿下は近頃少々元気がなく、塞ぎこんでいた。身体的には問題はなく精神面での不調と判断したマクニールは、王女の対処を孫であるジャスミンに委ねた。年が近い(といっても七歳差だが)女同士のほうが良いだろうというのは建前で、実際は治療をおこなうため。

 ジャスミンのおこなう治療は、花を再生させることだ。虫がついていたら取り除くし、当人の花株以外のものがあれば雑草として取り除く。

 これらは実生活における不安や心配事の現れであり、心が荒れている証拠なのである。

 ようするに心理療法なのだが、ジャスミンのそれは物理的なもので、実際に手入れをしている。あまりにも深刻な場合は、株を一旦別の場所に移し替えてお世話をし、元気になってからもう一度本人へ戻すという手法を取ることもある。

 この際に使用するのが鉢だ。鉢の用途は一時移植だけではなく、間引きしたものを引き取ることもある。捨てるには忍びないし、それらは育てると昇華されることがある。良いことに還元されたり、悪いことは消滅したり。種ができて育てたときは、おめでたいニュースとなって巡ってきた。

 いつなんどき、なにがあるかわからない。

 できれば悪い芽は見つけ次第摘んで、良い芽は育てたいという思いから、ジャスミンは鉢を持ち歩くようになったというわけだ。

 子どもの時分は可愛らしいものだったが、十七歳の今では変人扱い。庭師でもないのに邸内で土の入った鉢植えを持っているのだから、そりゃあおかしいだろうとジャスミンも思う。

 だけどグレンはそれでいいと言ってくれたし、代替わりして公爵になったカルスも許してくれた。

 その言葉に甘えて現状維持をしている理由は、こんな変わり者を傍に置いていることで、グレンの傍から女性の影が遠のくのではないかという打算である。

 あやしい平民娘を王女殿下に拝謁させて大丈夫なのかという気もするが、ガリエ公爵家の威光はここでも光っている。

 現国王にとって、公爵は従弟だ。その男が信用しているのであれば――ということらしいが、だからといって限度があるだろう。

 ガザニア王国は平和だなあとしみじみ思うジャスミンである。



     *



 現在、鉢は多様な植物に溢れている。第三者からみれば何もなくても、ジャスミンにとってはそうではない。

 こんなときは裏庭だ。救護室からほど近い場所にある薬草園、その片隅にある一角は空地になっていて、そこはマクニールが作ってくれたジャスミンのための庭。王宮内のひとびとから摘んできた草花は、こうしてまとめて植えている。

 水を撒かなくても育つのは不思議だった。植物を育てるときには声をかけるのがよいとはいうけれど、ジャスミンが声をかけたり、手で触れたりするだけで元気になる。理由はわからないけれど、嬉しいので考えないことにしていた。深く考えたら負けだと思うのだ。そもそも、この「相手の頭頂部に花が咲いて見える」という現象自体が珍事であるのだから、この事象に正解も不正解もないだろう。



 さて、救護室に戻ろうと薬草園から出たところで、人影を見つけて生垣に隠れた。騎士隊に所属している男性とドレス姿の令嬢だ。距離があるため会話は聞こえないけれど、花の色を見るかぎり不穏だ。騎士の花は困惑の色合いで、令嬢のほうはなんというかピンク色。薔薇の花で、棘のついた蔓が相手を絡め取らんとばかりに伸びている。

(うわあ、捕食だ)

 じつにわかりやすい捕食こくはくの場面だ。

 とはいえ、ジャスミンが知っているかぎり、騎士のほうは故郷に恋人がいたはずだ。今季のシーズンで婚約するという話をグレンを介して聞いている。

 相手のご令嬢はたしか伯爵家の三女だったかと思う。彼女も王太子妃候補の一角で、ちょうど年回りがいいことで、すでに嫁いでいる姉たちに居丈高になっている姿を目撃したことを思い出す。選考に漏れたことで焦っているのだろう。

 割り込んでいく勇気はなく、ジャスミンは別の道を通って王宮へ戻ることに決めた。


 こちらの道は貴族たちのために整備されているため、景観が整っている。季節に合わせた花が植えられていて、専用の庭師が剪定をおこなっているので見た目にも美しい。

 ただそこを通るひとびとはどうかといえば、かなり毒々しい花を持つ者が多いと言わざるを得ない。育ちが良いことと心根の美しさは、必ずしも比例しないのだということを、ジャスミンは王都に来て学んだ。

 使用人感丸出しの服装で歩くジャスミンを見て、ひそひそと囁く声が聞こえる。鉢を持っているだけで注目の的だ。王宮に勤めているひとたちはどちらかというと「可哀想な子だからそっとしておこう」という方針だが、普段は各々の領地で暮らしている貴族たちにとっては「なんだあれ」であり、加えて今シーズンにおける「王太子妃選考の敗者復活戦」にかけるひとたちにとっては、邪魔でしかない。狙い目であるガリエ公爵家の次男をゲットするためには、公爵家の威光を笠に着て隣に侍っている庶民女を完膚なきまでに叩き落す必要があるのだ。

 しばらく進み、王宮の左翼側に向かおうとしたときだ。渡り廊下の向こうから、赤いドレスを着た令嬢が歩いてくるのが見えた。遠目に見ても派手な顔立ちで、化粧の効果でそれが倍になっている。舞台化粧のようなメイクは、ジャスミンの感覚からいえば「ケバイ」のだが、貴族令嬢はそういうものらしい。

 彼女はたしかカノーヴァ侯爵家のロベリア嬢。王太子妃候補の上位者で、令嬢たちのお茶会でも取り巻きを引き連れて君臨していたのを見たことがある。

 ド庶民であるジャスミンが敵う相手ではないので脇に避けて頭を下げたところ、カツンという硬いヒール音を響かせてロベリアが止まった。



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